ウィンナーコーヒー(アイス)

コーヒーの上にホイップクリームみたいのがのっている飲み物。
名前から、ギャグの対象になりやすい。
==========
コーヒーはうまいが、苦い。
そのジレンマをやさしく解消してくれるクリーム。
ウィンナーコーヒーのえらいとこだ。
さて、今回の評価は「ウィンナーコーヒー(アイス)」。
もちろん、ホットでも評価は高い。
カップに口をつけるとき、暖かく甘いクリームまず最初に。
うめー。
あとは、あなたの思うがまま。
飲みながら「クリーム:コーヒー」の割合を自由に変えられる。
飲み終わりにクリームだけがカップに残らないように注意しながら、あなたは至福のコーヒータイムを満喫することだろう。
僕は、上のような文章を書く人が嫌いだが、おいしいのはおいしい。
では、アイスVer.での評価ポイントは何なのか。
それは氷。
ウィンナーコーヒーをアイスで注文すると、たいていアイスコーヒーの上にホイップクリームがのっているものが登場する。
その層は、以下のとおり。
<上部>
宇宙など
青空
ホイップクリーム

コーヒー
カップの底
テーブル

忍者など
<下部>
僕は、こういう方向性は嫌いだが、重要な「クリーム→氷→コーヒー」は含まれている。
クリームが氷の上にある。
こいつを飲み終えるとどうなるか。
ちょうど、クリーム残りが氷をコーティングしているようになる。
すると、その氷は上品な砂糖菓子のようになるのだ。
それがとてもきれいなのだ。
僕は、こういう終わり方は大嫌いだが、きれいなことはきれいだ。
機会があれば、注目してみてもらいたい。
食べても、おいしくはない
評価:★★★★★

リュック

リュックについては少々、辛口の評価をつける。
多くのリュックの、形が気に食わない。
==========
日頃から、リュックはがんばっている。
彼らの何がいいといえば、やはり荷物がたくさんあっても両手がふさがらない、という点に尽きる。
その存在は、人間が直立歩行を行うことで獲得した器官の大切さを思い出させる
また、手で持つにはちょっと重いようなものでも、リュック経由であれば、人は背負っていける。
・・・ヒトはこれからもずっと、セオっていける・・・。
さらに、その負担は体の軸からはずれていないため、例えば片手カバンに見られる「片側疲れ」もない。
このようにリュックは、運搬という仕事に対して、すばらしい恩恵を与えている。
しかし、気になることがある。
安定するのだろうか、彼らはたいがい、だるま型をしている。
それは、モノがたくさん詰まっているとき、電車内の乗客の数と人口密度の関係が合わないんじゃないか、というほどになる。
確かにこのようなとき、だるま型は有利に働く。
たくさん入るし、安定する。
しかし、多くの人は、それほどリュックにものを詰めることはなく。
そのためだるま型は、少々邪魔くさい代物となる。
人の背にだらりと垂れているだけだ。
そう考えると、リュックには、もっと背にぴたりとつくような形が求められている。
ノートPCを持って行きたい?。
最小単位は、背中にノートPCが張り付いている状態。
これに、どれほどのものを付加する必要があるか。
もうひとつ。
これを解決するリュックを、僕はもう15年くらい探している。
売られているリュック全て、表側、主に上部、ときどき横に「荷物入れ口」がついている。
これは解せない。
「荷物入れ口」は背中にくる側に、1箇所。
これでいいのだ。
荷物を運ぶための道具であるリュックには、それは「荷物入れ口」が必要だ。
しかし、それを表側につける理由がわからない。
リュックの中が必要なとき、どれほどの人が
「背負いながらリュックを探る」
「相手にとってもらう」
という行為をするだろうか。
これらの行為は「荷物入れ口」が表側にないと難しいところである。
しかし、あんましないでしょ?。
リュックの中が必要なとき。
それはほぼ「リュックを下ろしているとき」と言い換えて差し支えない。
もちろん例外は山のように出るだろうが、どれも「例外」として扱えると確信する。
それらはたいがい、原因が「リュックの荷物入れ口」以外にあるのだ。
ときどき、「荷物入れ口」が全開の人がいるが、あれはリュック業界の怠慢が生んだ、悲劇だ。
財布を盗まれるかもしれない。
ごみを入れられるかもしれない。
指を指されるかもしれない。
虎穴にて入手した虎子が見られてしまうかもしれない。
背中側に入り口があれば、もし全開だったとしても、それが公になることはない。
しかし、販売されているリュックは、表側に入り口があるため、このような危険性が生じる。
せっかくの両手フリー権も、これでは意味がない。
もちろん全開でなくとも、この入り口位置による機能性、特にセキュリティ性の差異は、何気に世界犯罪率の小数点以下くらいのスケールで左右するに違いない。
背中側に1箇所だけ、入れ口。
表側は防刃。
※リュック表面の、ポッケタイプのものであれば、表面に「荷物入れ口」があってもよい。
そこに入れるのはティッシュなどであり、使用頻度が高く、一緒の誰かにとってもらうという心算も無駄ではないからだ。
※僕としては、このポッケもいらんと考えている。
あと、なぜリュックの素材は恐竜の肌みたいなのが多いんだ、や、装飾過多な面で、僕は多くのリュックを好かない。
おのずと、これからのリュックが目指すべき姿が見えてきた。
・厚さ10cm未満
・縦×横 50×30くらい
・「荷物入れ口」は背中に。
こういうの、ないかしら・・・。
昨今における活躍?かっこ悪い=
評価:★★★★★

ぽろりの話 2

なんとなく前回の内容を見ていたら、発見した。
独眼竜の要所要所に「だ」を入れると、強そうになることを。
「ドクダガンダ流」。
=====
以前、「ぽろり」というものについて書いたことがある。
ぽろりの話
まあ、本音とか水泳大会のこととかを書いた気がする。
今日の帰り道、ほかにも面白い「ぽろり」もあるんじゃないかと思えてきた。
電車の背後にいた男が、こんなことをぽろりと。
例えば小声で、携帯電話で話したらどうだろう。
「代車だから、今組織に動いてもらうのは勘弁ですね」
これは、周囲の一般人に気づかいつつも、「ぽろり」と言ってはいけないことを口にした、スーパーヒーローではないだろうか。
おそらく出動時のハイテクなカーが車検中なのである。
だからいざというとき、代車を使わねばならないから、それはいやだなあと本音が出てしまったのである。
先ほどのとおり、周囲は一般人だ。
自分の正体がばれるという、大失態なのかもしれない。
また、こんなのもある。
「振り向いた拍子に、ワンピースのすそからマジカルステッキが、ぽろり」
魔法少女である。
これも周囲はかなりおもしろいが、本人にとってはかなりまずい。
記憶消されることうけあいである。
最後に、こんなのも考えてみた。
「やっべゲルニカのはじっこにあれ書くの忘れてた」
こいつピカソだ!!。

「今日、えもっちの家に、遊びに行くべ?。」
そう聞かれても、別におかしくなかった。
小学生のとき、綿に消毒液が滲みこんでいくように広がっていった「べ」語尾。
どこが発生源なんだ。
それはわからないが、由来は時代劇か。
「おらさ、お殿様に会いに行くだ。それしか皆を静めることはできないべ。」
「んだ。んだ。」
こう考えると、小学生のときの僕は、気が利いていない。
「んだ」ではなく、「行くよ」と答えたから。
「べ」の効用について、考える。
①「今日、えもっちの家に、遊びに行く?。」
②「今日、えもっちの家に、遊びに行くべ?。」
一目瞭然。
伊達政宗もそう言ってる。
①は、「うーん、今日はいいや」という余地が残されている。
②は、「うーん、今日はいいや」とでも言おうものなら、四肢を押さえつけられた上に濡れた和紙を口に張られる。
「べ」は、その田舎的な雰囲気とは裏腹に、会話の相手との間に強弱の関係を生む。
でも、これはどうだ。
③「今日、畑の様子、見に行くべ?。」
これだと、なぜかはわからないが「うーん、今日はいいや」でもいい気がする。
「いんや、今日は行がね。」と。
そうなると、次は「えもっちの家」と「畑の様子」の関係が気になるところ。
田舎具合か?。
そうならば、考えようによっては「べ、を使うことにより、相手の返答を意のままに操ることができる」かもしれない。
相手にYESを言わせたい場合
「明日、一緒に遊園地、行くべ?。」
誘うことは誘うが、相手に任せる場合
「明日、一緒に遊園地で、チュロス食うべ?。」
それぞれの期待する回答は以下。
「うん、いいよ。」
「え?、チュロス??。」
チュロス、当て馬気味に使って、申し訳ない。
今回は、いまいちだべ
評価:★★★★★

ネ暗トピア

ネ暗トピア
著 いがらし みきお
概要
 20年くらい前の4コマ漫画。
 全7巻。
================
いわゆる不条理モノだが、そのオチは普遍的なものから、絶妙にズレたものと、かなり多様。
この漫画では笑うというよりも、感心させられる読者が多いに違いない。
やたら昔の作品なので、古くなった内容があるのは当然としても「感心させられる笑い」があるというのは、今でも貴重。
「これ、20年前に考えてたの?」と感嘆せずにはいられない。
今の漫画、お笑いでも「あ、これ、ネ暗トピアっぽいかも」と思うことがあるくらいから、驚き。
ブラックユーモアの代名詞として使っても、遜色はないのだ。
ただ、社会通念上、黒く塗りつぶさなくてはならない内容も少々。
本作品が復刻されるとしたら、おそらく全1巻に収まる、とは言いすぎか。
と、僕の評価対象は「本作における粘液」について。
本作品、おもしろいという人は多いけど、その原因のひとつなのかそうでないのか、登場人物の多くが粘液を出している、もしくは出す。
不条理漫画であり、しかもアングラな内容が多いとなると、出るのもしょうがないか。
その多くは「よだれ」。
よかった、よだれで。
このよだれ、たいがい口から2、3筋、流れる。
また、放射状にほとばしるパターンもあり、口が海洋生物みたくなっている描写も見られる。
もうひとつ粘液について挙げるとしたら、鼻水だ。
よかった、鼻水で。
この作品における鼻水は、上記の海洋生物方式、両方の鼻孔から垂れるダブルアクション方式、の2つで表現されることが多い。
とにかく、こんなに何かを垂らしている漫画は、あまりない。
端的にこの漫画のことを言えとなると「にやにやしながら読んだあと、手を洗いたくなる漫画」となるか。
手を洗いたくなるのは、本書を中古で手に入れたという理由だけではないのだ。
こういう漫画、最近見ないが、見ても困る
評価:★★★★★

注射器

例えばパソコンが動かなくなったとき。
何か行動して対応しようとするとき、それは大きく分けて「何かを入れる」か「何かを取り出す」しかない。
ウイルス対策ソフトを「入れる」のか。
分解して、原因と思われる部品を「取り出す」のか。
再インストールするのか。
フリーズしちゃうファイルを取り除くのか。
============
注射器の最初の用途が何であったか。
気になるところだ。
血管に何かを注入するために生まれたのか。
血液を採取するために生まれたのか。
どちらの用途を目指して生み出されたにしても、もう一方の用途もほぼ同時に気付かれ、活用されたに違いない。
**********
先生「はい、ジェシカちゃん。痛くないですよ?。お薬を入れるだけだからね、・・・あ。」
看護師「先生、どうかしましたか?」
先生「おい、見ろよ。注射器って、ほら。吸えたりもできるぞ・・・。」
看護師「あ、血。」
先生「そしてほら、また入れられる。」
看護師「まぁ・・・。ほらジェシカちゃん、出し入れ自由よ。出し入れ。」
**********
・・・
注射中に気付かれたのではないと、願わずにはいられない。
出し入れ自由
評価:★★★★★

nn雑学集

なるほどなっとく雑学集
1.シマウマの黒い部分の全長は、25mガムテープの全長と同じである。
2.熱気でアスファルトにかげろうが生じるのは、温暖化問題に反応した政府の過剰演出である。
3.シェフやパティシエが装着する長い帽子には、ファーキリンストン効果による、からだを冷やす作用がある。
4.美容師の彼と付き合うことにすると、次の日から枕に大量の短い髪の毛が付着することがある。
5.macのりんごかじりマークの面積は、そのパソコンの全ハードディスク容量から使用容量を引いた数でもとめられる。
6.信号機のメーカー内では、赤を「太陽」、青を「海」、黄を「めぐみたん」という隠語で表現している。
7.人の家系を相対パスで表そうとするとき、Eveは省略しても良いようになりました。
8.ホタテ貝の貝殻のひだひだは、幼少の頃にかじられた時にむにゅっとなった跡である。
9.歯ブラシ「毛先が球」の生産が終了したのは、思いのほか毛先が球になっていなかったことがばれるのを防ぐためである。
10.花王のホームページで調べてみたら「毛先が球 [ふつう]」とあった。おもしろかった。

深夜特急〈2〉

深夜特急〈2〉マレー半島・シンガポール (新潮文庫)
著 沢木 耕太郎
概要
 ベトナムやマレーシアを著者が訪れ、うろうろする。
 旅先の人に会ったり、会わなかったり、バスに乗ったり。
================
地に足の着いた旅行記を目指した、という感触。
そして読み物としても成功している。
風化してしまっている内容もあるらしいが、水を飲むようにするする読める。
ところどころの感傷的な描写は、読み手がどれほど「家⇔学校、勤務先」以外の道を経験しているかによって、印象が変わるか。
と、僕の評価対象は文庫版で6巻まであるうちの、2巻になる。
本書には人とのふれあいだけでなく、他国ならではのスリリングな場面も多く記されている。
それが読むスピードを高めるわけだが、一番スリリングな場面は、実はあとがきっぽい場所にある「対談」。
著者の沢木耕太郎氏と、不器用でおなじみの高倉健氏との対談にある。
この中で、高倉氏は「自分の死」について、すこし触れている。
「いまだったら、アクアラングで潜ったままぜんぜん出てこないというのがいいですね。」
「なんだかカリブ海に潜りにいったまんま上がってこないよ、というのが一番いいですね。」
潜ったまま、浮いてこない高倉氏。
・・・お、おもろい!!。
本書の何ページを読めばいいかを問われたら、間違いなくここを挙げる。
高倉健がシュノーケルをくわえる。
評価:★★★★★

からぶき

狭義として、乾いたぞうきんで床を拭くこと。
学校での掃除の時間、たいていは濡れたぞうきんで床を拭いていた。
生徒が横に並んで、いっせいに。
濡れたぞうきんで床を拭くと、その表面はほのかに湿り、うわばきの底に心地よい抵抗が生まれる。
その上で足を止めるとき、「きゅっ」といった具合にぴたりと止まる。
このとき、床の上のほこりは完全に取り払われ、掃除がうまくいったことを実感していた。
しかし、掃除は時として「からぶき」で行われる。
不満だった。
からぶきなんかで、ほこりが取れるものか。
床の上の汚れは、みずぶきなら水分が汚れを溶かしだし、拭き取れるだろうが、からぶきだと、単に汚れを広範囲に広げるだけなのではないか。
この不満は、からぶきもみずぶきもしなくなったせいか、ずっと変化することなく続いていた。
だが最近、からぶきもいいのではないかと思うようになった。
からぶきのよい点は、拭いたあと、からっとしていること。
拭いたあとに、拭く対象となった汚れが全くなくなったような印象を与える点にある。
当たり前だが、それがよいことと思えるようになったのは、つい最近。
逆をいうと、みずぶきで拭いたあとの湿り気が、ちょっとだめなシーンもあることに気づいた。
昔から、からぶきとみずぶきは、ちゃんとすみわけできていたのだ。
しょうゆをからぶきすれば、そこにはもうしょうゆはない。
評価:★★★★★

僕と評価カテゴリについて

別ブログとして「僕と評価」というのをやっていましたが、こちらにまとめてしまおうかと。
書く内容にはそれほど困らない程度のゆるさだったのですが、思ったよりも自分に引き出しがないこと、よくパスワードを忘れて管理画面にログインできないことがあり
さきほどパスワードをしたためたメモを発見し、まとめるに至りました。
評価と銘うっておりますが、まあ適当です。
ただ、たいがいのものに「個人的におもろい思うこと」を見つけることができる長所もしくは短所があるため、基本高評価となりますため、その点ご了承ください。
また、正直なところ当方、「僕と評価」と当ブログ内容をほとんど覚えておりませんため、なんかどこかがかぶっていたらごめんなさい。
以上。
追記
ここんとこの更新停滞が解消されちゃうな。。。