先日何かの回でマジカルステッキということを書いた、そのとき派生したものがあることを思い出した。
マジカルステッキ変遷なるものを思いついたのである。
これは、少女時代に授かったであろうマジカルステッキを、今後どのように所持するべきかを考えたもので。
少女時代:手に持つ。魔法少女としても映える。
小学校高学年?中学時代:少し魔法少女としての分が悪いので、音楽関連の部に入り、楽器入れにステッキを忍ばせる。
中学卒業式:証書入れ。
高校時代:持て余すため、あえてストラップなどにしようとするが、難しい。仕方がないので背中に入れておく。
ステッキを取るさまから、あだなが「抜刀」「グラディエーター」などとなる。
結婚式:魔法少女であることも包括しての、暖かい家庭を築くであろうことを予感させる、マジカルステッキによる入刀。
倦怠期:レジぶくろからステッキが顔をのぞかせる。
還暦:赤い袋に入れられる。
・・・
変遷長いな。
できれば結婚式あたりで引き継ぎたいところである。
月: 2010年8月
得点圏内
前回、遊びがどうこう書いているうちに、何となく思えてきた。
遊びとは何なのだろうか。
例えば、人はマンホールを踏むと1点であると考えている。
「何が?」という気もするが、とにかく揺るがなく1点である。
得点が入るとなると、それは他人よりも高得点を狙いたいよね感が人には芽生えるため、こぞってマンホールを求めることになる。
これが交通事故の原因(真の)第二位であるわけだが、この競技は「遊び」と言えるのだろうか。
一方、現在の「遊び」の代表格のひとつ、「テレビゲーム」はどうだろう。
オンラインで対戦を行うゲームもあれば、ひとりですべて閉じるゲームもある。
これらの、何の要因が「遊び」なのだろうか。
幼少からよくテレビゲームをしている人は「自分にもAボタンBボタンがあるはずだ」と考えたことが少なからずあるだろう。
100m走のとき、思わず右乳首を親指で押しながら走ってしまう子がいるのは、よくある話だ。
はたまた「自分にも十字キーがあるはずだ」と考え、BCGの跡を指でなぞる子もいる。
さらには「自分にもジョイスティックがあるはずだ」と考え、まあ特に書かないが、そんな子もいる。
これらは「遊び」の何を取り違えたことによる行動なのだろうか。
遊ぶというのは、むずかしい。
追記
ちなみに四角いマンホールは2点である。
その白線の、すばらしきこと。
これでも相応の年齢なので、道路にチョークで落書きをしたことがある。
私道に近い、ほとんど車のやってこない道路で「なかあて」をするとき。
消えやすく、子供ながらにゲームの進行を妨げる可能性のあるなあと感じさせる「そこらにある石による線ひき」。
これに対してチョークの所持というのは「お前さいこーだよ!!」と友達に思わせるものであった。
どうなのだろう。
ちゃんと道路にらくがきしているのだろうか、子全般。
「けんけんぱ」の形跡をかろうじて読み取れる路面も、ずいぶんと見ていないような気がする。
何が道路に書いてあったら、僕は感慨深い気分に、ジュブナイルに、ノスタルジーに、うさぎを追った気分になるだろう。
幼少のころは純粋だったから、「死体のあと」みたいなものすら書かなかった。
今はちょっと違う。
「なんやもうちょいうまいこと書いたらええのに」
内心はけっこう悪いやつだ。
・半径50cmくらいの円の中に「バリア」と書いてある。
これはかなりいい。ぐっとくる。
おそらく子供たちはなんらかの遊びを考案したのである。
その遊びの中で、キーとなる領域なのだろうバリア。
いろいろ想像できて面白い。
・金相場
これもかなりいい。ぐっとくる。
誰が見るとも知れず、しかしこれを用意した彼は、なかなかのセンスと思う。
グラム単位での金額により、肉などではなく金であると推測させる「遊び」も備えている。
ちょっと乱暴に書くと、よりよい気がする。
・携帯電話
これもだ。いい。
おそらく憧れているのである。
はやく手に入れたいのである。
しかしまだよと、親に止められている。
手に入らないものを落書く。
当事者はともかく、手に入らないものがある人というのは、なかなかどうして。
と、ここまできて、なんとなくひとつの結論が出ました。
道路に線を書くことは、遊びみたいなものなのである。
とぐろ巻いて眠れぬ夜なんて
以前も書いたのだが、最近夜中に目覚めることが多い。
よく眠れるからと稲川淳二の怖い話みたいなものをよく見ているから、その分何か起きちゃうんじゃないかとそのとき不安になるが、特に何もないので大丈夫。
まあその信憑性はともかく、本気で来られるのは、困るのである。
ところで知っているだろうか。
レンタルビデオ店での稲川淳二は、もはやホラー枠において、ひとカテゴリを形成している存在なのである。
要は「SF系、実録系、稲川淳二系」などとなっており、区画が淳二に割り当てられている。
すごいことではないだろうか。
すごいことと言えば、僕はすごく地図が読めない。
すごい展開で申し訳ないのだが、とにかく読めない。
建物から出てきたとき、どちらから来たのかが、わからない。
地図をどう持てばナビゲートできるのかが、わからない。
「地図をいろんな風に持ってうろたえるお前は、さながらDJである」
午前5時。
みんなが地図を持って、今日が始まるはずだ。
おしるこ
小豆を水っぽく煮たものに、もちを入れた日本古来のスイーツ。
ひどく甘い。
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数少ないながらも、経験から言うと、どんなに高級な材料を使っていようが、「甘さひかえめ」と銘打っていようが、やたら甘いやつであり、基本ちびちび唾で薄めながら飲むものである。
また、たいがい入っている「もち」の役割が、その無味さで甘さを和らげるためでは、とすら感じる。
どうしてそんなに甘いのか。
しかし考えてみると、単なる小豆の水煮は、あまりおいしくない。
ならば甘いことにとやかく文句を言うこともあるまいか。
さて、甘いのはしょうがないとして、次に考えなくてはならないのが「もちは焼く?」的なことである。
個人的には、焼かれたもちの香ばしさはとても小豆と合うため、できれば焼かれていたい。
しかしもちを焼くのは、金網につくなど、めんどくさい特性を考慮すると避けたいことであり、その点わがままは言わない。
むしろ「もちはそのまま入れて煮て、半分溶けてるくらいがちょうどいいよね」くらい言う。
「もう、夜ご飯もおしるこでいいじゃん」くらい言う。
「水筒に入れてく」くらい言う。
弁当男子か。
甘い。
評価:★★★★★
6人
MAXのメンバーというと、ナナ、ミーナ、レイナ、リナ、マナ、カナで、ろくりっ子である。
それはあまり関係ないのだが、パソコンを変えた。
iMacである。
今日はこれで終わりである。
大丈夫。
ろくりっ子は、思ったよりもいい具合だ。
安土桃山時代
他の時代と比べて、いささかキレの悪い感じのする「安土桃山時代」。
テストでヤマをはるにしても、とりあえず「捨て」のことが多いのではないだろうか。
歴史が苦手な僕にとって、その時代は「なんだか他の時代よりも、やけに短い時期」くらいの印象しかない。
それが冒頭の捨てイメージの由来となっているわけだが、やはり短いなりに日本の歴史にスケジューリングされているところをみると、なにか重要なことが起きたのだろう。
そこで調べてみると、「桃山文化」というものが誕生したらしい。
ちゃんと調べる気は毛頭ないが、ここで気になるのは「文化の誕生」だ。
もちろん、当時の人がそれを確信することはないだろう。
*****
「あ、今、桃山始まったよ。」
「あ、ほんとだ。」
「こうしちゃいられねぇ!!」
*****
・・・ちょっと、考えにくい。
ただ、なんとなくいい感じになってきた、というのはあっただろう。
*****
「あー、えんがわ、気持ちいいね。」
「んー。」
「なんか最近、いいよね。」
「あ!!。・・・んー。いいよね、確かに。」
*****
まだ、こっちの方が「文化の誕生」な気がする。
いい感じになるのが、ゆるやかなのだ。
ただ、他の時代と比べてやたら短い期間であることを考えると、そのゆるやかさも、本質は急勾配だったろう。
ダンシングな時代を生きた当時の人々、お疲れ様。
ところで、これほど抽象的でいいのか。
僕の安桃イメージ・・・。
他の時代よりも、個性的。
評価:★★★★★
ジャムル・フィン
モビルスーツ。
かっこわるい。
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確か、青緑色した、よく分からない形のモビルスーツで、私情をはさむと、かっこわるい。
ただ、「よく分からない形」というのはしょうがなくて、それはなんだか作り途中だったヤツをとりあーえず実戦に間に合わせました、みたいな背景があるのだ。
そもそもモビルスーツでもなかったっけか。
そんなだから、彼の華奢な手とかは、とってつけ品。
となると、こいつの完成形を見ずして「かっこわるい」というのはなんだか申し訳なく。
でも急造のわりに、変形する能力があったり、拡張性に富んでいたりと、最初は何作る気だったんだとか、メカニックはやるなぁという感じに。
さて、この時点で、メカニックは褒めたが、ジャムル・フィンは褒められていない。
強力なビームが出せるみたいだが、敵メカでかっこわるいという時点で、難しいところなのだ。
しぶいって、便利な言葉。
評価:★★★★★
マイク
声がでかくなる道具。
拡声器のたぐい。
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「大きな音が出せる」というのは一種の力でして、それを人間が「進化」という方向性で獲得しようとする前にマイクが発明されていて、本当によかった。
もう、ホエザルの一歩手前まで来てました、人間。
あ、ホエザルの「ホエ」って、「木工」に見えますね。
ところで、とつぜんマイクを差し出されたとき、私たちは何を言えばいいのでしょう。
「あー、マイク、テスト中」ですか?。
あなたは、マイクの製造元を甘く見すぎていませんか?。
メーカーさんは、ちゃんとした製品を納品しているはずですよ?。
それとも、セッティングしてくれた放送委員たちが、信用できませんか?。
彼らは学校の文化祭などでは「生徒のなかで、唯一演劇に参加しなくてすむ存在」として注目され、一部怠慢な面も見られますが、基本的には礼儀正しい生徒ですよ?。
「ダイナミック、ダイクマ?」
ダイクマのCMのものまねですか?
あなたは、言葉の汎用性というものを甘く見すぎていませんか?。
ダイクマのCMがどれほど市民権を得ているか、考えたことがありますか?。
「ごつん」
お辞儀で頭を下げたとき、額にぶつけますか?。
あなたは、「お辞儀のときにマイクに頭をぶつける」ジョークが広辞苑の「ジョーク」の欄の例として載られそうになったことを知っていますか。
少し、やられすぎているのではないですか。
そして、手に持ったマイクでそのジョークをやるのは、無理がありませんか?。
それが故意でないとしたら、あなたは自分の体を使いこなせていないのではないですか?。
もし、マイクを差し出されたら。
もっと、新しい何かをするべきではないでしょうか。
私は、声を大にして言いたい。
「何をと聞かれても、困りますが!!」
ホエザル。
評価:★★★★★
ルート225
ルート225
著 志村 貴子(絵) 藤野 千夜(字)
概要
思春期な姉弟が、やんわりここと違う平行世界へ迷い込み、ご飯を食べたり道を歩いたりする。
全1巻。
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概要は先ほど挙げたもので、誰もが夢見し、想像しのパラレルワールドな感じ。
※小説、それを原作とした漫画とあり、今回は漫画版を取り上げている。
評価ポイント。
それは姉が終盤で発する一言で、ともに変な世界に来てしまった弟、ダイゴに向けての感想。
「5cmも伸びやがって。」
小説版でもお年頃な彼らの心情やその移り変わりなどが書かれていたけど、漫画版のこのセリフときたら、どうだ。
※多分漫画版のみのセリフだと思うが、原作にも書いてあったら、ごめんなさい。
もちろん、物理的に5cm伸びたこと、だけを表現しようとしたセンテンスではない。
このセリフは「今まで一緒にパラレルワールドに来たと思われるダイゴが、実はまた別の世界のダイゴなのでは?」と読み手に思わせることも、できるだろう。
だが、なによりも、このセリフは「姉と弟の関係の微妙な変化」も示唆している。
前まで頼りなかった弟の成長を目の当たりにし、姉は少なからず困惑するのだ。
これは姉であり、同時に少女である主人公が持つ、あやふやで抵抗性のない心の一面を十分に引き出せていると言える。
そこが重要、と考えるなら、実はこの物語、パラレルワールドとか、かなりどうでもいい。
物語のきっかけとしての役割だけとなる。
日常生活でも十分にそれに匹敵する変化が起きており、そんな世界に対して少女はどうするのか。
それを表す端的なセリフのひとつとして「5cmも伸びやがって。」があるのだ。
って、近所の佐竹さんが言ってました。
僕はうかつにも、全くそんなことを考えずに原作を読んでいたので、この一文を読んだとき「うわー、読んでるとき、うかうかし過ぎてた!!」と少し反省した。
そして、成長期にあまり身長が伸びなかったことに対し、姉に少し申し訳なかったな、思うのだ。
「5cmも伸びやがって。」 あやかりたい。
評価:★★★★★