「出てます6億円」
「キャリーオーバー66億円発生中」
こういった旨が並列で記載されているくじの広告に何も感じないわけではないが、最近なにやら鼻孔の内側に傷があるらしく、そのかさぶたが気になって仕方がない。
気にするといっても指を突っ込んでは、それは鼻ほじりになってしまうため、なんとなく日々生活において鼻孔内側を意識するという、どうやったらいいのかよくわからない状態で、いま。
それにしても「ほじる」という言葉は、よくもまあ「ほじる動作」をうまく体現したものだなあと思う。
「ほじる行動」を見て、最初に「あれ、ほじるって動詞で表そうぜ」と言ったやつはかなりいいセンスの持ち主である。
これが例えば「さらら」とかだったら、もう全然「ほじる」のあらっぽさ、生々しさが表現できていない。
「鼻さららしてたら、血が出てきたよ」
鼻さららなんかで、血が出るかよ!!と怒りたくすらなる。
ところで今、なんとなく思ったのだが、耳掃除はあるのに鼻掃除が、少なくとも言葉としてほとんど聞かないのはなぜなのだろうか。
ということを考えたとき、それは耳よりも鼻の方が「人間の動物じみた部分」だからではないか、と思った。
まず、粘性の液体が出る出ないという差があるでしょ。
もういいか。
どうやら「人間の、動物じみた部分」を「掃除」どうこう言うのは、なんだか人に他意を感じさせやすいのである。
となると、「鼻も掃除したよ」というクリアランス宣言を行いたい場合はどうすればよいのだろうか。
ここはひとつ、鼻さららでいかがでしょうか。
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耳掃除と鼻ほじり・・・。なんかアパルトヘイト的な感じがします。
ひどいですね、鼻の扱い。耳だって粘液性のが出る人がいるのに。鼻掃除の普及を願います。
「ねこが出る」は使いましたなぁ。特にお母さんが使ってました。
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みんな、鼻掃除してないわけじゃないんですけどねえ。
なんで言わないんですかね、鼻掃除。
なお、うちではいまだに「ねこ出る!!」はよく聴かれます。