先日、飲み屋で出た牛テールの煮物に対し、僕がそれを「牛タン」であると発言、物議となった。
牛テールを知っている人にとっては、それは牛タンとは程遠く、間違うものではないとのこと。
牛タン発言の僕は皆から総攻撃を受け。
そのかなりのいじられっぷりに、僕も新たな属性が獲得できたかと、少々負け組的な感じになったのだが、この事件で思い知らされたのは「人はいつ牛テールに触れるべきなのか」という点だ。
牛タン
牛テール
牛の中で最も離れた部位とも言える彼らは、カルビやハラミと言った大リーガーに対しては、少しばかり有名ではないところである。
今、「ネプリーグ」に出ているときのネプチューンは、ネプリーガーなんだと初めて気づいた。
もちろん「タンテール(玄人間の呼び名)は、ばりばり大リーガーだ!!」という意見もあるだろうが、もしそうだとしたらそのとき、カルビやハラミは宇宙ヒーローとなっているため、差は縮まらぬ。
おいしさは別として、取れる量もあるだろうし、ややグロテスクという面も否めず、少なくともタンテールはそういったマイナー扱いを受けやすい、牛の両端なのである。
大型スーパーで売られている、冷凍まるごと牛タンのざっくり感を見れば、そのマイナーたる理由がなんとなく分かる。
「うわあ」っぷりが、すごい。
そして大抵、その周りにはその印象を引き立たせる臓物類が存在し、花を添えている。
そんなみんなの仲間。
牛テール。
僕は牛テールに、手といい舌といい触れたがなかったため、それを牛タンと勘違いした。
「僕には、牛テールに触れるチャンスがあっただろうか」
考えてみる。
あんなにも、自分のしりをぱすぱす叩いている、尾である。
しかしテレビなどで見る牛テールのシチューなどは、素晴らしくおいしそう。
やわらかい、らしいよ。
どうも僕にとっての牛テール機会は、こういったマイナスイメージからの「牛テールはまずそうだな」や、シチューイメージからの「牛テールうまそう」といった意気込みからなるものだったはずである。
しかし残念ながら僕は、いくつか牛テール情報を入手していながら、牛テールについてなんら考えていなかったのである。
それゆえのタン違い。
あれ、駄洒落だ。
さて、その飲み会でめでたく、初牛テールを経験した僕である。
しかし、そのおいしさに「タンだがテールだがどうでもよくなりました。ウマイ!!」、などといったご都合感想を持つには至らなかった。
今ですら、「あのときの牛テールは牛タンだったのでは?」と疑っているのである。