「マグロの解体」がなぜ、あんなにもメディアで取り上げられるのか、疑問だった。
迫力はあるし、ああいったものが捌かれゆく姿はあまり見られないものではあるが、実際見てみると「ふーん」な感じになってしまうだけだから。
ところが先日、何の何かを覚えていないのだが、「マグロの解体」という行為に対して、その「解体」という言葉を指摘した意見があった。
詳細は覚えていない。
が、それを聴いて僕は驚き、そして反省した。
「マグロの解体」の「解体」部分のすごさに気づいていなかったからだ。
それは圧倒的な構造物、要は建築物を分解していく際に主に使用される。
例えばビル。
ビルが分解される際、それを表す言葉として「解体」というものが使用される。
その言葉は、「マグロの解体」のそれと同じものということなのだ。
ビルの解体はいろいろ計算されて、リスク、コストが最小になるようになされているだろう。
そうなるとマグロの解体という言葉も、やけにアナトミーなものをかもし出す。
何か厳かな雰囲気さえ、まとう。
なんだ、すごいいいんじゃないか、マグロの解体。
と、これまでを踏まえると。
ビル由来ということでいけるかもしれない「マグロ爆破」。
世界まる見えで取り上げられないだろうか。
いや、むしろ既に放送済みだったりしないだろうか。
「ビル爆破を三世代にわたって請け負い続けているスティーブン一家」
「マグロ爆破を三世代にわたって請け負い続けている川上一族」
・・・川上一族のいるとするならば、それはマグロが獲れすぎているということに他ならない。
マグロの肉片をまたぐ猫が多いかも、ということに他ならない。