みぎひだり

今でも、ときどき右左がわからなくなることがある。
気に食わなかった。
ベンチに座っている人達に、「右はどっち?」と聴いたら、みんな一方向を指すだろう。
しかし、そのうちのひとりに、ベンチに向かい合うように立ってもらって同様の質問をすると、その人はみんなとは逆の方向を指すのだ。
なんて不定な基準なんだ、と感じていた。
だから、今でも右左の概念がちゃんと定着していないかもしれない。
とはいえ、その有効性は人並みに理解しているつもりだが、以前の「右左不信期」で、もっとやんちゃしていたらどうなったのか、少し気になった。
例えば「右左なんて、不定なものでなくて、東西でやればいい」と考えたとする。
日本では、東西はイメージとしてそれぞれ右、左であるといって、まぁ問題ないだろう。
でも、もちろんこの変換が破綻していることは、明白である。
試す。
「私のカレは西利き」
「左利き」というのなら、右左の概念を持つものであれば、どんな状態であっても左手のことを思う。
しかし西利きとなっては、その西利きのカレがどこを向いているかで利き手が変わるため、むしろ東西言い換えの方が不信感だ。
そして何よりも、「私のカレは西利き」では、「なに?、京都奈良に詳しいの?」みたくなり、コミュニケーションがうまくとれない。
お、なんかいいね、西利き。
次回、さらに右左を置き換える。
ネタバレすると、置き換え対象にコナミコマンド有り。

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