本日、体の調子が悪い。
モダン焼きを食べたのに、お好み焼きとの区別がつかない。
と、このように、もはや「モダン」という言葉はモダン焼きでしか使われない。
「やあ、今日の君は、いっそうモダンだね。」
どこまで、時代をさかのぼればよいのだろう。
いくつの街を越えてゆくのだろう。
見返り美人までとは言わないが、どう控えめにとっても「いいんだけどね。でも、ふるくさだよね」と言っているようにしか聞こえない。
セクハラ、もしくは何かハラである。
「モダン」が純粋なモダンでなくなった今、その意味は「洒落てる」「かっわゆ?い」「全裸よりかは幾分マシ」「魅力値が上がったねぇ」「近代的な構成」などの形で生きている。
形は変わるが、その意志が損なわれることはない。
逆に言えばその分、「モダン」自身は、本来の意味以外の部分が強くなってしまっている。
モダン本人は、変わりゆく自分をどう思っているのだろう。
結構かわいそうなことになっているのではないか。
そしてそれは、モダンな人たちにも同じことが言えるはず。
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モボモガの時代を生きてないくせに、60歳以上のおばさんは「モダン」と言います。
「あら、その服モダンねぇ」
「このお菓子、モダンな味がするわ」など。
だから、大丈夫。モダンさん。
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>>モボモガの時代
モボモガは以前使ったので書きませんでしたが、よう知ってますね。
60歳以上のおばさんが担い手なら、あと20年は大丈夫か、モダン。