司会
本日の「大空に響け 俺の思い」コーナーは、ボケが異常にどんくさいコンビ「らたとぅいゆ」のツッコミ、東鳩ススムさんです。
東鳩
こんにちは。
司会
今日は、どんな思いを歌ってくれるんでしょうか。
東鳩
漫才を始めるときの、緊張感を歌い上げます。
司会
では、歌っていただきましょう。「徳永英明 最後の言い訳」です。
東鳩
「♪ ネタフリが こんなに つらいことだとは・・・ ♪」
幻想動物生態・ユニコーン
世の中には、いるんだかいないんだか、はたまた物語にしか存在しない、あやふやな生物達がいる。
ユニコーンやつちのこの類。
まぁ、いない可能性高そうだが、そんなのが、まぁいる。
今回は彼らに生命を吹き込んでみたいと思う。
勝手に詳細を決めてしおう、ということだ。
ただ、ちゃんと調べると彼らは彼らなりに知られているかもしれないが、ちゃんと調べてしまうと僕はカッパ研究家になってしまい、それはなりたくない職業のトップ3である。
なので、完全憶測とした。
◆ユニコーン
和名:
一角獣
生息地:
イギリス
外観は白馬であり、食性なども馬と等しいが、額部分の一本、円錐形の角が生えている。
また、馬よりも全体的に一回り大きく、尾もふっさふさである。
やはり、馬というよりもUMAである。
最大の特徴である角は、外敵から身を守るなどには使用せず、その用途は不明である。
しかし、よくインドの方向にその角を向けることから、インドセンサーであるという説もある。
角はクリーム色で、牛の角と同じように、頭骨から直接生えてくる。
模様などは入っていないが、成長は限りなく続く。
よって、ある程度の大きさになると、ユニコーンはプライベートな岩にて、角をぐりぐりする。
その結果、らせん状の模様が入る。
※知能はそれほど高くないようで、イギリス奥地では、ユニコーンの頭の高さくらいにある木の枝に、角だけが刺さって残されていることがある。
現地ではそれを「角狩り」と呼び、特に何もしない。
ちなみに、角は折れやすい構造になっている。
これは、根元からは折れないようにしたためであると考えられ、実際折れても、本人は気にしていない。
また、角は生まれたときには生えておらず、だいたい生後1年くらいから突起物として額に出現する。
その後、1ヶ月に1cm程度の速さで成長を続ける。
不思議なことに、角の成長はユニコーン死後も継続し、死体を放置しておくと、馬部分が角に吸収されるような現象が起こり、ついには大きな角のみが残される。
現地ではそれを、特に何とも呼ばない。
基本的に寒いところのほうが元気だが、インドが気になるだけあって、そこそこ暑くても大丈夫である。
ただ、気温が上昇するにつれ、体長が縮むことが観察されている。
そのせいか、インドでは「小さいユニコーンが机の端を横切った」との目撃談が後を絶たないが、これは幻覚であるとされている。
ユニコーンとインドの関係についてはまだ研究途中であるが、ある学者がユニコーンをインドに連れて行ったところ、ちょうど大きさが馬と同様になったという。
さらに、角がうずくようで、木にそれをこすり付けるようにして、ついには折ってしまった。
ユニコーンがインドで普通の馬になりたがる理由も、不明である。
・・・この適当さなら、いくらでもいけそうなので、とりあえず終わりに。
十一日
以前、「僕らは「情報免疫」を打ち破るものを、求めている。」とかいうのを書いた。
予想外
これはなんぞやというと、要は「こちらが予想した内容を超越するような内容の話題が、僕らは大好きだ」ということ。
例えば、おもしろ会話をしている最中に突然「おくち凱旋門!!」と言って両人差し指を相手の口にあてがってくるホリケンは、相手の予想を上回っている。
そして同時に、視聴者の予想も上回っている。
凱旋門の被害者は面白くないだろうが、こちらは楽しい。
僕なんかは「凱旋門となると、なんだかんだ言って口を塞ぐことはできない。あくまで相手がしゃべるのを邪魔するに留まる技なんだ。」とか、
「キン肉マンでサンシャインというほぼゴールドライタンが、地獄の凱旋門という技を使っていたが、あれもちょうど門の、何もないところに被害者がはまる技なので、ノーダメージなのでは?」 」とか、色々な感慨であり、ホリケンはたいした策士だなぁ、とまた感慨である。
もちろん、このおくち凱旋門も、何度もやれば僕らに「免疫」がつき、初見の衝撃を受けることはなくなってしまうだろう。
少し前、姉とくつ下について話していたところ、それは石田純一へ移行していった。
僕らのあいだで、何度もやり取りされる「石田純一」。
会話の途中、僕はおかしさで、家族を心配させるほど震え、声が出せなくなった。
なぜか。
幾度目かの「石田純一」部分が、何を間違ったのか、
姉は「石田じゅういちんち」と言ったのだ。
「石田十一日」。
気持ち、十日増えている。
これは、僕の予想には、致命的に存在していなかった。
十一日に対して、なんら対策を講じていなかった。
「ばきゅーん!!」
「うはー!!」
やられてしまった。
十一日の言い間違いは、一度だけ。
なぜ僕がひっくり返っているのかわからないまま、加害者の姉は不思議そうな顔をしていた。
卒業文集 7番
卒業文集
7番 局地的な大雨
先生、皆さん、本当にありがとうございました。
どうにか学校を卒業することができ、晴れて四季に就職することができました。
この学校での思い出は、僕のことをみんなに理解してもらおうと必死だったことしかありません。
仕方がないのですが、どうしても僕は悪者になってしまうのです。
最近、調子のよくないときが多くなり、そのときどうしても降らせてしまいます。
それが迷惑だというのです。
僕だって被害なんか出したくないです。
しかし、こうして学校には通っていますが、僕は自然現象なので、どうすることもできません。
そう叫びたいときもありました。
でも、僕が泣きそうになると、あわててみんなやさしくなるのが面白かったです。
楠田さんなんか、僕の頭をなでてくれました。
そうした学校生活は、必ずしもつらいものではありませんでした。
でも、もう卒業です。
僕は、どうにもならないときがあるので、これからも皆さん気をつけてください。
では今度、前線で会いましょう。
ことわざ
新しいことわざを考えました。
◆「からあげに口を切られる」
意味
飼い犬に手をかまれると同義。
◆「キムチ鍋に汁を飛ばされる」
意味
からあげに口を切られると同義。
◆「飼い犬に手をなめられる」
意味
癒される。
◆「アスファルトのみみず、死してなお干からびる」
意味
何の準備もせずに地表へワープすると、ろくなことがない。
◆「リア・ディゾンと煮られ損」
意味
月とすっぽんと同義。
もれなく その2
【あらすじ】
「もれなく当たる」について。
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今回言いたいことは、なんとなく「もれなく当たる」の、もれなく当たるっぽさが、足らない、と感じることだ。
「一人でも安心。固定型目薬さし器が応募者全員に、もれなく当たる」
確かに、もれなく当たっている。
ただ、もっと「もれなく当たる」感じが出せそうな気がする。
もう少し頑張れば、100パーセントを超えられそうな気がする。
スーパーサイヤ人4が、手の届くところに見えている。
そんな印象を受けるのだ。
受けない人、ごめんなさい。
ここでその印象がどうして生まれるのかを考えると、それは「当たる」という言葉が原因である、という結論だった。
どうにも「当たる」というと、例「応募を見る→はがきを送る→企画側がはがきを確認する→必ず賞品を発送する」という風に感じられるのだ。
・・・そう。
確かに今の例で、十分に「もれなく当たる」っている。
「はがきを送って、100パーセント賞品が届く」からである。
ただ、見方を変えると「もれなく当たる」賞品のはずなのに、それを発送するまで、4つも手順が必要なの?とかいう気もしてこないだろうか。
必ず当たるんである。
「もれなく」という言葉でも、必ず当たる感はカバーされている。
しかし、せっかくの「はがきを送って、100パーセント賞品が届く」ができるのだから、企画者側はもっと「はがきを送って、100パーセント賞品が届く」を強く言えた方がいいと思う。
もっと、積極的に当たることをアピールできるのではないだろうか。
どうやら先ほどの印象は、こういうところから生まれたものっぽい。
ということで、「もれなく当たる」をこう言ってみよう。
「もう当たってる」
言い換えてみよう。
「はじめてでも安心。防犯ブザー/GPS/Webカメラ搭載のおつかい用地図が応募者全員に、もう当たってる」
これなら、さきほどの「もれなく」よりは、企画者の賞品を送る気まんまんの積極さが出ているような気がしないだろうか。
「もう、お前の住所さえ。お前がはがきを送ってくれさえすれば。」
「俺たちはすぐさま賞品を発送することができる。」
「なんたって、もう当てられちゃっているんだものな。」
「そうさ。この賞品は、既に俺たちのものじゃあない。」
「そんな賞品は、すぐに発送するに限るのさ。」
こんなだ。
とりあえず、この場では「もう当たっている」の方が「もれなく当たる」っているということになる。
企画者側の人は、参考にしてもらいたい。
もし、「もう当たっている」の印象が弱まってきたなぁと感じられたときは、それは「もれなく当たる」に戻せばいいのだし。
おわり。
もれなく
「もれなく当たる。」
それは、もれる人なんていない、全員にプレゼントしますと言っている。
「応募者全員にもれなく当たる」といえば、とにかく当たってしまうのである。
100パーセント。
すごいことである。
懸賞事情に詳しくないが、当ててもらう気MAXなら、賞品を送るのも早いのかもしれない。
ただ、上記の文句はよく見られるものだが、当たるものといえば、安価というか、大量生産が可能なものが多い。
当たり前ではある。
例えば「人気漫画家○○先生直筆サイン色紙が、もれなく当たる」というものがあるとする。
そうなると、まず○○先生はホテルに閉じ込められなくてはならない。
そして、サインが時間を経るごとにひも状になってしまう。
ホテル周辺の文房具屋からサインペンと色紙がなくなる。
○○先生は漫画家をやめてしまう。
スタッフが寝ている○○先生に筆を持たせ、その下に、扇状に広げた色紙の束を滑らせていく。
○○先生が色紙を作っている工場の備品となってしまう。
こんな感じだ。
こりゃいかん。
ところで、上記のいかんくだりは、特に今回、関係ない。
ごめんなさい。
明日、まとめ。
コピー
「一戸建ての方が、地球に近い。」
うーん。
なかなかなコピーな気がします。
しかし残念なことに、僕は広告やら建築やらには明るくなく。
こんなのが頭に浮かんでも。
これでブログ更新を1日持たすってのも、どうも。
泣きたがる見せたがる
本日のディスカッション
「近頃の、泣きたがりについて」
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中略
?結構前から、泣けるモノがひとつのカテゴリになってるよね?
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「なんだか、みんな泣きたがっているんだよね、さっこん。」
「お。昨今って、ひらがな読みすると、なんかかわいいね。」
「お前、ひらがな読み、どのくらい練習したらできた?。」
「確かにうまいね。ちゃんとひらがなになってるもん。」
「ひらがな読み、とりあえずよくね?」
「そうだった。みんな泣きたがっていることについてだった。」
「それ、部活動として考えてもいいのでしょうか。」
「もちろん。」
「面白いのは、ただ泣きたがってるだけじゃない人が、少しいるんだよね。」
「と、言うと?」
「泣いてるのを見せたい、って人もいるんだ。」
「そんな人、いるか??。」
「もちろん、ほとんどはそうじゃないよ。素直に、どうしようもなく泣けてきて、結果見られちゃった、みたいな。」
「普通、そうでしょ。」
「でも、例えば映画なんかを見に行くとき、誰かと一緒だったら、そりゃ泣くのを見られる危険性をはらんでいるわけだよね。」
「危険、って。」
「これはやっぱり、単に感動する、泣く以上の、何かを求めようとしているよね。」
「お前、やなヤツだな。」
「10年来。」
「君、年来の使い方、少しへんかも。」
「ただ泣きたいだけなら、アイテムを手に入れて、一人で堪能すればいいんだし。」
「泣きたいなら、夜に湖に出かけて、その岸辺で一人、月明かりを浴びながらしろよって、テレビで大竹まことが言ってた。」
「そうかもしれないけどさ。でも、そういう映画を誰かと見るときにはさ、互いに泣く見るどうこうの考えなんて抜き、でいいじゃない。」
「そうだけどね。確かに十分。でもそれも、さっきの「何かを求める」の「何か」、によると思うよ。」
「うん。その何かが「悲しいの→なぐさめてよね」だったら、愛いヤツ!!となるけど「悲しいの→涙が出るの→腹が減るの→ディナー」とかだったら、ちょっとやだね。」
「そういえば、泣いたあとはなんだか腹減るよね。」
「よく、泣きながら大盛り定食を食べてる人、いるもんね。」
「いるか?。そんな漫☆画太郎に出てきそうな人。」
「ちょっと、出し入れ激しすぎね?」
「同意得られないんだね。泣きながら大盛り定食を食べてる人って。」
「同意が得られていないのは、部長です。」
「・・・うっ。そ、そんなことないだろ。捕らえ方の違いだろ。」
「すいません。間違えました。」
「・・・。」
「いつも同意が得られていないのは、部長です。でした。」
「・・・・・・うっ。うっ。」
「まぁ、そんなことまで涙で求める人も、そんなにいないでしょ。」
「そうかもね。」
「となると「泣きたがる見せたがる」の関係はアベックにとって、ちょっと進んだコミュニケーション法なのかもね。」
「アベックって。」
「じゃあ、対。」
「君、じゃあの使い方、少しへんかも。」
「うっ。うっ。」
「・・・でも、それは対、2人までの話しだなぁ。」
「副部長まで、対って。」
「確かに3人以上でその「泣きたがる見せたがる」がいると、少しめんどいな。」
「うん。そして。」
「うっ。うっ。」
「見せたがってないのに泣いてるってのも。」
「・・・だね。」
飴色伝言板
駅には、もう伝言板なんてないのかな。
最後に見たのも覚えてない。
とかいって、まだあったりしたりして。
まぁ、そのくらい意識していないわけだ。
ところで、大人になったら、黒板に触れることなんてあまりないはず。
だから、伝言板なんてあると、懐かしい。
学生時代を思い出したのか。
駅の伝言板を指でなぞる。
指先が薄くしろづく。
伝言板を夕日が照らし、二分する。
めがねが赤く染まる。
そんなサラリーマンを見たことが、あるでしょう。
お父さんの指先がチョークまみれだったことが、あるでしょう。
あんなこと、こんなこと、あったでしょう。
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よくわからない流れですが、僕には、なんとなく「これ伝言板に書いてあったらよかったなー」というものがあります。
1.
用件欄・・・○○中学校○組 卒業おめでとう!!
名前欄・・・生徒一同
2.
用件欄・・・選挙当選発表時、当選者欄につけられるバラ
名前欄・・・当選者
3.
用件欄・・・正子 例の件 全て済んだ 連絡くれ
名前欄・・・父
4.
用件欄・・・今日の日付と「日直」
名前欄・・・駅員名
5.
用件欄・・・冠婚葬祭でお悩みの方に
名前欄・・・株式会社 不死オリエンタル
6.
用件欄・・・昨日の巨人戦 勝敗
名前欄・・・残りゲーム数
7.
用件欄・・・正子 豚ばら肉 卵 にんじん
名前欄・・・母
8.
用件欄・・・今日の受け渡し場所
名前欄・・・駅前噴水そば
とりあえず、こんな感じ。
こうみると、学校関連がありますね。
やっぱり、ですね。
伝言板は、どうしても懐かしさを感じさせるものなのです。
それは、誰だって同じことなんだよ。
ほら、お父さんの指先がチョークまみれだったことが、あるでしょう、正子。