観光目的で教会やら寺院やらを回ったのだが、そのとき、僕は帽子をかぶっていた。
一般的に帽子をかぶったまま建物の中に入るのはだめ、だったような気がする。
そんなことを思い出し、境内に入るときに僕は帽子を脱いだ。
ところで、帽子を脱ぐという行為は、何を意味するのか。
寺院、教会もしくはそこに奉られているものに対する敬意だろうか。
後世にまで影響を与えているのである。
そら帽子を脱がないかんな。
でも、一方でこんな言葉を思い出していた。
「人の残したものが、そのまま永世残されると思うか?。」
「残るものは、自然そのものだけだ。」
うーん。一理あるね。
人の作った物理、精神的なもの。
どちらでも、いつかはなくなるだろう。
人がいなくなっちゃったりすると、なおさらだ。
まぁなんだ、両方大切なのだなぁ。
次はなにやら宝石店へ向かうことに。
そこでは肉食動物の目をした店員さんたちが、僕らを狩ろうとしている。
要は、なんか買え的な雰囲気だ。
でも、僕は教会で、帽子を脱ぐことで敬意を払ったのだ。
ここでは帽子を脱ぎ、何も買わないことで宝石に敬意を払おう。
カテゴリー: 雑文
鍵の数
僕らはいつからか、誕生してからそう長くないころに、言葉というものを知る。
声をかけられたり、本を読んでもらったり。
そしてまた遠くない日に、部屋に置いてあるお菓子の箱に書かれている字をどう読むかなどを、たずねる。
そんなこんなで、次は色々なものを読んでみる。
こんな感じで小学校などに行くと、簡単な物語を読むこととなる。
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ここまでのシーンにおける言葉の「読み出し」は
わたし、であったり、
ビスコ、であったり、
テレビ、であったり、
はんにん、であったり。
まぁ、言葉だ。
ところが、いつごろだろうか。
僕らは「人の話す言葉から始まる文章」に触れることとなる。
出だし、いきなりカッコから始まる文章だ。
「これは、レモンのにおいですか。」
いつか触れた、教科書に載っていた物語(白いぼうし)の、確か最初の一行。
このとき、僕は気になってしょうがなかった。
「カッコからはじまってる・・!!」
忘れてしまっている人も多いかもしれないが、この手の文章に触れたとき、何かしらの感動や衝動があったはず。
その理由は「カッコから始まる」ことが完全に予想外なことだったからに違いない。
当時は「いきなり喋りだして。お前は誰だ。」みたいな印象を、カッコ未経験者は持っただろう。
今でも、カッコから始まる文章に触れると、少しだけどきっとする。
「おい、見ろよ俺。カッコから始めて、読者の心をつかもうとしているぞ。」
僕も無理やりやってみたりするけど、ムズい。
カッコから始めるということについて作者は、明らかに読者に対してかなり積極的に何かを働きかけようとしている。
文章のノウハウなどはまったく知らないが「カッコから始まる文章」は読者にとって、何か、なんかだ。
悪く言うと、ワナっぽい。
もちろんいいワナなんだろうが、何か手中に収まる感が気に食わない!!という方。
何か本を読むとき、カッコから始まっていたら、心の扉をひとつ、閉めたほうがいい。
まぁ、そんな方は既に閉まっていそうだ。
ちなみに僕は、閉めた後で鍵をなくして、久しい。
旅行2
教会とは、なんだろうか。
そこに用事のある人以外、いまいち捕らえにくい建物ではある。
「こないだ行った教会は、天井が高かったよ。」
これは教会の説明としては、どれほどのものなのだろうか。
まぁ、この方向で行くと「神社、砂利がひいてあったよ。」や「お寺、誰もいなかったよ。」が生まれ、そんなこんなでなかなか解決しない。
ところで、教会のことはよく知らなくても「懺悔室」は知っている。
教会において、どのようにその部屋が存在しているかはわからないが、よく映画などで見られる、
神父さんと懺悔者が、服役者と面会者ライクな仕切り板を通して話すヤツ。
「子供の頃殺しまくったコオロギが夜な夜な夢にあらわれ、私を苦しめるのです」
「懺悔なさい」
実は、それほどこの言葉は笑わし文句ではなく、大人になってから、虫を殺したことを後悔する人は、案外多いのではないかと思う。
とにかくこんな感じだ。
こないだ行った教会は、天井は僕の予想通り高かったのだが、懺悔室もあった。
いや、僕はもっとちゃんとした「室」を想像していたのだが、それは教会本部屋(一般的な一戸建てで言うところの、テレビを置く部屋)の片隅に「低い壁で仕切られた領域」として存在した。
そして、その中には一つ、小さなイスがぽつんと置いてある。
もしかしたら懺悔室ではなく、懺悔ゾーンとかいう、別のものかもしれない。
ところでこの懺悔ゾーン。
小さなイスの両側には、先ほどの「服役者と面会者ライクな仕切り板」があるが、イスの目の前は全開である。
そしてその仕切り板、両側ともに会話用の穴が無数に開いているのだ。
実は僕、その椅子に座るのが神父さんなのか懺悔者なのかがわからないのだが、例えば神父さんが座るためのものなのだとしたら、両側の板に存在する穴は、両側から懺悔することができることを意味している。
夫婦喧嘩の相談に来た夫婦が、同時にその行為を同一神父さんに懺悔することができるのである。
圧倒的なのろけ。
神父さんはどうかなってしまうのではないだろうか。
もしくはケンカのつづき。
やはり、神父さんはどうかなってしまうのではないだろうか。
また、小さなイスが懺悔者のものであるとするなら、神父パワーがダブルである。
圧倒的な浄化。
懺悔者はどうかなってしまうのではないだろうか。
教会でどうかなってしまった人が出てきた、という話は聞かないので、教会はどうかなってしまうようなところではないようだ。
教会とは、なんだろうか。
消去法の道のりは、長い。
受動ヒーロー4 ?あしたのために・・・?
昨日から。
【あらすじ】
こんな変身始動ポーズはいやなんだ。
・メール受信
・つまづき
・古い友人との運命的出会い
ところで、変身を解除するポーズってあるのかな?。
僕は知らないね。
でも、変身解除は自分の意思でできないとなぁ・・・。
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多くのヒーローが、一見すると「変身解除トリガーを持っていない」こと、そして「変身解除は自分の意思でできるはず」を前回までに述べた。
ここから考えられることは「変身解除トリガーが見当たらないのは、それがかなり日常的な行動に隠されているから」という憶測である。
例えば「深呼吸」。
前々回に「ヒーローは、変身状態だと少し興奮している」という声紋鑑定が出ているので、とにかく気持ちを静めるという効果も期待でき、有効かも。
だが、それだと一戦交えてる最中の一呼吸で元に戻ったりしてしまうかもしれない。
戦闘中にいきなり変身をとくヒーローに対して、敵は「こいつ、俺を馬鹿にしてる」と思うに違いなく、死活問題である。
「変身始動トリガー」にも言えたことだが、結局日常的な動作が「変身解除トリガー」だったら、マズいのだ。
そこそこユニークでなくてはならない。
では、トリガーは「変身よ、解けろ!!」と強く念じることはどうだ。
これは「興奮よ、収まれ!!」と念じれば収まるかどうかに置き換えてもよいだろう。
この念じは、何か山伏的な修行を積めば可能かもしれない。
しかし、彼らが精神鍛錬を欠かしていないかどうかは不明ではあるが、僕には、最近のヒーローに藤岡弘を感じられない。
とりあえず(といっても、戻る気は無いが)鍛錬していない方向で進ましてもらう。
となると、ヒーローにはやはりお手軽目立たない、それでいて複雑な「変身解除トリガー」が必要なのだ。
む、難しい・・・。
まず考えられるのは「変身始動トリガー」をもう一度行うことである。
おとといの「こんな変身始動トリガーはいやだ」で考えると、
・メール受信
特定人物からのメール着信で変身し、もう一度着信が入ると変身が解除される。
おそらく一件目の件名は「変身よろ」、2件目は「解除よろ」であろう。
ヒーローの携帯電話を入手し、「変身よろ」と「解除よろ」メールの時間の合間に送信されたメールがあれば、
それは変身中に送信したメールと言え、それはわざわざ変身中にもかかわらずメールを打たねばならなかったという、
何かしらの意味を持つ相手ということが伺える。
・つまづき
つまづくことで変身し、つまづくことで変身が解除される。
夕暮れ、つまづくためだけに、石ころばかりの川原を一人歩くヒーローに乾杯だ。
・古い友人との運命的出会い
偶然古い友人と会うことで変身したのだが、またそんな偶然を起こさねば変身が解かれない。
悲しいことに、変身時に出会ってしまった友人は、もはや古くない。
また、変身時の古い友人は、ヒーローの変身を目の当たりにして、友人であることをやめてしまったかもしれない。
ヒーローとしては、新規友人がいくら増えたとしても、変身時の「古い友人リソース」として彼らが役立つのはまだ先と言える。
変身のたびに変身始動、変身解除トリガーが減る危険性があることに、ヒーローはやりきれない矛盾を感じるのだ。
・・・。
「変身始動トリガー」を「変身解除トリガー」としても使用するには、2重の悲しみをヒーローに求めなくてはならなくなるようだ。
なんだろうねぇ、「解除トリガー」。
そういえば、なんか敵を倒したとき、「勝利のポーズ」をとっていたヒーローがいたような気がする。
あーいうのか・・・?。
やっぱり、ポーズなんや・・・。
4回にわたる駄文により、ヒーローは変身のためにポーズをとるばかりか、その解除にも何らかのトリガーが必要であることが示唆された。
せめて、変身解除トリガーは「危険が去ったあと、斜め45度を見上げ、思いふけること」とかであってほしかった。
いま、彼らヒーローは、ポーズといういやなトリガーを変身始動、変身解除時の2回行わなくてはならないのである。
その姿は正義、勝利というポジティブな理由に対して、なかなか悲哀に満ちているのだ。
悲劇のヒーローとはよく言ったものである。
彼らにとって悲劇は、基本的に週2回訪れる。
受動ヒーロー3 ?衝撃!! デビルラーはデビラーだった!!?
昨日から。
【あらすじ】
こんな変身始動ポーズはいやなんだ。
・メール受信
・つまづき
・古い友人との運命的出会い
ところで、変身を解除するポーズってあるのかな?。
僕は知らないね。
=======================================
昨日、変身するときに行われる「変身始動トリガー」に対して、敵を倒し、その変身を解きたいときに使用されると思われる「変身解除トリガー」が全く見当たらない、と書いた。
しかし、例えばウルトラマンにおける「例の3分間」は、変身から3分経過が「変身解除トリガー」と言えそうかも、とさっき思った。
でも、これは「変身解除うんぬん」とかいうよりも「そもそも変身の限界が3分」ということだろう。
何かが、変身の律速となっているのである。
全てのヒーローがそうではないかもしれないが、やっぱり多くのヒーローは「変身時は、いつもより何かを使う」ようだ。
となると、ヒーローにとって「変身解除トリガー」が存在しないのは、ちょっと変な気がする。
変身の用が済んだら、速やかに一般人に戻りたいところ。
「いつもより使う、何か」を使い切らなくては変身が解除できないというのは、ちょっと京都議定書とかに反しそう。
また、戦っている最中に「こいつ、変身するほどでもなかったな」と思ってしまうような敵が相手の場合、何かを使い切るために番組ラストでオーバーキルをカマさなくてはならないだろう。
道路工事か。
効率が悪い。
なんか、あるやろ。
次回「変身解除ポーズ」について。
いつもより多く伸ばしております。
受動ヒーロー2 ?強敵!! ネオデビルラー出現!!?
昨日から。
【あらすじ】
こんな変身始動ポーズはいやだ。
・メール受信
・つまづき
・古い友人との運命的出会い
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昨日、特撮ヒーローの変身について書いた。
その途中、あることが気になった。
「ヒーローは変身始動時にポーズを取るが、変身解除時は特に何もしない。」
たいていの特撮ヒーローものは「変身解除トリガー」というものが見当たらないと思う。
もしかしたら見逃していただけかもしれないが、少なくともあまり聞かない設定だ。
ところで「変身始動トリガー」と「変身解除トリガー」について触れるには、そもそもヒーローにとっての「変身」を定義するのが必要だ。
「ヒーローにとっての変身状態はどんなもんなの?」という疑問について考えなくてはならないだろう。
今、我々は特撮ヒーローは何かしらの「変身始動トリガー」を持っていることを知っている。
それは言い換えると「変身と通常」を切り替える必要、さらに「いつも変身状態、それはちょっと。」というヒーローの身体的な何かの理由があることを意味している。
その理由とは。
もちろん「ヒーロー仕様の派手な格好」が日常生活に支障をきたすから切り替えるんです、というのも大きいだろう。
しかし、根源には「いつも変身状態だと、疲れる」という理由がある、と考える。
彼らは変身中、跳ぶ、蹴るなどの動作が通常時よりも飛躍的に上昇していたり、番組後半でかなりのエネルギーっぷりな光線を体から発したりするからである。
この理由から推測できる「変身状態」とはなんなんだ。
変身後の身体能力向上を踏まえると、体に劇的な変化が生じていなくてはならないだろう。
また、身体機能にかかっている「これ以上は骨折れます」的なリミッターが解除された状態なのかもしれない。
この手になってしまうと、もはや「空想科学読本」カテゴリの方がよほど有用であると思われる。
当ブログとしてはとりあえず「変身モードと通常モード」で声紋鑑定を行ってみるのがいいのではないか、と濁しておく。
僕は「変身状態は少し興奮している」という結果が出るのではないか、と推測する。
受動ヒーロー
「特撮ヒーローが変身するとき、奇妙なポーズをとるのはなぜか?」という疑問を投げかける文章を、僕はいくつか見てきた。
こういう話は概してゆるおもろい。
詳細を覚えていればもう少し攻められる疑問だが、あいにく記憶がフォーマットされてしまっている。
あの手の変身ポーズに必然性があるとすれば、それは明らかに「変身に不可欠」ということで、
「変身前に無性にポーズをとりたくなるのです。」
「こういうポーズがあると、出資者が増えるのです。」
という理由で行われるのではないだろう。
そして「変身に不可欠」ということは、ポーズが変身のトリガーもしくはパスワードのようなものと考えて間違いない。
もしかしたらポーズの動作は「内臓はすみっこに移動させて・・・」みたいな意味を持っているかもしれないが、細かいのはおいといて、とにかく必要なのだ。
今回は「この動作が変身始動トリガーだったら困るな」というのを考えてみた。
・メール受信
携帯電話に、ある特定人物(斑鳩指令本部長)からYou’ve Got Mailすると、変身してしまうのである。
おそらく受信時のピコピコ光るのが特定のリズムを刻み、それが「何とか膜」や「何とか体」を通して人体に入り込み、全身に
メールリズミネーションが展開、変身となる。
事件は会議室で起きてるんじゃないわけだが、変身は起きてしまうんである。
ヒーローはすばやい退室を、一般人より多く心がける。
間に合わないときは「ちょっとすいません」と一声ことわる事を心がけながら、あいにくの変身となる。
ちなみに彼女からの電話が来ても、ある意味変身しているよね、との周辺スタッフからの確かな情報。
※一応「返信・・・変身」をかけていることを明記しておく
・つまづき
そこらでつまづいたら、変身が始まってしまう。
おそらく、足の人差し指に当たる部分がON/OFFのスイッチなのである。
このような動作が変身始動トリガーだと、必然的に高齢になるにつれ変身頻度が上昇する。
また、上記「メール受信」がある程度突発的な事件に対して対応できる(事件起こる→本部長が事件を確認→ヒーローにメールを送る)
変身始動トリガーであることに対して、今回の「つまづき」は、それが自体がちょっとした突発的事件であり、
いわゆる「融通が利かない」。
わざとつまづくのは、難しいことなのである。
したがって、事件の知らせが入ると、ヒーローはまず、川原に向かう。
・古い友人に偶然出会う
この始動トリガーも「つまづき」タイプであるがゆえ、「融通が利かない」という同様の懸念点がある。
「どのくらい古い友人からトリガーとなり得るのか」という点にも関係するが、
なによりもその友人から「お前、ずいぶん変わったなー」と言われること、うけあいである。
---------------–
うん。
やだね。
変身後、いくら経験しても慣れないので、少しだけうろたえるヒーローが目に浮かぶ。
次回「変身状態」について。
境内
神社や寺を訪れたときのたのしみと言えば、人の願いをのぞき見ることである。
でも最近は、時期のせいもあるか。
絵馬には受験関連のことがらが多くて、ひとつ味にかける。
「僕以外の人の願いをかなえてください。」
というのがあったりしたらいいのだが。
周りの絵馬が欲望のかたまりに見えること、うけあいだろう。
僕の想像上、薄命の美少年が書いたことにしておく。
寒い日に神社に行って風邪をひき、薄命なのだ。
「トーシューズに画鋲を入れないでください。」
というのがあったりしたらいいのだが。
そこに奉られている人が入れてました、みたいになっている。
僕の想像上、薄命の美少女が書いたことにしておく。
画鋲の傷がもとで、薄命なのだ。
流行っている寺社には、絵馬がすずなりだ。
それをかなえる方も疲れると思うので、癒し的な願いを書いたものも入れてあげたほうがいいのだ。
上記のトーシューズの件などは、「へへ・・・。おれじゃねっつーの!!。」
というツッコミが聞こえるかもしれない。
こころの耳で聞け。
もし聞こえたら、「ですよねー」と言え。
ともだち、ともだち。
ちなみに僕が今まで見てきた絵馬で秀逸だったのは、
願いメイン部分に、かまきりが卵を産みつけていたものだ。
まきこみ
あるところに「幽霊居酒屋」という感じの店があります。
その前をよく通るのですが、そこでは「ひゅ?どろどろどろ・・・」という、例の幽霊登場シーンのBGMが聞こえてくるのです。
これが、僕は大嫌い。
何故かというと「まきこまれている」から。
例えば、普通に道を歩いている。
近くに花屋があるとします。
この情景は
「花屋」
「道を歩く人」
となるでしょう。
もちろん、幽霊居酒屋でも、
「幽霊居酒屋」
「道を歩く人」
となり、なんら問題はないのです。
あのBGMが流れなければ。
しかし、いったんBGMが流れ出すと、
「幽霊居酒屋」
「幽霊登場シーンのBGMが流れるなか、道を歩く人」
となってしまうのです。
まして、敏感な人なら
「幽霊登場シーンのBGMが流れるなか、それをさも聞こえていないようなそぶりをして道を歩く人」
とかなってしまうのです。
ただ、目的地へ到着するために歩いているだけ。
その曲なんか、俺は聞いていないぞ。
でも、その情景に「まきこまれてしまった」。
やだあの人、幽霊登場シーンのBGMが流れるなか、道を歩いているわよ。
やだなぁ。
くだん3
昨日からのつづき
【あらすじ】
パクチーのようなものを食べた。
おとといからの流れをまとめてみると、
1.僕はフォーを食べた。
2.くせのある青葉があった。
3.僕はパクチーだと思った。
4.けど、決定的なパクチー判定ができない。
5.僕はパクチーのようなものを食べた。
となる。
恐るべきは3.である。
前回も書いたように、僕は「ベトナム料理に入っている、くせのある青葉」という点から「パクチー」ではないかと推測した。
これは本来「パクチーを食べたら、やたらくせがありました。そうですか、ベトナム料理に多く使われるんですか。」とされなければならないと思う。
すなわちパクチーは、その食材自身に出会う頻度に対して、そのイメージに触れる頻度がより高い。
言い換えると、この食材は味覚から接することよりも視覚、聴覚から接することが、先になっている場合が多いのだ。
パクチーを食べる前に、既に何かのメディアでパクチーの詳細は伝えられてしまっている。
それは視覚から得れらたものかもしれないし、聴覚かもしれない。
「ウチくる!?」の中山秀征から得られたかもしれないし、「クイズところ変れば!?」の、画面外から伸びてくる手の持ち主の想像イメージがあなたの脳に直接感じさせたのかもしれない。
とにかく、味覚以外の感覚で、人は「パクチー」に触れている。
そしてそれは、本来味覚でしか獲得し得ないような、強烈なイメージを人に植え付ける。
パクチーを食べたことはないが、「それはベトナム料理に入っている、くせのある青葉である」ということに、うなずかない人はいないだろう。
経験の有無に関わらず、そのイメージのみが、ただ息づいているのである。
それが経験ののち、それ自体には左右されずに具現化する。
これは、なかなか怖いことになっているのではないだろうか。
パクチーイメージ、恐るべし。
逆にいうと、今回はパクチーでよかった。
経験に対して先行しているのがせいぜい「くせがある」という「味覚」程度だけだったから。
それ以外の、まぁ「嗅覚」を除いた感覚でそのようなことが起きたら。
いや、既に起きてるかも。
目の前の料理が僕にこんなにも恐怖を与えるとは。
どんぶりを見る。
もう、からになってずいぶんたつのだ。