長いお別れ

弱肉強食の世界に謙遜というものがあるとすれば、こんな感じだろうか。
「ちょっと食べさせてもらいますよ」
となるともう片方も「胃の方、拝借させていただきます」と一言。
それから「おじゃまします」、「一休みさせていただきます」となるか。
どちらにせよ、謙遜すぎるのも考えものである。
ただ、これは捕食間際の話であって、もっと前から「すいません、追っています、追っています」というのがあるだろうし、「ああ、じらしてすいません。逃げちゃって」が対として存在する。
となると「お腹へらしちゃってすいません」、「そんなにおいしくなくてすいません」てのもあり、いろいろだ。
しかし奇妙なことに、この流れは収束する。
「生きててすいません」
謙遜というよりは逃避である。

犬がほら 服を着てる

犬に服を着せることが特殊だった時代は日本ではもう終わり、むしろどんな服を着せているのかぐらいの話になっている。
かわいいが、不思議といえば不思議なことである。
うちの猫も毛が薄いので、なんか着せている。
主人の葬式に喪服姿で連れてこられる犬。
しかし度が過ぎているというのもある。
今書いたのが、まさにその典型的な例だ。
犬の喪服を用意し、着させる心理的余裕がある。
そうとらえられてしまう。
ウェットスーツを着せられてサーフボードの先頭に立つ犬。
わからないが、溺れるのではないだろうか。
縁日などで見られる、犬のふうせんに車輪の付いたもの。
ぜんぜん話が違うのだが、僕はこれの意味することがいまいち分からない。
まあ、全体的に度が過ぎてはいけないのだ。
なんとなくだが、「喪服姿で改札に来るハチ公」というのを思いついた。
通りがかりの人はそれを見てこう思うだろう。
「もう死んでるって分かってるやん」

執着

実力のあるサッカー選手や野球選手を一言でいうと「ボールに対する執着が強い」となりそうだ。
一時的に観客席やゴールへとボールを放さなくてはならないが、それも一種の執着、愛情表現とでも言えよう。
この観点からすると、一番いいスポーツはラグビーだろう。
「執着」と「しがみつく」ということが、非常に相性がいいためだ。
世の中に「執着されていないもの」はあるのだろうか。
例えばペットボトルのふた。
ほとんどの人にとっては、それは「ふた」以上の何者でもない。
しかし僕の机の一番上の引き出しには「クー」のふたが大量にある。
描かれた「クー」の表情が違うため、何となく集めてしまったのだ。
そこらに転がっている小石だって、ただの小石である場合もあれば誰かが必死に見つけようとしているまさにそれなのかもしれない。
ただこれは「執着」というよりは「思い出」みたいなものだろう。
思い出を胸に疾走するラグビー選手。
なんかの角川映画みたいだ!!。

悪夢

ちょっと大きめの小豆かな?。
もう完全に人と小豆を馬鹿にしている、ごきぶりの卵である。
クロレッツのハードミント的な味のやつかな?。
そんなものが家にあったら、それは確実にごきぶりの卵である。
何をそんなに、クロレッツに似せる必要があるのかと問いただしたくなる。
それにして、どれもこれも食べられちゃうものに似せている。
どうしろというんだ。
今日のそばがらの枕、粒子粗くない?。
これなら悪夢を見ろ!!で分かるのだが。

変化

寒い季節になってきて、朝がつらい。
やっと外気にさらされる事のない建物のなかに入り込めたと思ったら、なんだかそこには落ち葉が。
たくさんではないが点々。
それが階段でも見られ、最終的にある部屋へと続いていた。
風も雨もあったから、誰かの靴にでも付いてきたのだろう。
しかし、これを「完全にたぬきのスパイが侵入している」と考えていくとちょっとおもしろい。
一枚だけ拾った落ち葉を眺めながら考えていた。
人間の建物の奥の部屋まで来られるという事は、確実にそのたぬきは化けている。
でも、その術の何らかの副作用で、歩くたびに落ち葉が落ちてしまうのだ。
そのリスクを考えると、長い間はいられまい。
早足で建物から去る者がたぬきのスパイだ。
たぶん尻にしっぽも残っているだろう。
あるいは、斥候のようなやつが先に侵入。
自分の侵入経路を次の侵入者に伝えるべく、落ち葉を落としていったのだ。
木の葉舞うこの季節を侵入時期に選んだ事を考えると、策士である。
そして入り口でたむろするやつらが本隊か。
恰幅もいい。
いや、もしかしたら術の有効時間が決まっていて、タイムリミットがせまったときにすぐ再術を施すために必要な落ち葉を手に入れるため、前もって要所要所に落ち葉を置いたのだとも考えられる。
おそらく額に落ち葉をあてると、再術が可能になるのだろう。
それなら、ずっと落ち葉を見ていようか。
なにげなくそれに近づいたり、手に持ったりするやつが、タイムリミット間近のやつだ。
俺だ。

録画機能

ドアホンのカメラ機能について、「録画機能もついて、さらにお得!!」みたいな感じのCMがやっていた。
この録画機能でお得な事と言ったら、なんか犯罪的なことしか思いつかない。
強盗に入ってきた犯人や悪質な業者などの映像は、時として裁判沙汰なところでは決定的な証拠になりそうで、その点お得と言えなくもないが、その前にかなり嫌な事象を経験しているわけで、なんともお得かどうかは難しい。
ということで、防犯を目的としての「ドアホンのカメラに録画機能があります」はその機能よりも、CMを流していること自体が重要なのだろう。
ドアホン間で話した内容が町内放送に流れます
ドアホンは取り外し可能となっていますが、取り外した物を自宅から数メートル離すと爆発します
ドアホンの向こうから猛犬が吠えます
ドアホンのボタンがそのまま110番にもつながります
まずドアホンの下に設置されている手錠をはめないと、ドアホンが使えません
女性でも、ドアホン越しの声が男性みたくなります
これはCMのいらない例。
最後のはアリかも知れないけど。

休日

いまのところ、ギャンブルに興味がない。
と言うと、人生は日々ギャンブルだからそんな言い草はないだとか、そういう人に限ってハマるのだとか、とののしられそうだ。
ただ一つはっきりしているのは、興味のないことが、健全性や自己管理どうこうに紐づいているのではない、ということだ。
どうもめんどくさそうに見える。
競馬新聞のデータ量は、手練風の老人とすれ違っただけでも十分にわかる。
恐ろしい量だ。
しかもそれが、意味を持つ。
今後起こりうる結果を表すものとしても、直接的な損得を自分に与える情報としても。
それに比べて理科年表、辞書や格闘ゲームのフレーム表は情報は多いが、そういった職業でもない限り、上記のような息詰まるようなものはない。
気楽だ。
そういう理由で、ちょっとギャンブルは敷居が高い。
とか思っていたら、難しいことは省いて、お手軽に馬券の買えるシステムがあるという。
買ったことはないが、うまくいけば手間をかけずにお金が増えたり、かけひきを楽しめたりする点で、いいかもしれない。
しかし何となくこれには賛成できない。
休日に競馬新聞を持つ老人とすれ違えないのは、休日ではないからだ。

口頭記述

今回は「老後すくすくガイドライン」への寄稿、どうもありがとうございます。
いえいえ
ちょっといただいた原稿で字の見づらいところがあったので、ちょっとお聞かせ願えませんか。
ええ、いいですよ
まず最初の方「老人たちのコミュニケーション」のところで、何かおじいさん同士のふれあいみたいなところがありますでしょ。
はい
そこがよくわからないんですけど。
ああ、「おじいさんニッチ」のところですね
「おじいさんニッチ」?
先日電車に乗っていますと、普通のときは温厚そうなおじいさんなんですけど、他のおじいさんが近づいてきたりするとき、すごく相手を威圧するような怖い顔になるんですよ
僕は最初、その優先席をうばわれまいとする心が現れたなどと思っていたのですが、違いました。
もう少し広かったです
この世界では常におじいさんは一定数なのです。
多少の増減はあると思いますが、それもある数で平衡となります。
そのため、あらたなおじいさんは既存のおじいさん枠を圧迫する訳で、その不安と「この枠は渡さんぞ」という意思がそういう顔になって現れていたんです
なるほど。
原稿のほうはどうしましょう?。
削除しましょう
すいません、あともうひとつだけ。
最後の方にある「幸せな最後を迎えるには」の欄。
はい
そこにランキングがあるじゃないですか。
はい
1の「老衰」とか並んでいるんですが、7位のところが読めなくて。
ちょっと待ってくださいね。えっと、7位・・・
6位の「自宅であっというまに」は読めるんですが。
ああわかりました、コラーゲンボールで窒息、ですね
「コラーゲンボールで窒息」ですか。
ええコラーゲンボールで窒息、確かにそうでした
なるほど。
原稿のほうはどうしましょう?。
削除しましょう

2回目

結婚式に持っていくための祝儀袋の結び方を調べていたとき、その結び方にはこんな意味があることがわかった。
「この結び方には、二度と繰り返す事がないようにという願いが込められています」
一度結んだらほどけないかららしい。
病気していた人に対しての退院祝いか何かだったら、二度と繰り返さないように。
いい。
だが、結婚式の場合は、なんとなく「余計なお世話なんじゃないだろうか」という気がする。
「いやーおめでたいですね。でもこういうのは1回かぎりにしてくださいよね」
幸せそうな新郎新婦に向かって言う内容じゃない。
「ね、これ一度結んだらほどけないの。ね。わかるよ、ね」
うーん、もうたたく。
どうも2回目ないよねとかってのは、ちょっと踏み込みすぎるのだ。
「つらいときもあるかもしれませんが、二人で乗り越えていってください。陰ながら応援しています」という意味の結び方があればよかったのに。
つらいときもあるかもしれません
→袋がしわしわ。
二人で乗り越える
→紅白2本のひもで袋をしばる。
陰ながら応援しています
→すこしだけお金見えてる
この状態の祝儀袋が表すのは、どう考えたって「おれ、おまえらの結婚祝ってない」であり、よろしくない。
そして「袋がしわしわ」で「ひもで袋をしばる」が表すのは、なんとなく粗暴な猫の去勢方法だ。
ほんとひどい話。
で、今回はこんな終わりというんだから、僕も驚きです。

勘違いローテーション

僕はずっとAKB48の「ヘビーローテーション」という曲を「ヘビーローテーション」だとは思っていなかった。
ぷっちょの曲だと思っていた。
正直、「ぷっちょ」という曲名だとすら思っていた。
一方、iTunes Storeの上位にある「ヘビーローテーション」という曲があるのも知っていた。
だが聴く機会がなく、同じものだとは知らないままだったのである。
書くまでもないが「ヘビーローテーション」を聴いた日は、僕がそれまでの人生で一番「ぷっちょ」と口にした日になった。
僕は「ぷっちょ」の商品コンセプトがあまり好きではない。
おそらく白地の部分は乳性の味が、なかに果物味のグミが入っているものと推測しているが、個人的にフレッシュな果物となめらかな乳性のものが混ざってはお互いのいいところを殺してしまうのではないかと考えているから。
したがって、僕はそれまで「ぷっちょ」を口にしていなかったし、そういった意味でも口にしていなかった。
そんな僕が一番「ぷっちょ」と口にした日。
それが「ヘビーローテーション」を聴いた日だったのだ。
このような勘違いは往々にしてあるものである。
僕はずっと「ふくろはぎ」だと思っていた。
自分に備わっているあれは、ふくろはぎである、と。
けど、本当は「ふくらはぎ」だそうじゃないですか。
以前に書いたが、「キンカジュウ」というほ乳類を「機関銃」と思っていたりもした。
最初。
最初だ、重要なのは。
誰かが悪意を持って幼少の僕に「ふくろはぎ」を教えたか、あるいはその人も勘違いしていたか。
勘違いの原因たりえるものが最初にきてしまうと、もはや防ぎようがない。
その勘違いはあるタイミングまで確固たる知識として存在し続けるだろう。
しかしある段階で「それ、ふくろじゃなくてふくらだよ」が判明してしまうわけで、それはすこぶる恥ずかしい。
勘違いの原因。
もちろんさきほど挙げたものに加え、より有力な候補なのは、聞き間違えだ。
以前、ある曲を聴いていて、要所要所に「ポメラニアン」という歌詞が出てきたことに疑問を覚えた事がある。
何の事かともやもやしつつも日々をポメラニアン事情以外のことに費やしていた。
そしてあるとき、ぱっと理解できた。
あれは「ほめられた」と言っているのだ、と。
どう転がっても、この手のことは誰しも経験していることだ。
回避はできない。
回避するとなると、AKB48は「あれはぷっちょという曲でした」と会見し、人体に関する学術書では、記述があるとすれば「ふくろはぎ(ふくらではない)」と修正、ほ乳類の項のもくじに「機関銃」と書かねばならない。
そして歌手は「歌詞の前後を無視してポメラニアンと叫びたくなったのだ」と虚偽の吐露を行うのである。
こんな回避の方法を模索するなら、真摯に恥を受け入れよう。
さもないと。
例えば空耳アワーで「ちんこすごい」と聞こえるジャングルブックの曲があった。
この歌手に「日本語でちんこすごいって聞こえるんだって?。残念だな、実は本当にそう歌っているのさ」と言わせる事になる。
もうしわけなさすぎる。