カブトムシが存命

まだカブトムシが元気で、たいしたものだ。
さすがに寒くなると駄目かもしれないが、こうも元気だと白熱灯でもつけて越冬をもくろみたい気もする。
昔読んだ本で「オオクワガタに動物性タンパク質を与えると長生きする」というのがあった。
また子供だったから、その頃飼っていたカブトムシにはそれを実行できなかった。
というのも、それはラードと市販の樹液を煮込むといった仕込みが必要で、母親が断固拒否する要素満載だったのである。
今与えている虫ゼリーを調べてみると、「動物性タンパク質」とある。
これのおかげなのだろうか、カブトムシの元気さ。
しかし見てくれは少々変わってきた。
メスはともかく、オスはいつも首が少し曲がっており、一回もいだのをあわててつけたみたいにぐらぐらさせている。
加えて羽が半開き。
ぼろぼろという言葉のぴったりなオス。
やはり寿命が近いのだろう。
しかし虫ゼリーの栄養価のおかげで生きながらえている。
そんな印象だ。
ところが最近、あることに気づいた。
オスのお尻のところに大きな付着物があるのだ。
それはまさに付着物で、いぼのよう。
ぽろりと取れそうだ。
最初は大きなダニかと思った。
見たことがあるのだ。
飼い犬の耳の柔らかいところに引っ付いていたダニを。
彼らは血を吸い、体の大きさが数倍になり、それはあずきみたいになる。
いま、生あずきを食んでいた方には申し訳ないが、とてもよく似ているのである。
その点も含めて、とにかくダニは嫌だ。
カブトムシにつくダニは小さく、わっさーたかる性質のものしか知らない。
だからこのカブトムシに付いた大きなダニは、その不明さも手伝って、気持ち悪い。
しかし、その突起物はダニではなかった。
いじると取れそうだが、確かにカブトムシと繋がっている。
どうも、腫瘍のようだ。
あるのだろうか、カブトムシに腫瘍。
確かに寿命なのだから、体の一部がそんなことになってしまうこともありそうな気がする。
しかし、馬鹿にする訳ではないが虫だ。
腫瘍を作れる機能を成虫時にも携えているものなのだろうか。
そう考えると、一方では虫は腫瘍研究において「使える」素材なのではないかという気もしてきた。
世代の回転は早いし、構成はかなり異なるが中枢を形成するような神経系もある。
そして子供に人気がある。
何はともあれ、子供に人気があるのは重要である。
「今まで何匹ものカブトムシの腫瘍を治してきたんだから、パパのガンもあそこの薬を使おうよ!!」
こんな感じ。
もちろん何匹ものカブトムシを腫瘍で亡くすわけであるから一概には言えないが、少なくともカブトムシを前面に出していくような会社は信用できるから、不思議なものだ。
え、そうでもない。
そうだよね。

どくろを置いたら

このブログの書き出しで多いのが「みんなでー!! ぱっちょむ!! ぷぷるぴーの!!」ではないのだが、たいていは「最近気になるのがね」だ。
それ。
正直、そんなに気になってない。
むしろゼロの勢い。
ゼロというものに勢いがあるかどうかは難しい所だが、そんな中で最近気になるのが「どくろマークの下でクロスする大腿骨みたいなもの」だ。
どくろマークはわかる。
危険なんだ。
毒薬。
自爆スイッチ。
海賊。
どれもちゃんと危険。
しかし多くのどくろマークには下、あるいは背景としてクロスした骨っぽい骨がある。
あれはなんなんだろうと思う訳だ。
調べてみると「トーテンコップ」というどこかの紋章に、それが特徴としてみられるらしい。
しかし「クロスした骨っぽい骨」の詳細はなかなか見当たらない。
まず考えられるのが「威圧説」だ。
どくろでも十分威圧的でデンジャラスだが、さらに大腿骨を添えることで、もう骨満載。
おまえこれ触ったら大変だぞ、大腿骨もこうしてやるぞ、を存分に出している。
添えるといえば「どくろを置いたら
=====
ここで、下書きが終わっているのである。
一体、なぜこんな中途半端なところで書くのをやめているのだろうか、5月の私。
【添えるといえば「どくろを置いたら】
続き、僕が知りたいわ。
今考えるとするならば、「どくろを置いたら転がってしまう。どくろは安定性が悪いのだ。だから大腿骨を添えて転がらないようにする、箸置きみたいなもの」だろうか。
ということで、今回はフリーシナリオシステムを採用。
自分だけの「どくろを置いたら」を楽しもう。

側転

マンネリが続いてくると、少しは刺激が欲しくなってくるものらしいのである。
ただ刺激といっても、赤信号を側転で横断するとかになると刺激レベルはひどく高い。
その後マンネリを感じなくて済むかもしれないが、ギャグ漫画のような吹っ飛ばされ方をしても文句は言えない。
「吹っ飛び中も側転してる!!」
これでは刺激どうこうというよりは希代の側転好き。
そしてマンネリ問わずすべてを感じなくなってしまうかもしれない。
刺激とは言っても、ほどほどの刺激だ。
肩こりの電気治療機の強弱スイッチを玄関の呼び出しベルと連動させるのはどうだろう。
これ自体はいまいちだが、考え方を変えると「肩こり電気治療機をリモートで操作する」という面白そうなものになったが、すぐに「ぷっすま」じゃん、となって萎える。
しかし何かをリモートで操作できるようにするというのは、まだ面白いかもしれない。
例えば折り畳み自転車をリモートで操作できたらどうだろう。
もちろんここでの「操作」とは、誰も乗ってない自転車がふらふらとしていることではない。
折り畳まれた状態が、リモートでしゃきーんとほどけるのだ。
それはちょうど自動車のかぎをリモートで開けるような感じだろう。
乗る前段階として、かぎをあける。
乗る前段階として、折り畳みがほどける。
より実用性を下げようと考えたとき、この流れで思いつくのは「傘」だ。
リモート操作で、傘がばっと開く。
これは結構面白い。
遠目でばっと開いた傘を見たとき、僕たちはもう「開いた開いた」以外の何を思うというのだろう。
ズボンのチャックはどうだろう。
目覚まし時計はどうだろう。
ひげそりはどうだろう。
マンネリの話は、どこに行った。

わた毛

クラシックを聴きながらぼんやりしていると、耳の中がかゆいような気がしてきた。
耳かきを探すと、例のわた毛が取れてしまった、短い耳かきが見つかった。
僕はあの、耳かきのわた毛があまり好きじゃない。
何度か使うと茶色くなるし、猫がいつもアレをなめるのだ。
だからうちの耳かきのわた毛はいつもぱっさぱさになっていた。
その耳かきを手にとり、何かメモったりしながら耳をかき始めた。
こういうのをけがの功名というのだろうか。
耳かきを終えたときに気づいたのだが、どうやらわた毛が取れて先のとんがっていた耳かきを、スプーン側を使っているつもりでとんがり側を使っていたようだ。
そして、すごく大きい耳あかが取れた。
これは結構すごい発見なのではないかともう片方の耳で試してみる。
こんなとき、本当に耳が両側2カ所にあってよかったと思う。
対照実験としてやりやすいことこの上ない。
しかし本能が、とんがり側をスプーン側のように使うのをためらうのか。
大きい耳あかは取れそうになく、耳の中が痛いだけだった。
片耳だけ痛いのは、けっこう嫌なものだ。
その差異ばかりが気になって、どうもちゃんとぼんやりできない。
そんなとき、僕の好きな曲が流れてきた。
僕は姿勢をただし、耳に穴があくくらい、よく聞くことにした。

β化

メモしたときは案外面白いと思っていたものでも、後日それを見ると自分が心配になる。
そんなものも数多い。
「かぴかぴの米粒がついていたらいやなものは何か」
かぴかぴの米粒は、その主成分であるデンプンがβ化したもので、炊いて調理した「ごはん」がもとの生米に戻ってしまった状態とも言える。
β化というところだけを見るとなんだかかっこいいが、我々の体験からしても、あまり「かぴかぴの米粒」は歓迎されるものではない。
袖などについていて、気づかず電車に乗ってしまったかと落胆しながらそれを取る。
そのとき衣類の繊維を巻き込んで剥がれるそれを見て、「食べられるかな」とすら思わぬ。
そんなものがついていたらいやなものとは何か。
メモには例が一つもない。
普通に考えると卒業証書やトイレットペーパーの三角に折られたその頂点とかだろうし、本気なら箸先だろう。
しかし冒頭に連ねたように、かぴかぴの米粒は何についていてもいやなものである。
ENTERキーについていてもいやだし、シェフが巻いているストールみたいなやつにもよくない。
歯ブラシのさきにもだめだし、冠婚葬祭のときに着用する黒のネクタイにもいかん。
スマートフォンのタッチスクリーンについていたらもうそれを使いたくなくなるし、ボーリングの球の穴付近でもそうだ。
そもそも一番そういったシーンに陥りやすい「しゃもじ」ですら、いやなものはいやだ。
こうなるとむしろ「かぴかぴの米粒がついていたら良いものは何か」という方向性も考えられるが、ここは当ブログのツンデレなところで、実はさきほど例としてあげたもののいくつかが「良かったり」するわけである。
卒業証書だと、その内容の読点(、)の箇所だけかぴかぴの米粒だったりすると良い。
「あれ俺、服部栄養専門学校卒業したっけ」
そんな気分になる。
シェフが巻いているストールにかぴ米がついていて、それを咎めた客に対して「これが本当の正装なのです」と答えられたら、どれほどの人が反論できるだろうか。
そこまで踏まえると、ストールについているのは良いんである。
いやだ、あるいは良いということなら、今の所は「右頬」とかが僕のなかでは有力だ。
これは出社した重役の頬でもいいし、変な話ミイラの頬でもいい。
「頬」なら、それぞれにいやなドラマ、良いドラマが期待される。

こねる

「モチのつける洗濯機」というものを考えたとき、「モチをつく、あるいは洗濯をするという動作に類似した他のやつはないか」という発想を、普通するものだ。
以前、餅つき機について触れたことがあったと思うが、そのときの餅つき機はパン生地こねも兼ねていたと思う。
要は、作製時の動作が似ているのだ、モチとパンは。
そうなるとハンバーグ生地も行けるのではないか。
カレーを焦がさないようにもできるのではないか。
そして洗濯をすることができるのではないか。
とアイデアが出てもおかしくないのである。
餅つき機に入りそうな衣類は靴下1ペアくらいだろうから、逆に洗濯機。
米粒の抜け落ちてしまいそうな穴をふさいで、餅米と水を少々。
ドラム式ならなんとなく、昔あった「ぽんがし」機にも見えて、効果的だ。
そして「念入り仕上げ、毛布コース」。
乾燥を終えたブザーがなり、中をのぞいた僕たちは無造作に転がっている大福を見るんである。
そしてお母さんが一言。
「内緒で小豆も入れてみたの」
いつも一手先を行く洗濯機業界。
次の標的はあなたかもしれない・・・。

ファンになりたい。2

昨日からのつづき。
【あらすじ】
何かのファンになりたい。
=====
考えてみると、例えば僕は「夕食ファン」ではないだろうか。
ほとんどの場合で、毎日夕食を欠かさない。
その必須な感じが「ファン」ではないだろうか。
しかしこういう反論があるだろう。
「ファンは生きていく上で必須でないのに、それを欠かさないようなことを言うのだ。本当に必須なものは「しかたない」だ」
必須なものは愛好の対象外である、という考え方だ。
この考え方だと「呼吸ファン」や「見ファン」「触ファン」なども「ファン」ではないというレッテルを貼られてしまう。
しかし本当に、必須なものは「しかたない」だけなのだろうか。
すでに挙げているように、呼吸は生きていく上で必須だ。
しかし「さわやか高原での深呼吸」はどうだろう。
必須プラス何かの影響で、それは「しかたない」どころか好んでやってしまうのではないか。
あるいは見ること、触ることは必須に近い。
だからといってその全てをしかたなしにやっているとは到底思えないのである。
もちろんこれらを細分化することで、前提を保持しようという考え方もできる。
「今挙げられた例は、深呼吸ファンであり、好条件下でのみ見ファン、触ファンである」
「それらは必須ではないから例外的にファンと見なせるが、やはり呼吸、見、触自体はファンとは見なせない」
「消費ファン」はどうだろうか。
生きていく上で、消費者たる我々にとって消費は必須で、毎日その才能をいかんなく発揮している。
それは単に「しかたない」のだろうか。
例えばデジモノステーションとか?。
いやあ好んじゃうけどなあ。
必須じゃない消費なのか?。
本当にそうかなあ。

ファンになりたい。

社会人としての世間話で言われているらしいのが「宗教、政治、野球は持ち出すな」で、もちろん例外その他多そうだけど、案外的を得ているのだろう。
どれも個人的、かつ理由はともかく固執しやすいものばかり。
そのなかでも一番「軽め」と思われるのが「野球」だろう。
「ファン」と呼ばれる彼らは、歴史上で球団間に起こった事件ですらあたかも自分たちの問題であるかのごとく扱うことがある。
それが重度である可能性も考えると、むやみに「ドアラきもい」とかは控えた方がいいのである。
いや、ドアラきもいは褒め言葉か。
先日、「ファン」という言葉を使ったとき、自分はあまり何かのファンであったことはないなと、がっくりした。
ゲームは好きだが、最近は30分くらいやればもう十分という気分で、1日1時間のノルマも達成できない。
読書もあんがいだが、最近は発売日に買うような本を、そもそも調べない。
何かのファンなら、その対象の挙動に一喜一憂、もう少し日々が楽しいような気もする。
知人がアイドル狂時代だ。
口を開けばももクロももクロであり、楽しそうだ。
今から僕もファンを始めることができるだろうか。
ファン初心者に向いている「対象」はなんだろうか。
いろいろあるからな、対象。
そのなかでも一番「重め」と思われるのが「宗教」だろう。
「信者」と呼ばれる彼らは、歴史上で教団間に起こった事件ですらあたかも自分たちの問題であるかのごとく扱うことがある。
それが重度である可能性も考えると、むやみに「ビブーティむせる」とかは控えた方がいいのである。
いや、「ビブーティむせる」は褒め言葉か。
器官の病を治しそうという点において。
ということで、ここで「ビブーティ」を例に出すということはまぎれもなく「重め」と僕が感じているわけで、とにかく「宗教ファン」は敷居が高い。

エネ

確かに、パチンコやゲームセンターと、省エネの相性はよくない。
例えばパチンコ屋さんが省エネになると、まずパチンコの玉が排出孔から5cmくらいしか飛び出ないだろうから、まずは排出孔付近をパチンコ玉で満たす作業が必要になる。
そして開閉するところは閉じたまま。
あの開け閉めにはエネがかかるのだ。
面白くない。
ゲームセンターだって、UFOキャッチャーはアームのにぎる力が弱くなる。
ぬいぐるみをなでるくらいになる。
エアーホッケーは油が塗られることになり、遊んだ後は手のひらがてっかてかになる。
面白くない。
しかし何より「相性がよくない」と言わしめるのが、BGMやゲーム機からの曲が流れなくなることだろう。
ジャラジャラ、あるいはカチャカチャという音のみ。
自分が今、何をやっているかを恐ろしく雄弁に語る「ジャラジャラ」「カチャカチャ」。
二度と行きたくなくなるかも。

フリスク胃にしみるの巻。

忙しかったりすると食欲が失せる。
そのせいで1日をフリスク1箱で過ごしたりすることもあり、よくない。
まず1日でフリスクがなくなるのは、よくない。
食事として数えるにはアレだが、フリスクとしては食べ過ぎだ。
そして1日それだけでも一見、問題なく過ごせているのがよくない。
こういうのはたいてい、どこかががんばっているから「一見問題ない」なのだ。
ともかく4食を抜いている。
プチラマダンである。
そして忙しい分には空腹を感じないので「このまま長い間食事をしなくても大丈夫かもしれない」と変な期待をしたりした。
しかしちゃんと翌日には腹が減ってしかたがなかったので、かったい鳥丼をおいしく食べた。
「尿意を我慢することで膀胱を膨張させ、それにより胃を圧迫、満腹感を得る」
そういう方法はあるのだろうか。
というのも、プチラマダンのときはトイレに行く時間も惜しんでいたりするので、そういう作用もあるのかと考えたのだ。
どちらにせよ、今回の話題は不健康なことばかりで、そうでないものと言ったら「かったい鳥丼」くらい。
噛み合わせ良くなりそう。