長い間生きてきたけど、よくわからないこと、というのは結構あります。
小学生の頃、国語のテストで「そのとき、誰々はどういう気持ちだったでしょうか?。」という問題には困ってしまった人も多いのではないでしょうか?。
ちゃんと何かがわかるんでしょうが、何が分かるのか気になります。
「結婚したときの家庭での立ち振る舞い」が分かるとかだったら多くの人が母校に殺到しそうだし、当時の情操教育のあり方を考えさせられるでしょう。
そのほかにも同じように、ずっと僕を悩ませている言葉があります。
それが「印象主義(印象派)」というやつ。
「印象派絵画の大きな特徴は、光の動き、変化の質感をいかに絵画で表現するかに重きを置いていることである。」
今Wikipediaで調べたら、こうだそうです。な、なるほど・・・。
「写実主義などの細かいタッチと異なり、荒々しい筆致が多く、絵画中に明確な線が見られないことも大きな特徴である。」とも。
ちなみにWikiによると、印象主義の画家には愛・地球博のマスコット、モリゾーもいるとのこと。印象主義が身近になりました。
彼もどちらかというと荒々しい感じがするしね。
どうも区分がよく分かりません。印象主義の絵って何かもあもあしてるけど、ある意味細かいなー、みたいな感じもしますし。
そして、絵ですらよく分からないのに、音楽にも印象主義というものがあるらしい。ちなみにみんな大好きドビュッシーはこちら側に属しているそうです。
僕は音符が読めないのでどういうことなのか見当もつかないけれど、たぶんそれまでの定石をうまいこと覆したのか、もしくは譜面の音符が漫画チックに書かれていたかのどちらかに違いない。
とにかく絵画、音楽ではこのような派閥が分けられるらしい。
なんとなく、高木ブーは印象主義だけど、仲本工事は写実主義に違いない。
また、自動車は写実主義だけど、そのハンドルだけがぽつんと置いてあったら、たまらなく印象主義のような気がする。
これ、たぶん捉え方間違ってますね。よう分からんなー!!。
もう寝ますよ。
あ、僕のふとんが印象主義だ。
荒れに荒れている・・・。
追記
今回何故このような悲しい流れの話になったかというと、この間「印象」をさかさまに書くと「象印」になることを発見したからです。
カテゴリー: 疑問結論など
スピーカー越しのささやき
「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」
さおだけ屋さんのことを真剣に心配している本が出て話題になりました。読んだことないのでウカツなことは言えませんが、
1.地域一体型を目指した義理人情型商法。赤ちゃんのいる家の近くでは音量を下げる。
2.僕らの印象の持ち方に問題があって、結局案外売れるもの。でかいから、あんまし買いに行けないしね。
3.国家事業。あの長いのを垂直に持っていると、強くなった気分になる。
のどれかだと思う。
けど、他にも原因はあると思う。そしてそれは本の中にも書いてないだろう(書いてあったらごめん)。
ある3?4年前の日曜日、ある声を聴いて、姉と僕は驚いた。
「たーけや?、さおーだけ?・・・。」
活字ではいつもと一緒。しかし、
「さおだけやの声が、色っぽくなってる!!。」
そうなのです。
いつからか、おっちゃんの声ではなく、女の人の声になっていたんです。
しかも不二子ちゃん系。
こんな路線変更があっていいのでしょうか?。決して「さおだけ」と言わなそうな声質がそう言う。日曜の朝を、驚きと田原総一朗をもって目覚めた男性も多かったことだろう。
地域性などが非常に気になりますが、それはプロに任せたいと思います。
あの時(声の人のオーディションをしたとき)がさおだけ屋さんの転機だったに違いない。
聴いたことない人、必聴。
悪魔の子が机を運ぶ
部屋には目覚まし時計という「すていき」なものはないので、携帯電話のアラームがその役割を果たします。
僕は2度寝推進連合に所属しており、アラームを起きる前の10分前に鳴らし、アラームが鳴ってから10分間の2度寝タイムを獲得するという自己完結型(?)な生活を送るような強硬派だ。
さて、ちゃんと2度寝もしたことだし、起きるか。
と、ケータイを見てみるとそこは阿鼻叫喚魑魅魍魎の世界。戦慄が。
なんか知らないけど、いっぱい「99999・・・」って表示されてる!!。
普通ならアラームを消すときに寝ぼけて違うとこ押したという風に考えますが、僕の豆腐みたいな脳はそう考えるようにはできていません。
僕くらいの歳になるとまず思い出されるのが「校庭に机並べて9って文字を書いてみました」事件である。
結構昔なので、知らない人も多かろう。
今や平成生まれがバブバブどころか、尊敬謙譲丁寧語を使い分けられる時代である。説明しよう。
ある朝、どこぞのぽんぽこ中学校の校庭に突如として「9」が現れた・・・。
そんな出だしで始まるこの事件は確か、一夜にして学校の机が持ち出され並べられて、校庭にでっかい「9」が作られたとかいうもの。
生徒がオカルトな理由で作ったんだか、どうだったか・・・。
確かに気味悪い事件ではあるが、ちょっと暗黒な学校行事程度みたいな感じもする。
どうせだったら、「夜中に学校を綺麗に掃除しようとして、暗闇の中、机を校庭に出したんです。片付け忘れてしまったんですが、朝来て、それが「9」を描いていることに気付いたんです!!。」くらいのがほしいところだ。よほどこわい。まんじゅうよりこわい。
僕がこの事件で印象に残っているのは、マスコミのヘンな取り上げっぷりだった。
その中でも珍妙なのが、「売れているタレント抹殺予告」説というもの。
要は、「光GENJI (7人) + 少年隊 (3人) = 10」で、一人を殺してしまうから「9」なのだ!!、という説。
どこから光GENJIと少年隊が湧いて出てきたのか、何故足さねばならないのか、どうしてどこぞの中学校の校庭で、机を使って予告せねばならなかったのかなど、考えるだけで夜寝られないくらい楽しくなってしまう説だ。
また、今となっては、むしろ光GENJIと少年隊の絶大な人気っぷりを象徴しているようにすら聞こえる。
とりあえず、明け方に生徒がケータイをいじった確率は、確率というものを持ち出すまでもなく、無い。
それゆえ、僕の「999999・・・」は、オカルト方面であることには間違いないようだ。
たぶん、「うつーづん」の仕業だ。
「うつーづん」は頭がいい。
連発されて一番気味悪い数字は、9だと考えているからだ。
きまわりのうた
キマワリ:
しょくぶつポケモン。いつも木の近くにいるところからこのように名づけられた。いつもは温和だが、木を切るものに対しては容赦しない。「モキー!!」と鳴く。
かどうかは知らないが、今日の「キマワリ」は甲虫目 ゴミムシダマシ科。
北海道から九州まで生息しているという、いうところの「カブトムシ」の仲間です。
こないだ、家の近くを久しぶりに散策しました。写真撮影が僕の趣味の一つであると思い出したからです。
我が家から自転車を5分もこげば、そこはギアナ高地かはたまたロストワールドか。
イケてる風景と生物がてんこもりの田んぼ + 川辺に到着します。
とりあえず田んぼ。
歩き回ったり、田んぼを覗き込んだり、農道を這いつくばったりしていると、たまーに通る農家の人が、「なにがめずらしいんだか」的な視線を投げかける。
でも、大丈夫。
僕より年上のおっちゃんが近くで這いつくばってる。
彼はスイレンの花を美しく撮るがために、そんなポーズが必要だったのだ。もう、他人は関係ないのである。
僕とおっちゃんは田んぼを踏破した。互いに寄らない話しかけないのは、カメラ野郎としての暗黙の了解もしくはおっちゃんが僕のことを嫌いだったかだ。
しばらくすると、おっちゃんは満足げにママチャリで行ってしまった。
おっちゃん。戦場での絆、ファインダー越しでも感じたぜ・・・。
僕は、なぜか台車に乗せられたハス、小さなゲンゴロウ、何に使うんだかわからない4車輪の物体が撮れたことで田んぼに満足。
近くにある神社付近に行くことにした。
川付近にあるこの神社は、なかなか綺麗なところだ。
しかし神社の入り口は奥まったところにあり、少し離れた散歩コースと続いているような感じなのである。
よって、「ちょっと遠出してます」みたいな日焼けマウンテンバイクたちが必ず神社の入り口まで来てしまい、Uターンせざるを得なくなるようなトラップ神社でもあるのだ。
僕は、日焼けマンたちを遠めに見ながら、少しはずれた水路へと向かった。
ここは、具体的に言うと「まむし注意」看板が頻出しているような場所。人がこない分、面白い。
僕が最初に心奪われたのはカワトンボ。ひらひらと飛ぶ、綺麗なトンボだ。
そしてそのカワトンボを奪ったのは僕のカメラではなく、ギンヤンマだった。カワトンボはつかまって、どっか連れてかれちゃった。
なんともダークなすべりだしの川辺探索だったが、カワトンボは腐るほどいたことと、まむし看板によりダークも何も意味をなさなくなった。
風景は「水の流れる空中庭園」を想像していただければ合っていると思う。こじんまりとしているが、落ち着く場所。
はい?。
「水の流れる空中庭園」って?。
あるでしょ!!。キミのこころの中に・・・。
ここでの探索、一番の成果は「かなへび」を撮ったこと。
僕は人としてオーラを消すのが得意らしく、被写体のかなへびは、最初は緊張していたが段々とリラックス、大胆なポージングを見せた。
最後は神社境内。
神聖な場所なので、控えめに撮りまくった。
灯篭はブレた。
虫の死んだのを捕まえてたムカデは、キモかった。
けど、少し息を吹きかけたらエサを離して逃げてしまった。
この日、僕は少なくとも2匹の虫を不幸にしてしまった・・・。
神社の階段は、撮り方でずいぶんと迫力が出た。
そして、帰ろうとしたとき。
階段で「きまわり」を見つけた。
図鑑では「郊外ならどこにでもいる」とか書いているが、僕はほとんど見たことがなかった。
キマワリにたどり着くの、長かった!!。
僕の人生的にも。
ブログ的にも。
何で「キマワリ」に、こんなにも夢中に書けるかというと、その名の由来が「木の辺りでうろうろしているから」という、冒頭のくだりとさほど変わらないような話を覚えていたから。
「何で神社の階段にキマワリが・・・。」
階段のキマワリは名の役目を果たすこともなく、微動だにしない。
キマワラないキマワリを見るとは、くるみを割らないくるみ割り人形を見るようなものである。
つまり、くるみ割り人形を見たことがない。
違う。
つまらない。
ので、帰ろうとしたところ、その近くに積んであった木の幹に。
いるいる回ってる回ってる。
たくさん「キマワリ」がいるんである。
「日本キマワリの会」なるものがあれば、僕は震える手で電話をしていただろう。
数もさることながら、ちゃんと忙しそうに回っている。さっきのヤツははぐれ刑事だ。
リスは、森の中で忙しそうにドングリなどを探したり、埋めたりする様から「森の執事」という二つ名(?)を持つという。
キマワリよ。
リスが執事なら、お前は「森の木回り」だ。
よかったな。
回っとけ、回っとけ。
ガラスの靴
誰かの弁によると、人間は本来、誰でも喋りたがり屋なのだそうだ。
一見、木工用ボンドを手に塗って乾いたのをはがすことが趣味っぽい人でも実はそう。場所が変わったり、人が変わったりするだけでおしゃべりになる、おしゃべります。
一番顕著にそれが見られるのは、その人にとって得意な分野の話になったときではないでしょうか?。
会話のイニシアチブをとることに、人間というものは案外貪欲です。
わざと少しマニアックな話題を提示して、自分の流れに持っていくという人は多いんではないでしょうか。
こういう状態のとき、他の人はどうすればよいのでしょうか?。わけあって、流れを変えることができない、無視できないというとき。
もちろんその流れについていけるのであればそうして、反撃のチャンスをうかがうこともあるでしょう。
しかし相手としては、「これは皆知るまい!!。」というネタを振っている場合も多いです。
こういうとき、我々は一つの罪を犯しがちです。
「知ったかぶり」。
今、ネットの辞書に「知ったかぶり」がないことにかなり驚いていますが、こいつはかなり使っている人、多いでしょう。
日本語は便利なものです。
「あー、あれね。」
「例のヤツね。」
相手がいやな人でなければ、これでどうにか会話に食いついていけるわけです。
また、それどころか
「あの人、最近つめ伸びたよね。」
「あのドラマのプロデューサーって、○○○では雑草その一の役でしょ?。」
などの具体例を挙げることができれば逆に主導権を握れることも(秘技イニシア返し)。
仁義なき戦いなのであります。
そんな菅原文太ライクな日々に疲れてしまったアナタ。
「知らなかったぶり」はいかがでしょうか?。
得意な分野でも知らないフリをして相手に合わせます。
自分は楽できるし、相手はうれしいし。
「エー?、それってほんと?。」とか入れます。
自分の話を興味を持って聴いてくれる人を嫌いになるはずありません。
こちら側も、何だかアニキ」的な気分になれるかもしれません。
大人の階段のぼった感じ。
また、これを続けていくと、いままで「これ知らないと恥ずかしい!!」とか思っていたことも素直に聞けます。そして教えてくれます。
ただ、「知らなかったぶり」もほどほどにしないと、「知ったかぶり」以上に煙たがられる可能性もあります。
会話には、「喋る力」と「聴く力」というものがあると思います。
「知ったかぶり」は両方に効果なさそうだけど、「知らなかったぶり」は「聴く力」が養われそうな感じです。
いいこと言った。
今日はいいこと言った。
みんな!!。
いろんなところで使うがいい!!。
既に似たこと言った人!!。
自分が作ったみたいに書いて、ごめん!!。
ちなみに僕は両方ダメなので、そのうっぷんをこのブログに当ててるわけですなー。また、今回のお話は明日のブログが少々マニアックになっちゃうことがわかったための言い訳でもあります。
ひめくりメランコリー
ここに、一冊のノートがあります。
タイミング的に、「デスノート」でしょうか?。
ちょっと開いてみましょう。
「羽」→「着脱式」
「家計簿」→「エリンギ」
「ラジオ」→「壊れかけそう」
うん。やっぱりデスノートだ!!。
よし。ふで持ってこい、ふで。
嫌いな人、清書したる!!。
さて。
うーん。なんでしょう。
昔なつかし「連想ゲーム」でしょうか?。
「連想ゲーム」知ってる人はこんなブログは読んでないんではないでしょうか?。
・・・
これは、3?4年前に書いたネタ帳です。
ほぼ白紙ですが、これでひとネタ(誰にも頼まれてないのに・・・)やったりしました。
しかし、本来門外不出のもののはずですが、僕はよく机の上とかに忘れてしまうこともしばしば。中を見られたこともありました。
けど大丈夫。
うんちゃらコードじゃないけど、ほぼ暗号。
僕以外の人は、何が書いてあるんだかわからないらしいのです。
それもそのはず。キーワードしか書いていないからです。
もう少し見てみましょう。
「プラレール」→「行列のできる寿司屋」
「ファスナー」→「一期一会」
「あなたの健康を損なう恐れがあります。」
「プッチン機能」
なんか、わかりやすいものもあると思います。
これを想像したりして面白いと思う人は、詩とか書いて心を鎮めたほうがいいと思います。
ちなみにこの中でやったネタは、
「プラレール」
「ファスナー」
「プッチン機能」
です。
イチオシは「プラレール」、2000円くらいのプラレールとそのレールを自費で買いました。
そしてすぐじゃまになりました。
誰を射たらパジェロなのか?。
どんな人だって、「これウケるんじゃない?。」というような話を2話くらいは持っているんじゃないでしょうか?。
めったに起こらないような実話や、友達の友達に聞いたような話。
僕も1つ、あります。
たいがいの場面では忘れていて、時々思い出すと「絶対おもしろいよなぁ・・・。」と、「はんすう」しています。
今日も書くことないので、それを発表したいと思います。
東京フレンドパークにて。
今日のゲストはどこかの球団の人だ。
番組も佳境。ダーツ投げだ。
「パジェロ!!、パジェロ!!。」
台の上に立ったセカンドあたりの人は、緊張の面持ちだ。
そして関口宏が「はい、回して!!」といった瞬間。
その人が乗っていた台が回り始めてしまうのである!!。
どうですか、皆さん。
このように、映像だと案外面白そう(と思っている)なことでも、活字にすると、死んじゃうでしょ?。
なので、これを読んだ人は一仕事してもらわなくてはなりません。想像してもらわなくちゃイカンのです。
いろいろとイメージしてみてね。
銀粘土、再始動。
僕の数少ない趣味の一つに、「銀粘土細工」があることを思い出しました。
銀粘土は東急ハンズなどで売られており、そいつをねって、かたちづくって、ミニ釜で焼けばあら不思議。
シルバアクセの出来上がり。
当ブログコメンテーター、あきひともご乱心。
違う。
ご愛用の、何だか楽しい図画工作なんです。
指輪一個分くらいの銀粘土は1000円くらい。
この金額をどう思うかは、主にお昼ご飯にどのくらい金額をかけるかによって異なるが、そう高くはあるまーに。
あるまーに。流行らせようと、いつか使いました。
また、この粘土は高温で焼かないと銀にならないけど、今はコンロで焼く用の釜も登場しています。
作り方は、まず粘土を好みの形にします。放送コードにひっかからない形で。
次に、それをすごく乾燥させます。かつおぶしくらい。
そして焼く。やまんばギャルくらいに焼く。
焼いたあと、一心不乱に磨けば、出来上がり。
結構できたら感動的です。
僕は今まで、4個だけ作りました。
というのも、まずはその模型を作ることから始まるので、手がかかるんです。
現在、僕はそのアクセサリを一つ、たえず身につけています。
そして思う。
「これをつけた人が幸せになりますように。」
我ながらキモい。
けど、効果があるみたい。
僕がそれを身につけてると、ツいてないんだ。これが。
次の人のために、僕の幸せを吸い取ってると見える。
融合する五感
こないだ、友人である「はせの字」との、お好み焼きやさんでのひとこま。
「五感が融合しだしたら、面白そうだ。」
そんな切り出し方をした。
「達人ともなると、舌先だけでなく、指先でも味を感じるというではないか。」
辺見庸著「もの食う人びと」にこんな話がやんわり載ってた。
インドの人は、慣れてくるとインドカレーを手に取っただけでうまいまずいがわかるということらしい。よくわかりません。
とにかく、触覚と味覚が融合すると、こんな感じになるかもしれない。
五感の融合。
なんかのネタになりそうだと思ってた。
ところで、ここのお好み焼きやさんは自分では焼くことができない。
エビやら肉やらキャベツやらが混ざったタネを持ってきて、勝手に焼いてくれた。
コテでたたくと怒られそうなので、もう少し融合について考えてみた。
前にも書いたけど僕たち人間、見た目大好き、視覚動物。
なので、視覚と他の4つの感覚の融合は理解しやすそうだ。
また、動物の特徴などを見てもヒントが得られそう。
いつか、魚には全身に味を感知できる器官があるとか聞いたかも。
そばを通っただけで「うまそ!!」とかわかっちゃうわけだ。
モグラなんかは視覚はほぼなくて、嗅覚とかだろうから、それもある意味融合した結果といえなくもない?。
しかし、嗅覚と聴覚が融合したらどーなるんかなぁ?。
また、これが3つ巴、4つとかなると、さらにどうなっちゃうんだか。
五感が融合しだしたら・・・。常人には思いつかない。
六感ぴーんなのか、ニュータイプになるのか、伊東になるのか魔美になるのか。鉄格子の付いた病院に入らなくちゃいけなくなるのか。
よくわからないけど、五感ってのは重要だから、ずいぶん昔から人類はそれを獲得していただろう。腐ったものを食べないようにしなくちゃいけなかっただろうし、怪我したことは赤で認識しなくちゃいけなかっただろうし。他のもいろいろ。
そんなこんなで「五感の融合。」
ちゃんとイケるとこイケないとこを調べたら、おもろなるんじゃないかな?、とかを産業スパイに注意しながら話してました。
そして、てきとーな時間が過ぎた。
目の前にはそう、おおざっぱに言って5種類くらいの材料が融合を果たして、湯気を立ててた。
7942、下駄箱で剣を構える。
修正しがたい勘違いがある。
「ギブス」と「ギプス」。
「シュミレーション」と「シミュレーション」。
「消耗」は、本当は「しょうこう」だし、「堪能」も「かんのう」だったりする。
世界最大のトカゲはコモドオオトカゲという人もいれば、それは違っていて、ニューギニアオオトカゲが最大だという人もいて、「修正しがたい勘違い」という言葉を使う。
けど、ギブス、シュミレーションでも十分通じるし、しょうもう、たんのうは慣用読みとして、マツケンサンバくらいの市民権を得た。
トカゲは正直どっちでもよいので、これらは比較的安全な勘違いであると思う。
けど、僕が昔から犯されている勘違いは命にかかわる。
1.下駄箱前でなぜか着替えを始めてしまう。
2.試練に遭遇したとき、ふと「セーブすればいいじゃん!!」と思ってしまう。
3.タラちゃんあやとりで背中がつる
の3本立て。とても危険。
1.たぶん勘違いのきっかけは小学校のときのプールと思われる。下駄箱前で靴ではなくベルトに手をかけるわけだ。
デンジャラスボーイであったし、デンジャラスマンとして現在に至っている。
2.試験なんかを控えたとき、「セーブしとけばやり直せる!!、あたまいー!!」と思いつく。ゆとり教育の弊害。すこぶる危ない。
3.幼児なのに早くも背中がつるという災難を経験することになろうとは。タラちゃんの脳裏に幼児らしくない考えが浮かぶ。
とにかく、勘違いというよりは業みたいなもの。
特に「セーブ」は気づいたとき、驚愕の事実(来年からDNAの相同性が90%以上あれば、婚姻届だせるんだって等)を知らされたくらいの衝撃がある。
「あぶねー!!。セーブできないよ、現実世界。」
オンラインゲームが流行る理由の一つは、こんな感じの人が多いからかもしれない。
僕がやりだしたら、たぶんすごい。
「あぁ、こんくらいの傷ならヒールで治るよ」。
・・・言いそうだ。
とにかく、いつか僕はセーブできる国に移住したいと思う。