推理小説はあまり知らないのですが、殺人で完全犯罪を目指すには「正当防衛」とか「不慮の事故」を装うのがいいような気がします。
真っ向から密室、揺るがないアリバイを用意するような場合に比べて、「嘘をつく回数」が少なくて済みそうだ。
ただ、動機がまるわかりの場合は逆効果かもしれませんが。
何かの本で、山道を毎日通る保険味の効いた旦那に、ビタミン剤と称して下剤を渡し続ける妻の話があった。
もちろんフィクションだけど、妻が毎日17時ごろに思うことは
・旦那下剤飲む
↓
・山道
↓
・腹中決壊
↓
・家路を急ぐ
↓
・どーん!!
ということらしい。
で、だいぶ読者は色々とツッコみたくなる。
そんなツッコミのひとつに、「下剤を渡す回数」があると思う。
(他のは忘れないようにメモっておいて、財布に入れておいて。)
もちろん毎日下剤だと旦那も気付く(or下剤に強くなる)ので、せいぜい一週間に一回がいいところなのではないか?。
ロト6である。
旦那は一週間に一回、キャリーオーバーしていたものが0になるわけだ。
さて。
なぜこんな話になったのか。
先ほど、「Yシャツのボタンをとめてあげるフリをして、のどぼとけを砕く」という不慮の事故風完全犯罪を思いついた。
「おまえなんか、いつでも完全犯罪でやっつけられるんだぞ!!」という思いを心の拠りどころにして、社会を生きてゆけ。
追記
のどぼとけを砕かれるとどうなるか、実は知りません。
命どうこうも大切だけど、まずはだいぶ痛そうです・・・。
それにしてものどぼとけって、りんごというよりは、くるみだよな・・・。
カテゴリー: 疑問結論など
アダムス家族
ぞうさん ぞうさん
お鼻が 長いのね
そうよ
かあさんも 長いのよ
言わずと知れた「ぞうさん」の歌である。
ちゃんと調べてないけど。
「おてて つないで のみちを ゆけば・・・」の曲名が「くつがなる」であるというような、ちょっとした意外性は「ぞうさん」にはないはず。
この歌詞で曲名が「鼻」だったら、このブログ2回目の「鼻」話となるし、「ひなたぼっこ」だったら幼児に背景を考えさせすぎである。
ともかく「ぞうさん」。
何故かあさんを2番目に引き合いに出すのかがちょっと謎だ。
動物園。
ゾウのコーナーで母親が顔を隠しながら子どもに聞かせると、ちょっとしたトラウマメーカーとなるのではないだろうか?。
「そうよ。かあさんも、実はね・・・。」という感じ。
また、「ぞうさん」のところを「とうさん」にしてみよう。
とうさん とうさん
お鼻が 長いのね
そうよ
かあさんも 長いのよ
いきなりホラー感アップである。
父さん天狗。
母さん魔女。
ぼくnimbus7942。
十字架とセットで。
みなさんもよくあることだと思うのですが、この前、血中成分の話題で片方だけ盛り上がりました。
そこで聞いたことに、
「血液とポカリスエットの成分は同じだ」みたいなのがありました。
うーん。
赤くないし、血をなめてもポカリの味はしません。
また、血を飲んで「RE・BODY」となるのは吸血鬼くらいだろうし。
いくつかの成分の濃度が同じくらいってことなのかな?。
どうなんでしょ?。
確かに、疲れたときのポカリはすごくうまい。
また、試していただきたいのですが、ラムネ(固形の方)とポカリはなかなか合う。
ここまでの話をまとめてみますと、
・血はポカリの味がしない。
・ラムネとポカリは合う。
なるほど。
ラムネと血は合わなそうだ。
となると、吸血鬼はラムネが嫌いに違いない。
聖水には、ラムネを溶かしていたはずだ。
また、吸血鬼にラムネを直接投げても効果的だろう。
たぶん「ジュワー」ってなる。
「ジュワー」っとして。
「ギャアー」っとして。
・・・
とりあえず、自分が吸血鬼じゃないことが分かって、安心。
癒し販売機
せちがらい世の中である。
今、自動販売機の千円札を入れるところにシュレッダーを仕込むといういたずらを思いついた。
やれるかどうかは別にして、仕込めたとする。
こんな罪無きいたずらでも、ものすごく怒られるだろう。
せちがらい。
確かに、僕がやられても怒るかもしれないが、消費税分くらいは「面白いことやったな・・・」と思う。
細かく裁断されたお札が、おつり出口に出てきているようであれば、よし。
さらにジャンガリアンが仕込まれていたら、なおよし。
新車両だじょ!!
中央線で、オレンジ色車両の電車に混じり、やたらアルミな電車が走り始めてまぁ久しい。
JRが、僕に電話もくれずに新車両を走らせているのだ。
中はだいぶ快適。
山手線ではおなじみの、ドア上部のテレビも甘美もとい完備だ。
そういえば、山手線では何だか英語クイズとかやってたなぁ・・・。
中央線では、何やってんだろ・・・。
どうやら、広告に混じり「旗あげゲーム」が行われているようだ。
画面中央に、赤と白の旗を持つウサギの着ぐるみが立つ。
そして、吹き出しで「赤あげて」みたいなものをやる。
もちろん、そのままだと画面から旗の状態がわかってしまう。
だから、ウサギが旗あげゲームに興じている間、画面は段々とウサギの顔にズームしていく。
かまわず「旗あげゲーム」は吹き出しにより進行していくが、画面はウサギの顔しか見えなくなってしまうのだ。
よって、旗の状態がわからない。
そして、見ている人は問われる。
「現在の状態はどうなっているのでしょう?」と。
答えはウサギの顔からズームアウトすることで判明するのだが、そのとき、ウサギの耳があることがすごく残念だ。
僕としては、ウサギの耳がなくなっているのが極めてスマートだと思うんですが・・・。
また、頭に旗が刺さっているシーンもありかと・・・。
走ると、気持ちいいな。
よく買うジュースに、パック状のものがある。
横を見ると、なにやら「真ん中を持たないでください。中身が出ることがあります。」みたいなことが書いてある。
因果、というものがある。
過去の行いが「因」として、それが「果」として表われる。
家庭、教育現場などで「行き過ぎた規制」が取り上げられることは既に多い。
「あれしちゃいけません。」
「これしちゃいけません。」
こんな時代だから。
「真ん中を持ってみてください。」と書いてほしい。
「真ん中を持ってみてください。中身が出ることがあります。」
文章的にも大丈夫だ。
そして、真ん中を持ってみて、中身が出ちゃえばいいのである。
「あっ。真ん中持つと、中身出るんだ・・・。」
まぁ、ちょっといきなりだから、
「真ん中を持ってみましょう。中身が出ることがあります。」
でもよい。
ややプラス思考だ。
とにかく、こういう危険の少ないところから因果を学ぶべきなのだ。
例を挙げてみよう。
「一度にスプレーし過ぎたら、べたべたになるんだ・・・。」
「肌についた時、速やかに洗わなかったら、こんなんなるんだ・・・。」
「目に入ったとき、すぐに洗い流さなかったら、こうなるんだ・・・。」
「爪きりで硬い針金を切ろうとしたら、こうなるんだ・・・」
「動物園の猿のオリに接近したら、こうされるんだ・・・」
「はさみの刃の間に指を置いといたら、・・・・・・・・・・・・」
「海辺で沈みゆく太陽を見ていたら、こんな気分になるんだ・・・」
・・・
おーい。
やっぱり規制も必要ね。
文中の人。
一緒に海辺、走るか。
寒い時代
我が家の前の坂道を下って、5分ほどすると田園地帯。
川も近くを流れる、ほのぼのスポットです。
帰りが遅くなったりしたとき、僕はよく、このひらけた場所に来てバイオリンを弾きます。
嘘です。
軍用の双眼鏡で違法駐車している車の調査をボランティアの名目でやってます。
嘘です。
「愛し合ってるかーい!!」って叫びます。
心の中でね。
ともかく、なんかわからないけどよく来る。
でも、何か感じる。
・・・うしろめたさだ。
そう。
理由もなしに夜中の土手でじっとしているのは、この時代では、後ろ指さされ組なのである。
警官とすれ違うだけなのに感じる、あれだ。
しかも、明日は土手前の広場で「どんと焼き」という祭りも行われる。
そのセットが目の前にあるのである。
いたずらとか、放火が怪しまれるタイミングだ。
ぼけーっとしているところを誰かに見られた、とする。
もしその後、火がつけられたりしたときは、目撃者のクリフォードさんは僕のことを話すだろう。
「えーと。まず鋭い光が土手を照らしまして。すると、男がその光に包まれて降りてきたんです。えぇ、タンスの高さくらいの。
そして、土手に座ったかとおもうと、「愛し合ってるかーい!!」と叫びました。
手にはバイオリンと軍用双眼鏡、それに光線銃を持っていました。
そう、手は三本でしたね。」
クリフォードの野郎め!!。
全然違うじゃないか!!。
もちろん、僕は何もヘンなことはしないけど、疑われないに越したことはない。
僕がいた痕跡は消しておくか・・・。
ところが。
おならのにおいが消えるのを待って帰路に発とうとした時、目撃されてしまった!!。
クリフォードじゃないけど、2人乗りしたアベックだ!!。
まずい。
何故か、この後に放火等が起こることが前提だけど、まずい。
いまから、犯罪者じゃないように振舞う?。
だめだ。
この時間にここにいることで、既に3ポイント獲得してしまっている。
それにもう自転車はだいぶ遠い。
「警備も大変だなぁ!!」って言うか!?。
ちょっと不自然かな!?。
まぁ、ブログとしては「愛し合ってるかーい!!」がベストなんですが。
ということで、今日も僕は元気です。
主人公になったり、なられたり。
誰か、殺し屋か何かに追われたとき、もしも崖があったら挑戦してもらいたい。
崖と気付かず走りぬけ、空中をじたばた。
両手を挙げて落ちるという偉業を。
一回振り返るくらいの時間があるのがベストだが、なかなかできないだろう。
誰か、みすず学苑の関係者か何かに会ったとき、時間があるなら聞いたもらいたい。
なぜ広告に縄文風味を持たせるのか、を。
鉄アレイを耳にあててあげるのがベストだが、失礼だろう。
誰か、転んだりして恥ずかしい思いをしている人を見たとき、勇気があったならやってもらいたい。
直後にもっと豪快に転んでほしい。
両手をポッケに入れて、容赦なく路面と接吻をしてもらいたい。
相手の恥ずかしさを帳消しどころか、自分のことは棚に上げて友人に報告しまくるくらいの話題性、ドラマ性を出してもらいたい。
誰か、殺し屋か何かに追われている人を見たとき、もしもルームランナーを所持していたなら・・・。
長者必見の理
生きていると、経験が積まれる。
もちろん経験を積むことはいいことなのだが、デメリットもある。
新しい発見が、経験によって邪魔されてしまうのである。
そんな刺激的なことが少なくなってしまうのは、人間にとってあまりに辛いことだ。
「暇で死にそう」な経験をした人は少なくないだろう。
そこにきて今、人間の寿命は延び続けている。
経験で黒く塗りつぶされた人生を目の前にして。
無意味に、無感動に引き伸ばされた時間をつぶしていかなくてはならない責任が我々にのしかかっているわけだ。
「ひろし。ドラクエのレベル上げは定年後にしなさい。」
生者必衰の理
生きていると、経験が積まれる。
経験を積むと、人間性に深みが増し、人にやさしくできたりする。
アクシデントに対しても、柔軟な対応が可能かもしれない。
もっと原始的な点から見ても、生きていくうえでは確実にメリットになる。
でも、つまらないことになってしまうときもある。
例えば小説のオチが、何だか他ので読んだことのあるのだったりするときだ。
最後の最後で、なんとなくさみしくなる瞬間だ。
もちろん、恋愛小説「自分と同じような経験」とかになると逆に喜んでしまったりもする。
また、推理小説だと「知ってるもんねー」となり、ちょっとした優越感を味わえるかもしれない。
でも、わかるだろう。
どんなことでも、経験してしまったことはいつか、抑揚のないものになってしまう。
飽きてしまうのである。
経験をした部分は黒く塗りつぶされ、終わり。
飽きることが蓄積していくのである。
これは盛者だろうとなかろうと、生きているかぎり続くことだ。
だから、食べ物の味を感じたときは飛び上がって喜ぶべきなのだ。
あなたはまだ食べることに飽きていない。
どんな本でも、少しでもいい部分があったら「ありがちな内容」とか言わずに感動するべきなのだ。
あなたはまだ「詰んで」いない。
何のイベントのない日でも、小さな変化に気付くべきなのだ。
あなたはまだ全てを飽きるには早すぎる。
いつもどおりの日。
だから、かけがえのない日。
「母さん。これがドラクエのレベルを99まで上げる意味だよ!!。」