昨日からの続きです。
【あらすじ】
「鼻線」って、化粧関係の用語でありそうだよね。
「視覚」以外の、出力する感覚について書いている。
では、「聴線」はどうだろうか。
今、壊滅的に何も考えずに書いてるが、たとえば「すごく話を聴くのがうまい人」は「聴線」みたいな物を出しているのではないだろうか。
昔、その歌声を聴くと魅了されてしまい、不幸になると船乗り達に恐れられたらしいセイレーンや、笛やら何かでねずみを誘い出し、退治したハーメルンは、それぞれ船乗り、ねずみに対して「聴線」を出していたのではないだろうか。
「いやーん、船乗りさん。海の仕事って大変よね。寄ってかない?(イメージ)。」
「オッス、ねずみ。おまえらだって、好きでペストを媒介しているわけじゃないよナ(イメージ)」
「味線」「触線」
特に「味線」については、本当にそういう解剖学的部分があるのではないかと思ったりするが、それ以上にこれらの線は当ブログ内容の対岸へ移行しそうなので、さらりとしておく。
触線、オヤジ、てかり。
この3ワードで、もうセクハラぎりぎりである。
このように、我々の周りには「視線」以外の線も存在し、出力、もとい分泌しているかもしれない。
皆さんも、油断していると出しちゃってるかもよ、汁。
さらに続く。
カテゴリー: 疑問結論など
線
「視線」というものがあるのなら、視覚は唯一、出力もする感覚であるといえる。
「あの人の鼻線を感じる。」
確かに、鼻には穴が2箇所存在し、その闇が何かしらの出力をしているような気にならないでもないが、重要な点は「鼻線」で何かしら話が広がることはないということと、「何?、鼻に何か詰める話?。」的な感が否めないことである。
それでも強いてみると「あの人は私のにおいを嗅いでいる。その雰囲気を感じる。」という風か。
やだ。
ちなみに、この考え方でいくと「視線」は「あの人は私を見ている。それを感じる。」となる。
これは「何かを見る」という行為が、普遍的な行為以上の何かを持っていると人は信じている、ということに他ならない。
うーん。
でもこれは、別に視覚に限らなくてもいいんじゃないだろうか。
なので。
そんな行為を踏まえた「鼻線」だって存在してもよいはずだ。
「俺は、おまえに興味があるから嗅いでいるんだ!!。感じろ、俺の鼻線!!。」
やだ。
結局、「鼻」という器官は、「そういう扱い」の位置づけなのである。
何か、何かがやけにリアルで、露骨なのである。
この点について「鼻水」という粘液が、少なからずも位置づけに影響しているのは明白だろう。
明日へ。
こり
もうそろそろ一ヶ月になるが、「きこり」の「こり」が何なのかがわからない。
真っ先に思いついたのが「狐狸」と「古里」なんだけど、ちょっと違いそうだ。
「木狐狸」。
かなり人外の様相である。
僕はうかつにも今まで生きてきたわけだが、だいたい「きこり」に触れるとき、それは「木こり」だった。
(もう、さっき「木狐狸」とかしたもんだから、真っ先に変換が「木狐狸」と出してくれて、迷惑。)
でも、変換してみると「樵」と出た。
こいつがおおもとか。
「樵」だったら、何も考えずに「樵」かぁ、となったのに。
誰だ、「木こり」と書いたやつは。
と、調べていると驚き情報が。
木を切ることを「樵る」と書いて「こる」と言うらしい。
「木樵る」で、「きこり」か。
また、「樵る」と書いて「きこる」とも読めるらしい。
「きこり」はかなり昔にきこってしまったため、「きこり」と呼ばれてしまったのだろう。
みんなも、何かやるときはちゃんと鑑みたほうがいい。
何せ、きこってしまった人は、きこりと呼ばれるようになったのだ。
「はしり」「すわり」「にぎり」「こぎ」「くるり」「純情きらり」・・・。
いつだって、決定権を持つ何かは、君を見ている。
追記
ごめん。
最後の一行がやたら怖い。
孤高マン
僕は「ワンマン」という言葉に、それまで大して興味を持っていたわけではなかった。
でも、バスとかモノレールの表札的な部分に「ワンマン」と書いてあるのを見て、ふと考えた。
誰に何を伝えたいのだろうか。
僕の認識が間違っていたら申し訳ないのですが、「ワンマン」は、運転手が一人で全てを切り盛りしていることだと思う。
(ちなみに一人できりもみしていたら、なんとなくライダー2号だ)
それを伝えて、どうしろというのだろうか。
彼らが期待している、ありそうなものは
・一人で運転してるんだから、搭乗者はあまり無茶しないように。
・あなたが今乗っているのりものは、たった一人で操縦できるので、ハイテクです。
くらいか。
また、
・本当は終点駅名の書かれたプレートを入れていたが、到着後に元始発駅のプレートに入れ替えるのがめんどくさくなってしまい、空いたスペースに困ったため。
・団塊の世代が好む。
なども考えられる。
ただ、僕が気になったのはいわば「ツーマン」の状態があるのか、という点である。
多くの電車は「ツーマン」であると言えるし、飛行機はパイロット以外を含めると「メニーマン」だろう。
渡し舟は「ワンマン」で、エレベータは「ノーマン」だ。
こうなると、マジンガーZは「ワンマン」だし、ジェットパイルダー(ホバーパイルダー)も必然的に「ワンマン」となる。
先ほどきりもみしていた、ライダー2号が乗る何とかサイクロン的なバイクも「ワンマン」。
ウルトラマンなんて、だいぶぱっつんぱっつんの「ワンマン」だ。
うん。
やはり、ヒーローは「ワンマン」でなくちゃね。
よし終わり。
遺伝と物理の理系家族
電車の中では、やたらと走ってはいけない。
ご婦人。
子供たちを制御するんだ!!。
ご婦人。
なぜ、あなたたち家族はみんなそろって、同じ顔なんだ!?。
ご婦人。
そのジャンパーは、ちょっとどうか。
ご婦人。
なんかわからないけど、あなたの子供はゴルフがうまそうだな!!。
と、このような感じの家族たちが増えている。
マナーは守らなくちゃね。
ブログにも、こんな感じで書かれちゃうよ。
電車の中で走っていいのは、相対速度の実験をするときだけ。
見に行く
「舞台」というと、敷居が高いと感じる人が多いかもしれません。
僕もそんな一人。
だいぶ昔に、友人がやっていた劇団のを見に行ったのですが、それっきり。
先々週、それっきれました。
劇をやるという人々が集まり、劇をやるということなので、見に行きました。
情報、下調べは一切なし。
劇場の場所がわからず、30分ほど放浪してしまったため、最後のほうは赤信号をわたってしまうくらいテンパるほどの下調べなしっぷり。
見る直前でわかっていることといえば、やる場所とチケットの料金。
道に迷ったときの最終手段は交番であることと、赤信号でわたると車にクラクションを鳴らされることくらい。
そんなこんなで、円滑にではないけど、どうにか劇場に到着。
座る席がわからなくてスタッフのお世話になりましたが、どうにか到着。
なんだか満員です。
さて。
何が、始まるんだ…?。
さっきまでは時間に遅れそうで渋谷の中心でシアターグリーンを叫びそうでしたが、もう大丈夫。僕は渋谷の街にもまれ、強くなりました。
いいもの、見せてもらえるんだろうな…!?。
面白いもの系の劇だったら、俺の採点は、きついぜ?。
劇場内は暗転し、客席が一気に静まる。
やるほうも見るほうも、その準備が問われた。
…
突然、YUKIの「長い夢」が大音量で流れる。
シベリア少女鉄道の諸君。
95点獲得、おめでと。
明日に続く。
無断で超越
かねてより、僕は「ハッピーバースデーを歌うマリリン・モンロー」のモノマネが、もっと市民権を得てもいいと感じていた。
それは、一度見たことある人は必ずと言っていいほどできると思うくらいユニークで、まねしやすいものだ。
このあいだ、久しぶりにまねしてみた。
そうしたら、驚いた。
まねしているときの感じが、なんだかバナナマンのやる貴乃花に似ているのだ。
あの、バナナマンの、名前は出てこないんだけど、濃厚な方がやる、貴乃花。
そういえばあの貴乃花のモノマネは秀逸だ。
見る人はこう思う。
「もう、これは貴乃花とか、モノマネとかじゃない。シンボルだ。」
そう。
バナナマンの脂質な方がやるモノマネは、幼い日の貴乃花の、数少ない映像から得られたあらゆる情報を蒸留、凝縮した、貴乃花エッセンスだ。
そのため「幼い日の貴乃花」という観点からすると、バナナマンの何かが噴出していそうな方は、貴乃花を超えた貴乃花となった。
他人が本人を超えてもいいのだろうか、という疑問も生じるが、とにかくバナナマンの「リバウンド」の言葉が似合う方のやる貴乃花のモノマネは、そこまで昇華したのだ。
それに比べて、僕のマリ・モンは、なぁ・・・。
そして、バナナマンの名前はなんだっけなぁ・・・。
イメイジャーズその2
昨日からの続き
【あらすじ】
人は、本を読むとき、登場人物に何かしらのイメージを投影してしまうらしい。
それは一体何なのかを考えてみる。
ぶっちゃけ、そのイメージとは、幼いころの母親、父親像とか、そんなんです、たぶん。
まぁ、後は好きなコとか、グラビアアイドルとか、最近よく目の合うクラスの人気者、藤本くんとか。
そして、いろいろな経験から生み出された理想の男性、白馬の王子さま、同じく理想の女性、純真無垢な少女ですわ。
だから、映画を見て「原作のイメージとぴったりだった!!」というのは、「私の理想の男性とぴったりだった!!」ということになり、
あなたの、白馬の王子様はキムタクであり、オダジョーとなります。
現存してよかったネ。
白馬の王子様。
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結論が当たり前かつテキトーで申しわけないが、
本を読むというのは、自分の内側の一片を読むことに他ならないのかもしれない。
ちなみに。
僕が本を読んでいるときの登場人物の声は、男であろうが女であろうが、全部僕っぽい。
「っぽい」がつくのは、本を読んでいるとき、そんなことは気にしていないからである。
「本を読んでいるときの登場人物の声を録音できる装置」があったら。
…この設定って、結構いぢれる内容ではないかと思うが、どうか。
イメイジャーズ
原作が映画化なんかされると、必ずこういう話が出てくる。
「主人公のイメージが、原作と違う」。
別によいことだが、この事象によって、定義できる事実がある。
「本を読む時、人は登場人物のイメージを作る。」
先ほども言ったが、決して悪いことではないはずだ。
原作者も「俺のポルニムにそんなイメージのせやがって」とか言わないはずだ。
もちろん、僕が今回言いたいのはポルニムのことではなくて、生み出されるイメージの方だ。
これは、一体何なのだろうか。
上記の「主人公のイメージが、原作と違う」では、原作の既読者は、もう自分なりのイメージを主人公に持たせていることとなる。
ここで重要なのは、
多くの物語では、主人公がキッチンタオルや爪切りではないという点である。
原作の主人公は男、もしくは女であり、そうでなくても中性的であったり、人でなくても人間的な感情を持ち合わせていたりして、それほど今回の話題から遠く離れるものではない。
もし、そういったものを持ち合わせていないキッチンタオルが主人公だったら、おそらく文学界とキッチン業界に波紋を投じる。
だいたいの作品は、文学界に波紋を投げかけたいとしても、キッチン業界に波紋を投じたくないと思うので、こういう主人公は立てないであろう。
したがって、我々は「キッチンタオルのイメージが、原作と違う」というシーンに対して気をとられることはないと言える。
僕が気をとられるのは、たとえば男の読者が物語の女性パートを読むとき、どういうことになっているか、ということである。
読者が、異性のパート部分において何かしらのイメージを持つとするなら、そのイメージはどこからのものなのだろう。
本来、異性のパート部分なんて、読者は持っていない場合が多いはずである。
よって、そのイメージは外来であるはず。
何が起因なのだろうか。
明日に続く。
アルティメット就寝
言葉というものは、その有用性や汎用性がゆえ、どこでも見ることができます。
一見言葉がなさそうな場所でも、水の溜まった空き缶があれば、大量にわきます。
ちょっと前、検索されないだろう言葉について書きました。
ポメッロ
ぴんこもち
昨今、検索されやすい言葉への関心が尋常ではありませんが、
逆に「ありそうだけど検索に引っかからない」言葉を考えることに脚光が集まらないのは、ちょっと意外。
だいたい何かしらのメディアで出てそうなんだけどなぁ。
既に誰かやってたら、ごめん。
僕、後発であることを、ここに宣言します。
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「ありそうだけどなさそうな言葉」を考えてみました。
【制約】
・基本6文字以内(漢字は一文字とする)
・「ぎょり値踏み」など、明らかになさげなやつはだめ
・基本、そのときの気分によって基準は上下する
・生まれたて、もしくは使われることに慣れていない言霊なので、やさしく接する
検索で、なさそうなキーワード集
・虫みそ
:文字どおり。
・ブログっち
:これも文字通りだけど、ありそうではあります。
・鳥岩肌
:なんだろうねぇ。
・コンパクティー
:使っている人はいまい。それにしてもコンタクティーと似てる。
・マリッジピロー
:これはいいとこついているのではないでしょうか。
それにしても、後半は制約越えてるねぇ…。
気になる人は検索してみよう。
僕はあんまし気にならないので、シングルピローで寝ますわ。
ちなみに「ぎょり値踏み」は、二人の男が電車に乗っていて、片方が向かいのドアに立っている女の子をじろじろ見る。
それに対してもう片方が「お前、ぎょり値踏みするなよ。」
こんな感じで使われる言葉だと思います。