昨日からの続きです。
【あらすじ】
桃太郎を説明するとき、相手が「桃」と「犬、猿、キジ」、「鬼」と「退治」を知らなかった場合。
「あんず太郎は、AIBOと寛平ちゃんと鳳凰と出会いました。」 と例えてみた。
「そしてあんず太郎は、鬼退治に行きました。」
「鬼?。」
「桃太郎」を説明するとき、相手が「鬼」を知らなかった場合、何に例えればよいだろうか。
鬼といえば、「お地震カミナリ火事親父に」に代表されるように、恐れられているものベスト4を囲んでしまうほど、恐れられているヤツである(それにしても言いづらい)。
その圧倒的な恐れられっぷりを保てるような例えでなくてはならない。
・恐竜
なにげに、すごい名前付けられたね。
・糸を引くカレー
納豆入りというわけではないよ。
・虫みたいな動きをする車
キュッキュキュッキュ車線変更する黒い車は、怖いです。
・永遠の闇
何のゲームだ。
・死
ブログで書くことじゃあないな。
・コーチ
まぁ、なんか流れで書いた。
・強制終了すら受け付けない状態のPC
けっこうあるので、慣れたりもする。
・三角コーナー
ずぼらな人の家のは、もはやフロンティア。
うーん。
いまいち。
どれも怖い(と思っているもの)けど、鬼じゃあないね。
とりあえず、ラムちゃんでいいや。
「あんず太郎は、AIBOと寛平ちゃんと鳳凰を引きつれ、ラムちゃんとラムごっこをしました。」
そう。
本当は「鬼退治」なのだが、説明している相手は「退治」を知らないのである。
今回はみんな大好きラムちゃんのイメージを尊重し、「鬼ごっこ」を引用してみた。
こうして、「桃太郎」を例えるときに使う、新たな説明文が誕生した。
「あんず太郎は、AIBOと寛平ちゃんと鳳凰を引きつれ、ラムちゃんとラムごっこをしました。」
・・・オリジナルより、華やかさが上がりました。
追記
「ラムごっこ」って、なんだかすごい。
カテゴリー: 汎用性より低い
アレゴリカ・ワークス2話
昨日からの続きです。
【あらすじ】
桃太郎を説明するとき、相手が「桃」と「犬、猿、キジ」、「鬼」と「退治」を知らなかった場合。
「あんず」から「あんず太郎」が生まれた、と例えた。
「あんず太郎は、砂の山に割りばしを立てたりしたのち、犬と猿とキジに出会いました。」
「犬、猿、キジ?。」
「桃太郎」を説明するとき、相手が「犬、猿、キジ」を知らなかった場合、何に例えればよいだろうか。
犬を何かに例えなければならない現場に、私は居合わせたことがない。
それは、とっても幸せなことである。
要は、犬を何かに例えるのは、むずい。
猿を何かに例えなければならない現場にも、私は居合わせたことがない。
逆に、何かを猿に例えるというシーンは、そこそこあったし、テレビなどでもよく見られる。
これは犬のときにも言えることだが、「猿」は人間にとってかなりベーシックな存在なのだろう。
キジを何かに例えなければならない現場にも、私は居合わせたことがない。
これは、例えること以前に、人生においてキジをどうこう言う場面が少ないからである。
したがって、キジの例え方も「コレ以外ありえない!!」というわけにはいかないだろう。
このように、「犬、猿、キジ」を何かと代替するのは、難しい。
でも、あえて僕はこれらを「AIBO、寛平ちゃん、鳳凰」と例えてみたい。
AIBOは犬を模倣しているし、
寛平ちゃんは、見ず知らずの人間からですら、猿的なイメージを持たれている。
さらに、本人もそれを大事にしているのではないかと思わせる点を考慮した。
鳳凰は、まぁ鳥だから。
要は、面白そうだからである。
あれ、そうでもないや。
一行突破を待たずして、面白くなくなったや。
とにかく、このようにして物語は進んだ。
「あんず太郎は、砂場にゴムボールを隠したのち、AIBOと寛平ちゃんと鳳凰に出会いました。」
明日へジャンプ。
追記
あんず太郎が仲間に与えたのは、それぞれ「電力、机のかど(もしくは血)、竹の実」です。
調べてみた。
アレゴリカ・ワークス
「桃太郎」を知らない人に、そのストーリーを説明する。
「桃から生まれた人が、犬、猿、キジを連れて鬼退治する話だよ。」
「桃太郎」を知っている人の幾人かにとっては、もうちょっと詳細を加えてもいいと思うような説明である。
詳細
・おじいさん、おばあさん
・鬼を殺すため、木刀を振り続ける日々
・きびだんご
・おばあさん手作りのオール
・鬼ヶ島
・必殺・真空鬼殺斬(しんくうきさつざん)
・幽閉されていたお母さんに出会う
・必殺・真空鬼殺斬(しんくうきさつざん)
でも、単純な方が、相手に伝わる。
詳細はその後でもいいのだ。
しかし、ここで相手が「桃」と「犬、猿、キジ」、「鬼」と「退治」というものだけを知らなかったとすると、どのように説明すればよいだろうか。
「桃太郎について説明します」
この段階で「桃」が分からないのである。
私は断言する。
多くの人が「あんず太郎」と例えるだろうことを。
そして、この例えで我々は気付く。
つくづく「桃太郎」は「桃」から生まれてきてよかったなぁ、ということである。
「あんず太郎」
明らかに駄菓子的な商品名である。
※もちろん、逆説的には「我々はよく桃太郎を刷り込まれているなぁ。」となるが。
そんなこんなで「桃太郎」は「あんず」から生まれることとなった。
桃太郎が生まれた「大きな桃」に対し、「大きなあんず」が私に与える違和感はかなり大きい。
保守的な証拠である。
とにかく、これで「あんず太郎」が「あんず」から生まれたところまでは説明できただろう。
つづきは明日だな。
追記
ここまでの留意点は、桃のニュアンスを伝えたい場合のケースをあまり考えていないところだと思う。
桃があんずに変わっても大丈夫だと思うけど、実はストーリー上、もしくは個人的な理由で「桃でなくちゃ!!」の場合は、相手に桃を見せてあげよう。
うらない
このまえ、知人がビートたけしのものまねをした。
「おい、ダンカン。このやろ。」
以前、ものまねをする際は、そのセリフが重要であるとかいうことを書いたが(6/5)、上の例はかなりその点をクリアしているだろう。
もちろん、ここで触れるのはそういうこと以外の点である。
「ダンカン」の部分である。
この部分は、人によっては変わるのではないだろうか。
まず思いつくのが「タカ」である。
「おい、タカ。このやろ。」
うーん。
タカは、実際に言われてそうだなぁ。
言われているタカの表情が、見える。
「おい、枝豆。このやろ。」
いまいちイメージが沸かないですね。
夏以外に言われていそうか?。
まああとは、話題の人とか、らっきょうとかの例を、僕以外の人が考えてみよう。
もちろん「ダンカン」部分には、一般に「たけし軍団」と呼ばれる人たちが入って問題ないのだが、この部分に誰をもってくるかは、ものまねをやる人の人生観やたけし感、ものの考え方や血液型などが表れるかも知れず、興味が持たれる。
ちなみに僕はコマネチ連発くらいしか出来ないかも。
追記
未だに「ダンカン」と「ベンガル」の相違点が不明瞭。
永遠かもしれない
昨日からの続きなんで。
【あらすじ】
劇を見に行く。
照明がともり、客席からため息がもれた。
見た直後でわかっていることといえば、こういうものは活字では何一つ伝えられるものがないということくらいだ。
こりゃ、うまいなぁ。
うまいことやるもんだ。
ペンは剣より強し、とかいう言葉が作られていますが、僕のペンは舞台の空気と、音。
この劇場のあらゆる現実に、敗北したのだ。
もし僕が「KISS」の一員だったら、涙は何とも言えない色になっていただろう。
諸君には、もう5点与えねばなるまい。
誰なんだ撲は。
帰り道。
ふと、昨日から丸一日何も食べていないことを思い出す。
追記
「僕のペン」という言葉については、あまり気にするな。
もの、かたる。
なにか、すごい背景がありそうなセリフを考えてみました。
「もっと減らしとく?、お湯。」
「そんなふうに大理石の灰皿を持っちゃ、誤解もされるよ」
「今夜はミッドナイトの方が空いておりますが。」
「そういう論点で話し合っているわけじゃ、なくなくない?。」
「今日も、「あて先のない手紙」だけだ。」
「背広の後ろの切れ込み、それだけだったんです。」
「心配するな。どんな結婚式でも、リボンのついたナイフを持っているだけで忍び込めるはずだ。」
「ふふっ。J-WALK。」
「明日は僕の、バタフライ・デイ。」
「養命酒。養命酒だと言われていたんです!!。」
「なーんてね。本当は、ひとっ飛びでした。」
パエリアに最適
「ふっくら炊きたてカヒミ・カリィ」
なかなかいいな。
本当はカレンダーのときに使おうと思ったけど、なんとなくやめました。
ただの駄洒落ではありますが、口に出してみると、ちょっといい。
また、カヒミ・カリィを知らない人との会話に、ひっそりと入れてみよう。
こちらが意図している、「カヒミ・カリィ = 米の種類」であるという勘違いを刷り込むのは、たやすい。
「カヒミカリ(こう言う)はお茶漬けが合うね。」
「あのお店は魚沼産のカヒミカリを無料でおかわりできるんだって。」
「日本人に生まれてよかった。カヒミカリとお新香があるから。」
また、高度なテクニックとして炊き立てのお米に対して用いられる「立ってる」を使うのはどうか。
「カヒミカリが立ってる。」
カヒミ・カリィを知っている人と、あなたによって「カヒミカリ」を刷り込まれてきた人。
「どこ!?」と、カヒミ・カリィを探す人を不思議そうに見る「カヒミカリ」派。
この二人の意識を融合すると、「湯気の中に立つ、カヒミ・カリィ」となり、神秘である。
無限希釈
圧倒的な力を持つ人物が、ついに世界を手中に収めた。
しかし、その途端に虚空に消えてしまったという。
どうやら、心の濃度が世界の広さに耐えられなかったようだ。
人に任せられない部分
クイズ番組などでは、テレビの前の視聴者に対して「視聴者のみなさんもご一緒にお考えください。」というテロップが出る。
ぜひ、ある種の情報番組やニュースでも出してほしいテロップだ。
おおくにしてひとつなるもの
今日は、僕が日常生活において、出力を0にしている事柄のひとつに触れてみたいと思う。
ガンネタである。
このブログでは時たま触れるけど、あんまり広げません。
でも、自分からではないとはいえ、このブログ中に「パーフェクトズゴックキャノン」という言葉が複数出てきているので、触れないわけにはいかない。
ということで「パーフェクトズゴックキャノン(この場ではPZCと略してよいこととしよう)」の話。
ガンダムを知らない人でも、とりあえず「パーフェクト」で、「キャノン砲」がついてるような気がするのではないか。
実際そのとおりで、「ズゴック」というカニが二足歩行するようなロボットに、大砲やらベアクローやらビームやらツノやらがついた、パーフェクトなやつだ。
ちなみに彼(彼女)はアニメなどには登場していない。
むしろ、けっこうマイナー。
というか、「純正品」じゃない。
パーフェクトの名に反してカワイソウなロボでもある。
で、だ。
僕はコイツが大好きである。
古来より、人間は自分達より強大なものを崇め続けてきた。
例えば自然。
今でも大ピンチになるくらいだから、昔なんかは超ピンチ。
いろいろ具現化(物語なり彫刻なりで)して、「こんな気にしてるんスから、勘弁してくださいよー」とご機嫌をうかがったわけだ。
また、そういう怖いものに対して逆の発想、すなわち自然に対抗しうる力を持つ「神さま」も創造し、同様にご機嫌をうかがったはずだ。
ところで、人間が想像もつかないような力を持ったこれらを、どのように表現するか、というところで、みんな考えた。
でっかく作る。
いい。
硬いもので作る。
いい。
ツノ生やす。
いい。
とかいうのがどんどん連なって、「複数化」みたいなものが起きた。
剣をひとつ持たすよりはふたつ。
剣をふたつ持たすなら、手を増やす。
何でもかんでも増やしていって、完璧なさまを生み出す。
千手観音みたいのがやたらいたりするのも、手やら顔やらをたくさん持たせて、完璧な力を表現しようとしたのだろう。
マンダラも、ちっこい仏様がわんさかいる。
これも、しかり。
みうらじゅん氏が完璧であることも、うなずける。
もひとつ。
「ベヘモス」という、某FFで有名な怪獣がいる。
こいつの「ス」は、いわゆる複数形の意味を持っているというのをどこかで聞いたことがある。
複数の動物を集めたくらい大きいから、複数形にしちゃえ!!。
ということだったんだろう。
ちなみに、こいつ自身はカバやらなにやらではないかと言われたり、ヘタすると食われる運命でもあるのでカワイソウだ(PZCと同じ!!)。
でも、「バハムート」読みすると、かっこよさアップ。
そこにきて「PZC」。
たくさん強いのつけた。
これぞ、人間の営みの真髄を形とした、我らが崇めるべき「新しい神」と呼べなくもないか?。
・・・やっと、好きな理由にたどり着きました。
長かった・・・。
ちょっと、「PZC」が何なのか、忘れてしまいました。
それにしてもこの新しい神を創造した人。
ベースがズゴックって・・・。
センスシャープである。