択一 2

昨日から。
【あらすじ】
「生きるか死ぬか」の片方を変えて遊ぼう。

「金太郎か死ぬか」
もちろん死ぬのはいやだが、金太郎もどうだろう、という、昨日の約束を守るためだけの例。
=====
もう疲れてまいりました。
僕がもう少しマドンナに詳しければよかったのですが。
何を知っているのかと尋ねられたら、ファミコンソフト「所さんのまもるもせめるも」のラスボスが確か「ドンナマ」だったってことくらいだ。
間違ってたらごめん。
などと言っているうちに、思い出した。
「生きるか死ぬか」の片方を変えて遊ぼう、だった。
本日は「?か死ぬか」だ。
「筋トレか死ぬか」
誰か止めてくれる人はいないのだろうか。
「ジャイ子か死ぬか」
そんなにか。
そんなになのか。
「くびれか死ぬか」
人によっては、くびれを手にすることは想像以上に大変なのである。
「石鹸か死ぬか」
徴兵逃れか。
「宇宙へワープか死ぬか」
ある意味そんな迷わない気もする。
「007と敵対か死ぬか」
どっちもいやですね。
「春の祭典スペシャルか死ぬか」
死に匹敵するものだったっけ、春の祭典スペシャル。
ハイパー銀色の足スペシャルみたいなものだっけか?。
「ネクタイしながら逆立ちか死ぬか」
けっこう恥ずかしいことを再認識させてくれる。
顔も変になってるし。
「シュガーレスか死ぬか」
甘いことはいいことなのである。
「Perfumeか死ぬか」
アイドルも大変なのかもしれないし。
ちなみにカケていますね。
「ゴッドファーザーごっこか死ぬか」
これも切実ながら、選択は気楽かも。
「心臓にりんごを当ててのロビンフッドごっこか死ぬか」
ロビンフッドなのかロビンフットなのか、わかりませんでした。
「旅客機とはっけよいのこったごっこか死ぬか」
なんですかね、はっけよいのこったって。
「ボーリングの玉が出てくるところから「ただいま?」ごっこか死ぬか」
ごっこって致死率高そうなことがわかりました。
「金太郎かドンナマか」
まだ異性を取りたい、という気持ちである。
眠いのでこれにて。
・・・「生きるか死ぬか」の意味を取り違えていたような気のするまま、終わり。

択一 1

サラリーマン金太郎!!。
「サラリーマンか、金太郎か。はっきりしなさい。」
「なぜですか?」
「十中八九、あだ名がサラ金になるよ。」
さあ疲れてまいりました。
僕がもう少しサラリーマン金太郎に詳しければよかったのですが。
などと言っているうちに、思い出した。
「生きるか死ぬか」の片方を変えて遊ぼう、だ(Dead or Aliveは意味違うらしい)。
まずは「生きるか?」でやってみる。
※ちなみに択一という形をとる以上、今回の「生きるか?」の「?」の部分は生死を問わないわけにはいかず、どうしても「生きてない方」と考えられそうだ。
その点を考慮すると、あまりに「?」側が不利な気もする。
例えば「生きるかタロイモか」。
もちろん本命は「生きる」であろうし、誰しもそうあってほしい。
そして、即答でタロイモと答える人はおそらく疲れており、頭をなでなでしてあげてほしい。
しかし、少し考えると深い意味があるような気がしてくるから不思議なものだ。
「タロイモのことをないがしろにしていたが、本当は生きることと肩を並べるほどのものだったのか!?」
映画「タロイモ」もできるだろうし、もののけ姫は「タロイも。」
「生きるか極楽浄土か」
極楽浄土を至極単純、他意なく「この世でない」ところと考える。
それでも、うっかり選んじゃう人も多そうである。
「生きるか不老不死か」
「生きるか天然記念物に指定されるか」
「生きるか国民栄誉賞か」
「生きるか宇宙葬か」
「生きるか国王23番目の妃か」
「生きるか美人薄命か」
「生きるか。うん、生きるか!!」
「とりあえず生きるか!!。”なま”の”きるか”を2人前!!」
「生きるか全知全能か」
「生きるかサラリーマンか」
正直書かないほうがよかったな(多い)も含め、「生きるか・・・」は、その重たさも手伝ってか、いまいちである。
要は、「そりゃ、まずは生きるだよ」になるから。
・・・そうだよ、な?。
なに、泣いているの?。
で一方、「死ぬか・・・」は、よりどりみどりの気配。
必然的に「金太郎か死ぬか」があります。
明日。

さじ加減

物事には「さじ加減」というものが必ずあり、それを見誤ると、特に何もないけど少し反省することになる。
先日、知人が僕の帽子について反応を示した。
どうやら故・天本英世氏がよくかぶっていた帽子と似ていると言いたいよう。
確かにその日、そんな感じの帽子をかぶっていた。
僕は何の気も無く、ああ死神博士ね、と言った。
その後わかるのだが、知人にとって、天本氏は死神博士ではなく、平成教育委員会であった。
そして死神博士であることは知らなかったようだ。
僕は知人の「しにがみ、はかせ?」的な態度を瞬時に読み取った。
冒頭の「さじ加減」を考慮するなら、やたら凍ったアイスに歯が立たない木のさじ、といった感じだった。
僕はすぐにフォローを入れた。
イカデビルですよ。
さじが、折れてしまった。
少々凡庸ですいませんなのだが、僕にとって天本イメージは、イカデビルが群を抜いていた。
「イカデビルイカデビル、死神博士イカデビル、教育委員会イカデビル、帽子イカデビル、おじいさん死神博士」
こんな感じ。
仮面ライダーを見ていたわけでもなく、何故かはわからないが、とにかくイカデビルだった。
しかしそうでない人にとっては、死神博士ですらわからないのに、唐突のイカデビルである。
「いったい何なんだ、イカデビルって・・・」
そんな雰囲気になったのだが、どうしようもない。
さじ加減がわからないイカデビルの詳細解説は、危険すぎるのだ。

津波警報

ずいぶんと昔のことだが、面白いことがあった。
近所のスーパーで買い物をして、さて帰ろうかというとき。
町内放送の流れるスピーカーから、よくある「ピンポンパンポーン」的な、みんな聞いてね効果音が流れたのです。
それを迷子か何かかなとなんとなく聞いていると、こう言い出しました。
「ただいま、津波警報が発令されました」
そんな旨の内容だった。
周りにいた人もきょとんだ。
というのも、僕の住んでいるところはだいぶ山で、海に接していない。
だからまず津波は来ず、来たとしたらそれははやりの2012くさい。
何かの練習かとも思ったが、練習にそんなことを言うのかもあやしいし。
翌日いろんな人に聞いてみたのだが、そんな放送を聞いた人は一人もいなかった。
いったいなんだったのか・・・。
・・・と、ずいぶんあとになって、上空の変な層に電波が反射して、遠いところまで届いてしまう現象というものを知った。
詳しいことはわからないが、そんなことがあるとか。
「★ただいま恋の、津波警報発令中★」
ごめん今のぜんぜん関係ない。
で、だ。
どこぞの「ただいま、津波警報が発令されました」が、海抜100mくらいで潮の香りがしない我が近所に到達したとする。
そのとき、僕達はどうすればいいのだろうか。
「★まだかな恋の、ジャコビニ流星群★」
ごめん今のぜんぜん関係ない。
で、ね。
当時の僕は、周りの人と同じくきょとんし、翌日放送について聞いてまわるくらいだった。
海の怖さがわかっていない内陸人にとって、津波どうこうは、見当がつかないことなのだ。
「★小さな恋が、三度笠から見えかくれ★」
ごめんこっちのほうがおもしろくなっちゃった。

手袋

手袋を探しはじめて1ヶ月ほどになり、それでも気に入った手袋が見つからないというのは、それほどちゃんと探していないということである。
一般的に手袋には2種類あり、山姥が手首から先の部分だけを保存するために使用する麻袋と、冬に着用する手先を外気に触れさせないための多様な素材でできたものがそれである。
僕の探しているのは後者で、それを裏付けるかのように、僕は絶えず包丁を片手にしていることはなく、山奥の廃屋じみた一軒家に住んでもいない。
破れた障子から目だけを覗かせたりもしないし、白髪でざんばらでもなく、顔面に軽度のやけどをおっているわけでもない。
もう、ない。
別役実のまねをすることも、ない。
ということで手袋を探している。
現在ではそれについて治療法もあるとかで。
またそれによる人間関係的な悪影響についてなんて、考えること事態がナンセンスであるが。
多指症の人は、一般的な手袋をどう使用しているのだろうか。
僕が考えるに、親指と小指を除いた指のなかで、ある一組分をまとめているのではと考える。
というか、そのくらいしかない。
一方、例えば6本指の人用の手袋を5本指の人が使用したらどうなるか。
おそらく1本分の部分をはんこ入れに使用する。
8本指の人用の手袋はどうか。
これはヤツデヒトデをなんとなく彷彿とさせることで、間違いないだろう。
ちょうど1ヶ月前くらいに、そんなことを考えていたりした。
僕は手袋を探している。

古いこと2

昨日から。
【あらすじ】
「あなたの中で、何が一番古いですか?」
そう問われたとき、具合のいい返し。
=====
歯とか骨とか、髪の毛の先とか。
その辺で勘弁してもらいたい気もするが、がんばる。
「あなたの中で、何が一番古いですか?」
? おじいちゃんの遺骨
「たかし!!、またおじいちゃんの遺骨つまんだね!!」
自分の中で何が一番古いかを問われたとき、たかしは昔のことを思い出していた。
祖父の遺骨を食べた。
悪気はなく、むしろそのおいしさからのカニバリズムだった。
「悪いことしたなぁ、じいちゃん」
「でも、香ばしかったよ、遺骨」
たかしはそう思い、思わず微笑んだ。
そしてその笑顔のまま、問いに答えた。
「祖父との思い出です!!」
? へいわをあいするこころ
「だいぶ昔からあるんだわ、平和を愛する心」
「ものごころついた時には既にあったからね」
「え、けんか?。よくないよね」
「スカートめくり?。それはよくないねえ」
「ぬすみ食い?。だめだよね。」
「うそ泣き?。大人をだませるから、だめだよ」
三歳の頃にgetしたので、ひらがなのまま。
その意味も、三歳の頃のまま。
? まだない
出所直後にそんなこと聞くの、あんまりじゃない?。
? 宇宙
こう答える人は、正直ちょっと怖い。
人間小宇宙!!。
宇宙大人間!!。
? 小二のとき、八丈島に行ったこと
こう具体的な思い出を一番古いことだと言われると、かなり面白いと思う。
「小一のときのお前は、いったいどうしたんだ?」
盛り上がります。
? 三歳のとき、父親の帰りを母親と一緒に待っていたら夜遅くなってしまった。
「子供なのにこんなに夜更かししてしまっている」と思い、それまで見ていた時代劇から目をはなして時計を見たら22:05だったこと
これも具体的だが、八丈島の一件よりはなんだか悲しい。
「お前は22:05から始まったんだな」
十時ちょい過ぎの男、誕生である。
=====
うーん、だめだね。
「あなたの中で、何が一番古いですか?」
正解は何なんだろう?。

早口言葉

なんとなく、早口言葉を作りました。
赤坂上次郎 青坂上次郎 黄坂上次郎
ところで、早口言葉と内容の両立は可能なのでしょうか。
例えば「バスガス大爆発」というやつがあります。
早口言葉としては楽しいでしょう。
しかし内容はというと、ちょっとという感じ。
また、早口言葉はたいがい、3回連続で言わなくてはならないことになっています。
「バスガス大爆発!!」
「バスガス大爆発!!」
「バスガス大爆発!!」
そんなぐいぐい言うことでもありません。
悲しい内容じゃあないですか。
ただ微妙なことに、本当に目の前でバスが大爆発を起こしたときにあわててしまい、意図せず連呼してしまいそうなところがこの早口言葉にはありそうなのです。
「え、何!?。どうしたって!?。」
「バスガス大爆発!!」
「バスガス大爆発!!」
「バスガス大爆発!!」
現場は騒然としています。
次に「生麦生米生卵」。
もう、早口言葉としても楽しくないでしょう。
内容も確実に戦時中で、悲しいことこの上ありません。
「生麦生米生卵!!」
「生麦生米生卵!!」
「生麦生米生卵!!」
物資が乏しい戦後などに叫ばれたのではないでしょうか。
その点、本当に悲しいことです。
それにしてもこの悲しさは、何が原因なのでしょうか。
「生」でしょうか。
「生」が悲しさ、切実さを生むのでしょうか。
「麦米卵!!」
「麦米卵!!」
「麦米卵!!」
これはこれで悲しい感じですが、既に早口言葉の意義は失われ、かつ「何ができるの?」「何つくってんの?」的な雰囲気が漂います。
最後に「坊主が屏風に上手に坊主の絵を書いた」みたいなやつ。
そうですかとしか言えないじゃないですか。
そして急いで言うような内容でもありません。
「坊主が屏風に上手に坊主の絵を書いた!!」
「坊主が屏風に上手に坊主の絵を書いた!!」
「坊主が屏風に上手に坊主の絵を書いた!!」
・・・あの早口言葉のもととなった、高い位のお坊さんが描いた絵、スタジオに登場です!!。
なんつて。
次回へ。

スルダケーション

Wizardryやエルミナージュ、世界樹の迷宮や剣と魔法とうんぬん、今日このごろ、涙そうそう。
ある方向性を確立あるいは目指しているRPGがある。
これらのいいところは「基本的にうろうろするだけでいい」点だ。
正直、攻略本片手というのが性に合わないのである。
見るのは好きだけど。
どうも「やっとイベントクリアしたよー」と「うろうろしてたらいいアイテムが手に入りました」を天秤にかけたら、後者のほうが重く、そして真実の羽とは釣り合うようなのである。
ところでなんなんだ、真実の羽。
サブいな。
とにかく上記のゲームは、すぐキャラクターが動かなくなったりすることはするが、基本的には「うろうろしていればいい」というのが、気楽でいい。
「かんたんミルクと混ぜるだけ」
以前触れてしまったが、おそらくフルーチェである。
嘘だったらごめんだが、これも混ぜていればいいらしいのが、いい。
「ごはんと混ぜるだけ」
おそらくちらし寿司である。
これも消費者のことをよく考えてくれている。
「6つの数字を選ぶだけ」
宝くじである。
そのくらいなら、何かついでに簡単にできちゃうぜ123456!!。
と、これが長めイベントのRPGだったらどうなるか。
「村長と話してフラグを立てるだけ」
「西の洞窟でレベルを上げるだけ」
「ボスを倒して城の前の広場の人に鍵をもらうだけ」
こんな感じ。
あらなんだ、案外うろうろするだけでいい感、あるじゃないか。。。

ブランコをこいだ日

ある路線に、車内から高架下を見下ろすと公園の見えるところがある。
この公園、そこそこの敷地内に、一人用のブランコが1台だけ、ある。
さみしい。
最初見たときは、アートかなにかと思ったくらいだ。
戦時中、ごめん先日。
初めてこの公園のブランコが使用されているところを見た。
10歳くらいの女の子だ。
安心した。
これがスーツのおっさんだったら、さみしすぎだ。
女の子は、通過するまでの数秒だけ見えたが、一人で一生懸命にブランコをこいでいた。
さみしかった。
おっさんがどうこうと心配していたが、どうも一人用ブランコ1台という時点で、もう何が起ころうともそれはさみしいものでしかなかったのだ。
女の子がさみしそうにゆっくりとこいでいたら、それはさみしい。
しかし、アゲアゲにこぎまくっていたとしても、それもさみしい。
連休だったのに、それを最大限に有効利用できず、もんやりした自分、それもさみしい。

赤いきつね

一時期「紅の豚」の主人公ポルコ・ロッソのものまねをしていたことがあった。
「飛ばねぇ豚は、ただの豚だ」
しかし、このセリフに重大なポイントがあることに気づいた。
豚が喋らなければ意味がないのである。
例えば豚が「飛ばねぇ・・・」を喋れば、必然的に話題は「じゃあお前は飛ぶ方なのか、飛ばない方なのか」という方向になる。
そして実際飛ぶ方だったりするわけで、人々はこう口にする。
「カッコイイとは、こういうことか?」
「カッコイイとは、こういうことか?」
一方、人間がこれを喋るとどうなるか。
「飛ばねぇ豚は、ただの豚だ」
「そうですね」
スポーツ選手へのインタビューだったか。
いいともだったのか。
そうではない。
カッコイイ豚についてのことであるはずだ。
しかし当然の「そうですね」である。
そうとしか言いようがない。
要は豚でもないのに何を言っているんだおまえ、ということである。
それがあーた、「紅の豚」とか、だと!!。
そんなこんなで、なんとなくこのものまねは切羽詰ったときくらいにしかやらないようにしたのであった。
「紅の豚」では、最後にポルコ、豚じゃなくなっちゃったかもと思わせるシーンがある。
もし彼がそうなってしまったとき、そしてさらに「飛ばねぇ豚は、ただの豚だ」 とか言っていたとしたら。
おい、お前はもう豚ちゃうやんけ。
うそつくなうそ。
人々は、ちょうど表題にあるようなものを感じずにはいられなかったかもしれない。