コンセント2

昨日から。
【あらすじ】
コンセントの穴から汁が出てきたらどうしよう。
・いったん汁を拭い取ったあとがある。
・今は出ていないが、下に垂れた形跡がある。
・片方から汁が垂れているが、もう片方は汁を吸っている。
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コンセントには何の影響もないが、何やら汁を拭い取ったようなあとがある場合、それは単に出ていた汁を拭き取っただけなのかもしれないが、ここでは「誰かが何かを失敗した」可能性を考えてみる。
誰かが何かをもくろんだのである。
盗聴だろうか。
盗聴器を仕込むとき、どうしても汁が出てしまう作業項目があるのかもしれない。
あるいは密室殺人だろうか。
コンセントの穴から海水を流し込んでの、密室溺死殺人のリハーサルをしたのかもしれない。
ショートを狙ったのかもしれない。
また、よい方向で言ったら、海水を流し込んでのサプライズパーティだったのかもしれない。
しかし、どれにしても「汁は拭い取られて」おり、それが見てとれてしまうのである。
失敗と言わざるを得ない。
ただ、誰が何を、は不明だ。
今は一見出ていないが、下に垂れた形跡のある場合、気になるのは「次いつ出るのか」という点だろう。
今後いっさい出ないようなら、たまたま汁が出たんだくらいで済むかもしれないが、出ないかどうかはわからないのである。
垂れた後を拭き取って、時間をかけて観察していこう。
コンセントの穴、片方から汁が垂れているが、もう片方は汁を吸っている場合、これはおそらく何らかの循環機能が働いていると考えられる。
部屋の汁の純化である。
したがって、おそらく吸われゆく汁よりも出てきた汁の方がきれいなはず。
最後に、コンセントから出てきた汁が「天然」なのかどうかは、難しい判断である。

コンセント

人生は、責任と人間関係のオンラインRPGであるとも言えそうだが、まあそれは置いておいて、今日も楽する方針で何か書こうと思う。
部屋にあるコンセントから、変な汁が出ているのだが、どうすればいいのだろう。
これは嘘だが、せっかくなので考えてみようと思う。
実際汁が出てきてしまったときの練習にもなるし。
まず、汁がどのような感じで出ているのか、よく観察してみる必要がありそうだ。
・コンセントの穴、両方から垂れている。
・片方からしか、垂れていない。
・勢いよく汁を噴射している。
・いったん汁を拭い取ったあとがある。
・今は出ていないが、下に垂れた形跡がある。
・片方から汁が垂れているが、もう片方は汁を吸っている。
コンセントの穴、両方から汁が垂れている場合、これは電気屋さんに相談しなければならないことを示している。
汁に興味を持つ前に、電話するべきだ。
片方からしか汁が垂れていない場合もあるだろう。
一見両方から垂れているよりも安心感が生じるかもしれないが、これも両側から垂れているときと同様、電気屋さんに相談するべきだ。
「こないだ両方の汁漏れを直してもらったんですけど、今度は片方から垂れてきました」
このとき「ほら、前よりもましになったでしょ?」と電気屋さんが言ったら、その電気屋さんはかなりのやり手である。
勢いよく汁を噴射している場合。
それは例えば、そこにアダプタを差し込むと、そのアダプタがぽーんと飛ぶ。
そのくらいの噴射だ。
こんなことになるとすぐにでも電気屋さんを呼びたいところであるが、それよりも有効なことがある。
それは犯人を見つけることだ。
一般的に、コンセントの穴から汁が噴出することはあまりなく、それは明らかに人為的ないたずら、いやがらせ、殺意である。
「あいつだったら、これくらいのことはやりかねない」
そんな人はいないだろうか。
そいつが犯人である。
思いのほか長いので、次回。

人魚2割増し

ブログの更新も滞り中であるため、楽していこうと思う。
「えっ、ひとりで目薬をさせない人急増!?」
全然関係ないけど、「人急増」のところ、「人魚増」って読めるね。
で、目薬のさし方どうこうは、もはや新規介入が難しいほどいろいろあるけど、そんな中で冒頭のようなタイトルがyahooニュースのトピックストップを飾っていたら、どうだろう。
おもしろいだろうか。
それとももっとすごいことでなくては一面を飾ってはいけないと思うだろうか。
「えっ、日々の健康管理で、目薬いらず!?」
全然関係ないけど、「!?」ってめちゃくちゃ便利だよね。
で、健康管理さえどうにかすれば、目薬がいらなくなるってどうだろう。
できればそれよりもすごいことが「いらず」になってもらいたいところだよね。
もちろん眼圧を下げる目薬をちょこちょこ行わなくてはならなかったりすると、その煩わしさが健康管理で解消されることはいいと思うけど。
正直目薬いらずの人って、案外いそうだしね。
万年水道水って人もいるかもしれないし、例のを使用するために、小学校のプールに忍び込む人だっているかもしれないし。
「えっ、今年は人魚増で、ますます不老不死が流行のきざし!?」
今年は老若男女の定義を考えなくちゃいけなさそうですな。
20100808現在。

余生

余生を送る。
どうにも惰性で終わります、という感じがしないでもない。
しかし考えてもみると、人間次の1秒あとからすでに余生が始まっているとも言える。
「じゃあ俺、余生はオムライスで過ごすか」
こうすると「お前ずっとオムライス食べるんだからな!!」とツッコまれそうだが、安心してほしい。
次の日は「余生はカレーでいくか」と言い直せばいいのだ。
余生とはいえ、その生き方を変えてはいけないという法はどこにもない。
「失意の斉藤さん。今後は余生は静かに過ごすつもりである」
こう方針づけたからといって、飲み屋で騒いではいけないことはない。
少しくらいはいい。
「うそそれめっちゃ俺と趣味合ってんじゃーん!!」
「いいのそれ俺話すとすげー長くなるけど!!」
「うわそれ超いい感じに持ってってるよー!!」
斉藤さんは余生を満喫中である。

廃墟

唐突ではあるのだが、こんなことを思いついた。
「廃墟となった家の玄関に、どんな内容の張り紙があったらいいか」
唐突にお題を思いついてしまった。
暑いというのに、つらい。
しかしすぐに、なかなかの解答が出た。
「すぐもどります」
かなり怖いのではないだろうか。
ただ、これだけではあんまりなので、今考えてみる。
「何やらサンスクリット語のようなもの」
「セコム」
「そっとしておいてください」
これだけは言っておきたいのだが、廃墟の家に張り紙があっただけで、既に少しおもしろいのである。
だから、何が書かれていても多少はおもしろい。
そして各個勝手に深みを見いだせたなら、なおおもしろい。
「ディズニー」
「アッパー系」
「神秘」
「フォッサマグナ」
直球なのも、いい。
「隠れ家」
「入り口」
「破格」
「別荘」
心にじんとくるものだってある。
「パイオニア」
「二度と」
「宇宙」
「コラボ」
なんだか美しいものだってある。
「細野」
「坂本」
「高橋」
「YMO」
なんか最近暑いな。
終わりにすます。

カラオケバージョン

カラオケバージョンのものを1曲と数えるのか。
それが問題だ。
どうなんだ。
音楽プレーヤーに好きな歌を入れて外出、さて聴こうかというときに、カラオケだ。
周囲に誰もいないならまだしも、まず歌うなんてできないじゃないか。
カラオケバージョンは以上のような間違いばかりを生み、一方で恩恵はそれほどない、いらないものなんじゃないだろうか。
いや、いるのか。
いる人もいるのか。
ということは、ちゃんとカラオケバージョンの可能性も考えて、パソコン上の選曲を行わなければならないのか。
そこを、まちがったのがいけないのか。
そんなに おれが 悪いのか。
ここでもう「ララバイからの、おやすみなさい」を宣言したいところだが、問題は解決していない。
???カラオケバージョンの弊害???
なんとなく損した気分。
「あ、好きな曲が始まった」とだまされる。
試しに歌ってみて「自分は歌がうまくない」ことが、如実に。
カラオケボックスで流れる感じでもないため、いまいち練習にならない。
instrumentalって何かわからん。
???カラオケバージョンの恩恵???
曲は好きだが、人の話す声が苦手。
催し物で活躍。
自分の歌声を入れて録音、個人的に楽しめる。
「好きな曲だと思わせておいて、実はカラオケなんだろ?」と多少の優越感。
instrumentalって何かかっこいい。
???カラオケバージョンに替わるいろいろ???
狂言バージョン
音階バージョン
廉価バージョン
パチンコ店バージョン
まだ本気を出していないバージョン
音量を抑えたバージョン
始めて二日目のバージョン
朗読バージョン
ダメ出しが出たときのバージョン
新曲っぽくしたバージョン
カラオケバジョーン
谷啓「バジョーン!!」
カラオケバー「ジョンソン」
ごめんなさいおやすみなさい。

両手いっぱいの星

庭に植えてあるきゅうりか何かの葉に、テントウムシが引っ付いているのを見つけた。
それは確かジュウニヤホシテントウ。
アブラムシをばくばく食べるお仲間のテントウムシとは違い、こいつらは葉っぱを食う。
いわゆる害虫枠の昆虫である。
幼少期、僕はこれを両手いっぱいに集めて遊んでいた。
映画「となりのトトロ」では、メイちゃんがすすわたりというやつを捕まえ「とった!!」と叫ぶシーンがある。
映画を見た方ならわかると思うが、あれはすすわたり的には「とった!!」ではなく「殺った!!」である。
要は、明らかにつぶしている感じ。
僕はジュウニヤホシテントウを両手いっぱいに集めた。
しかしそれは、殺るためではなかった。
なんとなく、植えてある野菜なんかに悪さをするんだという認識はあったが、ただ単にたくさんテントウムシを集めることが、生きる上での重要項目上位だっただけなのである。
僕は手頃な保母さんに手の中を見せて微妙な表情を獲得したのち、満足げにテントウムシを放っただろう。
今は無理だ。
テントウムシを両手いっぱいに持つことなんて。
手のひらが黄色い汁に侵されるなんて。
現状、生きる上での重要項目上位に「テントウムシを両手いっぱいに持つ」はないのである。
そして、それほど勢力拡大していないこの虫をどうこうする項目もない。
我が家のジュウニヤホシテントウは今のところ、安泰である。

しんきゅう

針灸師の進級試験という「おイタ」があるとする。
このとき、これで終わらせてしまったら確実に人間としてめんどうくさい方面のレッテルを貼られることになる。
だから、多少無理をしてでも何かを加えて、「サイコーだよ」や「お、うまいな」、「なんだいつもひょうきんだなお前」、「はいはい」くらいにまでは持っていきたいものである。
針灸師の進級試験、凝りに凝ってる
どうかと思うような付け足しだ。
でもやらないよりはましだろう。
針灸師の進級試験、針すなお
もう、関係しているもの(この場合、針)を含む何かを付け足すのでも、まあいい。
ただ、なにげに「もっと何かすごいことがギャグとなっているのではないか」と思わせる効果があったりする。
針灸師の進級試験会場、のろしが目印
ここまでくるとちょっといいかもしれない。
もぐさの臭いでもわかるんじゃないか。
そんな気にさせる。
針灸師の進級試験日、4月9日(シンキュー)
針灸師を目指すものを不安にさせる試験側団体の所行だ。
シンキューと読ませるのも難しいし。
針灸師の進級試験に、肩かちかちのやつを複数用意する
針を通らせないやつを用意しておき、試験の難度をあげる魂胆。
誰にメリットがあるのかは知らない。

変更して送る。

昨日、ちょうど「ききい ききい」などと打っているときに、家ねこのキキが帰ってきたのです。
彼がさっさと帰ってきていたなら、昨日のブログ内容はきゅうりの浅漬けか何かの話題になっていたため、その点いいやつです。
そしてブログ書きあとにすぐ帰ってくるなど、不思議系動物の代表格、ネコの面目躍如といったところでしょうか。
では今日は、昨日でも起こった、「一部番組内容を変更してお送りいたしました」というものについてでも考えてみる。
基本的に、報道に緊急を要する場合に見られるものではないだろうか「一部番組内容を変更してお送りいたしました」。
例えば災害だ。
災害はあらゆる人に平等に起きる可能性があり、そのことを把握するのはきわめて重要。
「緊急を要する、かい」がある。
また、多くの人が被害を受けてしまった犯罪や国政の大規模な変革など、急いで報告したいものはまだまだたくさんある。
これらを見る限り、「一部番組内容を変更してお送りいたしました」が見られるのは、ニュースである。
となると気になるのが、「サスペンスドラマにおける「一部番組内容を変更してお送りいたしました」」などの、一見変更することなんてなさそうなメンツが、変更されちゃったときのことである。
こんなのはどうだろう。
ある役者さんが、ある事件の重要参考人となってしまった。
そしてドラマには、一瞬だけ彼彼女が出演しているシーンがある。
僕はよくわからないが、とにかく上記シチュエーションが、番組放送の是非としてどうなるかが微妙だったのである。
出演している時間は短いが、それでも確実に視聴者にはばれてしまう。
事件のことを考え、放送を取りやめるか。
しかしそうすると2時間、空いてしまう。
しかたない。
わんにゃんを放送するか。
しかしどうだ。
出演は一瞬じゃないか。
しかもドラマにおけるキーパーソンでもない。
そこだけどうにか、どうにかできないものだろうか。
そうして生まれたのが「意味ありげに立ち去る男のシーン→冬空と札幌の時計台のシーン」みたいなことになるのである。
もちろんここでは「事件の重要なポイントに北海道が関わる」のが大前提であって、もちろん鳥取なら砂丘が、静岡なら茶畑が、ガラパゴスならひなたぼっこするウミイグアナが、ちょいカット登場するはずだ。
とまあ、適当に話してまいりましたが、この手のは「ドラえもん」「サザエさん」あたりならかなり夢広がるはずなので、みんなで夢広げといて。
ちなみに僕としては「北斗の拳」で「一部番組内容を変更してお送りいたしました」なんて出てきたら、けっこうグッとくる。
以上です。

速度規制

前にも書いたかもしれない。
人にとって、時間は有限である。
だから、それほど有効でない時間の使い方はしたくないし、そんなことに注目した番組もやっているようだ。
しかしそれがわかっていたとしても、「はやくない」ほうがいいものもある。
そんなことをいうと、多くの人はまず「おばあちゃん」を連想するだろう。
素早いおばあちゃんはいやだし、一方それが時間の経過のことであったとして、やはり「はやくない」ほうがいい。
「熟成」
これも「はやくない」ほうがいい。
お酒だとしたら、超音波でもあてるのだろうか。
カレーだとしたら、熟カレーだろうか。
はやいこと。
でも、なんとなく「熟成」の完璧な感じが劣っている。
それはそれでいいのだが、別口で「はやくない熟成」も取っておいてほしいと思う。
「あたまをなでなでする」
これもだ。
せっかくの称賛が、はやくては台無しだ。
しかも、ぞんざいな感じがする。
「はい褒めてあげるよー、はい、次は誰ー」
できるかぎりゆっくりとなでてあげなくては、その意味も薄れる。
「あたまをなでなでする」ことに「はやさ」が関わってくるとしたら、それは「はやく会って、あたまをなでてもらいたい」というようなはやさの種類であるべきで、「けむりが出るくらいはやく?」の「はやさ」ではないのである。
あたまをなでる行為をスピードアップしてはならない。
それでも「あたまをすごいスピードでなでまわしてもらいたい」という人がいるとしたら、少し待て。
「人の頭をすごいスピードでなでる」には、相応の姿勢をとる必要があり、しかも「すごいスピードで手を振り回している」そのところに、来てもらわなければならない。
準備が必要なのである。