いわく

「ゲーテ曰く」
これだけで何となく言いたいことはわかるだろう。
「曰く」とつけられる人の存在だ。
一般的に、有名な人でないと「曰く」はつけられない。
斉藤さん曰く「絹ごしではなく木綿のほうがいい」
誰なんだろう。
ただし、ここで注意したいのが、その「誰なんだろうか」感が、別に豆腐のくだりのせいではないというところである。
なんか深さげなことを言ったとしても、有名な人でない以上、「誰なんだろう」感はぬぐわれない。
斉藤さん曰く「究極の節約は究極の浪費に等しい」
誰なんだろうか。
一方、有名であれば「曰く」がついても違和感がないし、さらに「ありがたみ」のようなものが増大する。
川上哲治曰く「優れた打者は、打席に立ったときに打球の描く線が見える」
そしてお察しの通り、特にどうってことないことを言っているときであれ、有名な人は「曰く」の恩恵をいけることになる。
川上哲治曰く「3倍モードで録画せずにはいられない」
なにそれ録画に値することだと言っているのか、逆にそうでないのか。
考えてしまう。
我々は、どうにも有名人の言うことには何かしら隠された意味があると考えがちなのである。
まさに「曰くつき」ってやつだ。

劣化する代替案

ある、おいしい中華屋さんに入った知人から聞いた話である。
注文したラーメンに箸を入れたとき、金たわしのかけらが入っていたという。
それとなく指摘したところ、それを詫びた店員さんは帰り際、腐ったみかんをくれたのだそうだ。
「腐り」の件が故意であるのなら、これは人類文化にとって大事件なのではないだろうか。
それは「代替が代替をなさなくていいという思想」。
代替が必要となった時点で、被代替者の不利益が決定しているのだ。
「家の天井、発注内容よりもだいぶ低いじゃないか!!」
「じゃあ、かがみながら生活してください」
「イ・ビョンホン似ってメールにはあったのに、全然違うじゃない!!」
「まずはランチにでも行こうか」
「ピザ、注文したのと違うんですけど」
「これ超おいしいっすよ」
その後いろいろあって、むしろ代替以上のものを得られました、ということもないことはないだろうが、たいがいは不利益となってしまうはずだ。
そんな思想がこの町から発祥するとはね。

眠れぬ夜は誰のせい

消化不良を起こしているのか、気持ち悪くて眠れない。
僕は少々にんにくが苦手なのだが、吐息からやたら、その臭いがする。
なむさんはかられた、という気分。
夜眠れないというのは、そのまま次の夜まで継続されるというのなら、それほど問題ではないのだが、たいがいは日中にその余波が来ることになっている。
今日の日中は眠たいこと確実なようなので、何かイベントでも用意しようかと思い立った。
10:00?
目覚めよ、からだの儀式
11:00?
トイレ探訪
12:00?
ラ・ンチ
13:00?
ウルトラ全開パワー
14:00?
キッチン用具で野球をやってみよう!!
15:00?
野球賭博じゃなくて、野球をやればよかったのに
16:00?
至4時の報告
17:00?
トイレ探訪
18:00?
夕焼け
19:00?
デ・ナー
20:00?
最長ためいきに挑戦
21:00?
おうちに かえれるかな?
寝てた方がましとの意見も。

家に通ずる

帰り道、自宅前の坂をかけ流れて川の方に向かうのが好きだ。
へばっているからさっさと家に帰ればいいのだが、その坂はなかなか長いので、自転車でつっきると気持ちいいから。
その誘惑に負けたとき、僕は夜な夜な、下った先の田んぼの真ん中で深呼吸することになる。
ひどく弱った外灯があって、なかなかにいい感じだ。
と、ここに来るとまず注意したいものが「なんだかエンジンをかけたまま停車している車」だ。
なんか怖い。
何が怖いかって、本来車は走っているもので、そのためにエンジンがかかっているものだから。
よくわからん田んぼのそばで胎動しているその車は、停車しているにもかかわらず、僕の考えを超越しまくっている。
そうそれはシティコネクションのように。
圧倒的に効果的な空白のあとで恐縮だが、注意したいものがもうひとつある。
ある民家なのだが、そこの新聞受け兼塀の灯りに、無数のあまがえるが集まっているのである。
これが楽しくてしょうがない。
田んぼに来る度に、この家の玄関前に寄ってしまう。
そしてあまがえるを見つける。
「おっ今日もあまがえる」
かえるの集まる家ってのは、なんだか縁起が良さそうな気がする。
何かは全然わからないが。

呪具といっしょ。

先日何かの回でマジカルステッキということを書いた、そのとき派生したものがあることを思い出した。
マジカルステッキ変遷なるものを思いついたのである。
これは、少女時代に授かったであろうマジカルステッキを、今後どのように所持するべきかを考えたもので。
少女時代:手に持つ。魔法少女としても映える。
小学校高学年?中学時代:少し魔法少女としての分が悪いので、音楽関連の部に入り、楽器入れにステッキを忍ばせる。
中学卒業式:証書入れ。
高校時代:持て余すため、あえてストラップなどにしようとするが、難しい。仕方がないので背中に入れておく。
ステッキを取るさまから、あだなが「抜刀」「グラディエーター」などとなる。
結婚式:魔法少女であることも包括しての、暖かい家庭を築くであろうことを予感させる、マジカルステッキによる入刀。
倦怠期:レジぶくろからステッキが顔をのぞかせる。
還暦:赤い袋に入れられる。
・・・
変遷長いな。
できれば結婚式あたりで引き継ぎたいところである。

とぐろ巻いて眠れぬ夜なんて

以前も書いたのだが、最近夜中に目覚めることが多い。
よく眠れるからと稲川淳二の怖い話みたいなものをよく見ているから、その分何か起きちゃうんじゃないかとそのとき不安になるが、特に何もないので大丈夫。
まあその信憑性はともかく、本気で来られるのは、困るのである。
ところで知っているだろうか。
レンタルビデオ店での稲川淳二は、もはやホラー枠において、ひとカテゴリを形成している存在なのである。
要は「SF系、実録系、稲川淳二系」などとなっており、区画が淳二に割り当てられている。
すごいことではないだろうか。
すごいことと言えば、僕はすごく地図が読めない。
すごい展開で申し訳ないのだが、とにかく読めない。
建物から出てきたとき、どちらから来たのかが、わからない。
地図をどう持てばナビゲートできるのかが、わからない。
「地図をいろんな風に持ってうろたえるお前は、さながらDJである」
午前5時。
みんなが地図を持って、今日が始まるはずだ。

6人

MAXのメンバーというと、ナナ、ミーナ、レイナ、リナ、マナ、カナで、ろくりっ子である。
それはあまり関係ないのだが、パソコンを変えた。
iMacである。
今日はこれで終わりである。
大丈夫。
ろくりっ子は、思ったよりもいい具合だ。

ぽろりの話 2

なんとなく前回の内容を見ていたら、発見した。
独眼竜の要所要所に「だ」を入れると、強そうになることを。
「ドクダガンダ流」。
=====
以前、「ぽろり」というものについて書いたことがある。
ぽろりの話
まあ、本音とか水泳大会のこととかを書いた気がする。
今日の帰り道、ほかにも面白い「ぽろり」もあるんじゃないかと思えてきた。
電車の背後にいた男が、こんなことをぽろりと。
例えば小声で、携帯電話で話したらどうだろう。
「代車だから、今組織に動いてもらうのは勘弁ですね」
これは、周囲の一般人に気づかいつつも、「ぽろり」と言ってはいけないことを口にした、スーパーヒーローではないだろうか。
おそらく出動時のハイテクなカーが車検中なのである。
だからいざというとき、代車を使わねばならないから、それはいやだなあと本音が出てしまったのである。
先ほどのとおり、周囲は一般人だ。
自分の正体がばれるという、大失態なのかもしれない。
また、こんなのもある。
「振り向いた拍子に、ワンピースのすそからマジカルステッキが、ぽろり」
魔法少女である。
これも周囲はかなりおもしろいが、本人にとってはかなりまずい。
記憶消されることうけあいである。
最後に、こんなのも考えてみた。
「やっべゲルニカのはじっこにあれ書くの忘れてた」
こいつピカソだ!!。

nn雑学集

なるほどなっとく雑学集
1.シマウマの黒い部分の全長は、25mガムテープの全長と同じである。
2.熱気でアスファルトにかげろうが生じるのは、温暖化問題に反応した政府の過剰演出である。
3.シェフやパティシエが装着する長い帽子には、ファーキリンストン効果による、からだを冷やす作用がある。
4.美容師の彼と付き合うことにすると、次の日から枕に大量の短い髪の毛が付着することがある。
5.macのりんごかじりマークの面積は、そのパソコンの全ハードディスク容量から使用容量を引いた数でもとめられる。
6.信号機のメーカー内では、赤を「太陽」、青を「海」、黄を「めぐみたん」という隠語で表現している。
7.人の家系を相対パスで表そうとするとき、Eveは省略しても良いようになりました。
8.ホタテ貝の貝殻のひだひだは、幼少の頃にかじられた時にむにゅっとなった跡である。
9.歯ブラシ「毛先が球」の生産が終了したのは、思いのほか毛先が球になっていなかったことがばれるのを防ぐためである。
10.花王のホームページで調べてみたら「毛先が球 [ふつう]」とあった。おもしろかった。

昼食

最近、昼ご飯を抜いてでもラムネばかり食べている。
ちょっと異常だ。
何やらぶどう味のおいしいやつが出たのだ。
それには味がふたつ入っていて、それは甘いグレープ味のものと、ソーダ的なしゅわしゅわする、すっぱい味のだ。
僕はすっぱいやつが好きだ。
いやしかしグレープのほうもなかなかなので実際のところ、引き分けだ。
以前書いたかもしれないが、幼少の頃もだいぶラムネばかり食べていた。
虫歯は、確実にラムネが生成した。
そのころは「マスカットラムネ」というものがあり、その口溶けの良さがたまらなかった。
これをポカリスエットと交互に食していると、何やら万能感すら芽生えたものだ。
しかしこのマスカットラムネもいつの間にかなくなり、僕の嗜好はブラックブラックガムの飴バージョンのものに浮気をし、ラムネ時代は終わった。
そんななかでの「ぶどう味のやつ」。
久々に歯を溶かしまくっている感じだ。
一方、もうひとつ気に入っているものがある。
「ザ・コーン」というスナック菓子なのだが、これは以前「ガリレオ」という名前だった。
いや、会社とか違うのかもしれないが、正直「ガリレオ」以外の何者でもなかった、「ザ・コーン」。
これもおいしい。
とんがりコーンみたいだ。
じゃあおいしいのは、まずはとんがりコーンなんじゃないかとも言えるのだが、「ザ・コーン」はバターが利いている。
これ、バター味なのである。
こいつを昼時じゃないときに食べて、そのにおいとがりがり音で周囲に存在感をアピールすることが、もっぱらな近況である。
ということで、この2つが昼食がわり。
調子出ないのも当然といったところな気もするが、おかしのせいにすんなの意見も。