ユリが3本1050円なんだそうである。
花には詳しくないのだが、ユリは見た目が豪華だからそのくらいするものなのだろう。
しかし気になるのが売り方だ。
店員さんが店前でユリを手に持ち、ちょうど魚屋がやるような「らっしゃい、らっしゃい」な雰囲気。
3本1050円だよと、ずいぶん離れても聞こえる。
生きがいいのは認めるが、花はどうなんだろう。
そういった方法がベストなのだろうか。
壁掛けの一輪挿しに飾るような花でもないわけで、やはりユリを所望する人は最初から客引きなどしないでも買いにくる訳だ。
そしてユリに用のない人は、客引きしたとしても「ちょっとユリでも」と居酒屋に寄るようにその3本を手に取るとは考えにくいのである。
と、これは僕が何か、生きていく上で重要なものを見落とし続けて現在に至る、ことを示している事象なのかもしれない。
店前の店員さんからさっとユリを受け取ると、そのまま目の前の知らない女性へ。
これでうまくいくのかもしれない、何かが。
あるいは外出上想定外だったユリを持って電車へ。
「いい香りですね」とかなるのかもしれない、女性が。
または鼻をつっこんでユリの香りをかぎながら図書館へ。
「花粉がついてますよ」とかなるのかもしれない、鼻が。
総じて女の子は花が好きだなんて考えているわけではないが、上記例で図書館を持ってくるあたりが、我ながら末恐ろしいことになっている。
まあ、花を極端に嫌いという人もあまりいないだろう。
となると、今回のユリは幾分、分がいいように思う。
なんたって3本あるし。
とでも思わないと、花屋のユリ威勢が腑に落ちなさすぎるのである。
カテゴリー: 楽したい
闘志まる見え
今、目の前にある虫さされ薬「キンカン」のラベルを見ていたら、「火気厳禁」の文字が。
確かに、あの塗ったときの揮発感といい、アンモニア臭といい。
燃えそうだ。
となると実行可能か気になるのが「虫さされフランベ」だ。
かゆみがより早くなくなりそうだ。
一方、キンカンは肩こりにも効用があるという。
「肩こりフランベ」はどうだろう。
スーパーサイヤ人みたいだ。
21
先日が野球の応援歌の話題だった影響を受けてか、「江夏の21球」というのを思い出した。
確かノンフィクションだったが、読んでない。
ということで内容が分からないので、「江夏の21球」が今、ライトノベルとして登場したとき、タイトルはどんなだろうかを考えてみる。
「アンダースロー探偵団 本日営業中」
「君にだけスイッチヒッター」
「あまなつバックスクリーン」
「まさひろの受けバット、ひろしの受けボール」
「ハートへの1000本ノック 393本目」
あれ、ライトノベルってどんなんだっけ。
いかんせん、読んだことこちらもないので。
そして僕、まだこんなんだっけ。
いかんせん、疲れておりますので。
明日の予定
「夕食がトンカツだということは、あなたは私を励まそうとしているんですね」
「そうです。勝つ、ですから」
「そうなると、その付け添えがアスパラガスのソテーであることは何か意味があるんですか」
「そうです。明日がパラダイス、ですから」
「その積極性が、魅力的ですね」
「ありがとうございます」
「あ、あなた。今私に微笑みましたね。それは何か意味があるんですか」
「あなたの「勝つ」だとか「明日がパラダイス」とかに、私を巻き込もうとするのはやめてくれませんか」
「・・・」
Q
掃除機でキーボードのQを吸ってしまった。
「Qを吸う」となると、何となく「ウルトラQ」という昔のテレビ番組オープニングを思い出す。
あれは怖かった。
なんか粘性の高そうな液体表面が渦巻いていて、しかもなんなんだタイトル「ウルトラQ」って。
実は番組自体を見たことはなく、そのオープニングを何か別の番組で見ただけなのだが、とにかくおぞましかった。
そしてキーボードのQが吸われる事件。
ウルトラQほどではないにしても、Qらしきカラカラした音が掃除機本体へ入っていくのはなかなかおぞましかった。
しかし普通なら、ここからQを探す旅のことでも書くのだろうが、例え手元にミクロ化装置があったとしても。
あるいは掃除機本体をぱかりと開ける労力があったとしても。
もういいやの心境。
Qはもういい。
多分いらないよ。
確かに余り使わない気がする。
せいぜいパスワードに使っていたりするときくらいじゃないだろうか、日本人のQ使用量。
それに、もしQを入力したい場面が訪れたって、「きゅー」とうてばそれは現れる。
あるいはどこかのサイトにあるQを持ってきてもいい。
キーボードの左端が少し寂しいことになっている。
しかし上に挙げた理由のように、Qのボタンはいらない。
ないことに全然疑問を感じない。
中央
結構文庫本を読むのだが、1ページの文章の配置を中央にしたら面白そうだと考えている。
密度の濃いページはほとんど代わり映えしないだろう。
しかしちょうど物語が終わり際。
そのため1行だけページが変わるときだと、それがさもすごく意味ありげな1文に見えそうだから。
たまたま見つけた文庫本で「1行だけのページ」がなかった。
あんがいこういうのは作家も出版社も気にしているのかもしれない。
「このページ、1行しか書いてないから、その分安くなるでしょ?」
仕方がないのでセンター1行だと面白そうな文を探してみた。
「前から知ってたけど」
そうか、前から知ってたのかーと思いが広がる。
「ってきていて」
それ以上でも以下でもない内容どころか、意味を失ってしまった分。
しかし中央に1行だけだと意味深。
もはや芸術性すら感じる。
それにしても小学校の頃「行の最初に小さい「つ」を持ってこないようにする」という教育を受けたような気がする。
この文庫本はいったいどうなってんだ。
「都度答えた」
これが1行、中央にあるページってすごい。
官能的だ。
そして食いつく。
「都度!!」
「捨てたりしていた」
今では省エネのことを考えずにはいられない。
こんなことしてないで、パソコンも消すか。
全然すっきりしない。
フリスクの出口横の小部屋についてでも書こうと思ったら、すごくいろんな人が気にしているようだ。
ならもういいか。
十分だ。
だから「一般的な日常生活で、ミサンガを編む方法」とかを考えるか。
まず思いつくのが「長い糸を前で交差させてその端を両手で持つ。その状態でラジオ体操をすると、第二終わりには右腕にミサンガができている」とかだ。
すごくいいが、ちょっと動作が足りないかもしれない。
動作が足りないのならもっとラジオ体操をすればいいのだが、度を超えたラジオ体操はもはや主張だから、やりすぎには注意だ。
なんたってその主張はミサンガ関連になるわけだし。
劣化はひどく、自然なこと。
「君んとこのホームページさ、遺伝学のことがくわしくて、すげーレポート書くときに便利なんだけどさ、なんかこう、字が読みにくいんだよね」
「これってブラウザのせいとかだったりするの?。そういうことあるのか知らないけど」
たぶんそこ、テストに出そうな、重要なところだろ。
「そう、そうなんだよ」
どうもそういうのってみんな欲しいから。
コピペのやりすぎでそうなるらしいよ。
味玉ジェネレーション
「このからあげ、味がよくしみ込んでいておいしいね」
「味玉だったんだろ」
僕としては、ここからである。
例えば飲んだ後の定食屋でのことだったとする。
ここからどうなるか。
理科を思い出してもらいたい。
確か鶏卵の黄身はひよこではなく、養分だったはずだ。
そして味玉で一番味がついていそうな白身。
これもひよこではない。
生卵を割ったときの、黄身に点とついているものがある。
胚と呼ばれるそれが、ひよこになる権利を持つものなのである。
つけだれに漬けたとしても、成鳥に味なんかつくものか。
味玉でも、こんな立派な鶏肉にまでなれるのか。
その鶏が生んだ卵は、何もしなくてもうっすいだし巻き卵になるんじゃないのか。
とりあえずラーメン屋の味玉に「胚」を探そうとする自分を思い、ゆっくりと箸を置く。
そうなるとボケた甲斐があったというものだが。
チョコミントについて。
サーティーワンのアイスがトリプルになるとくれば、心配なのは1個目と2個目、あるいは2個目と3個目の接合部分の混じりゾーンのところだ。
これが例えば、バニラとチョコだったらまだいい。
しかしフルーティなやつとチョコミントだったらもう食べる気失せる。
そもそもチョコミント自体が混ざっちゃいけない2トップが混ざっているだろう?。
だから、フルーティなやつとチョコミントの接合部は、もう混ざり過ぎだ。
しかも一番上がチョコミントだったら、どうしよう。
一番上から垂れるわけだから、他2つが汚染されてしまう。
逃げろ!!。
でも逃げてもアイスは手に持っている訳だから、逃げても逃げても逃げ切れない。
僕は今でもチョコミントから逃げ切れてはいる人生なのだが。