血液型に限らず、取扱説明書というのはその意義が面白い。
いろいろ思いつく。
過剰な注意書きも面白いし、以前触れたがその書物の厚さも気になる。
しかし単純に、正常な使用方法のところも捨てがたいものがある。
例えば、オセロ(リバーシ)はどうだろう。
「最終的に色の多い側が勝ちです」
これはいい。
ごもっともだ。
しかし、次にこう来たらどうだろう。
「この他にも、自分で新しい使い方を見つけてみましょう」
昔のファミコンソフトの取扱説明書によく見られた記述である。
オセロの新しい使い方とはなんだろうか。
これも以前触れたが、例えば新規ルールを作ってしまうだとか、黒と白を0と1に見立ててビット計算ができるかもしれない。
64マスを利用して、いかに細かい絵が描けるかに挑戦するのもいいし、角が取れそうなゲーム状態のものを路上に放置し、通りがかる人がどれほどそれに興味を持つのかを観察してもいい。
オセロの駒?の裏表に、それぞれ黒字と白字で一文字書き、ゲームを進行。
終了時にどんな言葉ができているかを見てみるのもいい。
しかし、これらは新しい使い方と言えるのだろうか。
僕には分からない。
では、以前流行ったことのある「血液型の取扱説明書」はどうだろう。
あなたは人見知りですね。
でも、正義感がありますね。
自己主張は激しくないですね。
よく知らないのだが、おそらくこんな感じだろう。
しかし、最後にはやはりこう来る。
「この他にも、自分で新しい使い方を見つけてみましょう」
この場合、その新しい使い方とは自分の血液型の事で、ある意味「自分の使い方」と捉える事もできる。
自分の使い方とは何だろうか。
僕はちゃんと正しい使用方法をとっているだろうか。
カテゴリー: 楽したい
作りかけ自由研究
どうにかして思い出そうとするのだが、どうしても「自由研究」をやった記憶がない。
というか、たぶんやっていないような気がする。
やっていなくて卒業できるのだろうか、小学校。
もしかしたら「まだ70年くらいかかります」という理由でもつけたのだろうか。
まだ研究中なのだろうか。
卒業証書に仮とでもついてなかっただろうか。
70年かかる研究とは何だろうか。
爪を切らない。
髪を伸ばし続ける。
体を洗わない。
びっくり人間である。
びっくり人間は、人生そのものだった。
生還
物事というのはある周期で回帰するらしく、例えば服装。
ずいぶん前に流行ったものが、今むしろいい、なんてことはよく聞く話だ。
最近において、その最たるものといえばプロミスのカエルなのだが、あれはどうなんだろうか。
ギャグの内核、カエルは回帰してきたのだろうか。
自分の生まれた池に産卵しに来る性質のカエルがいるという。
この場合、その冗談みたいな名前がかわいそうですね。
ちなみにカエルの語源は古代ローマの政治家、カエサル。
英語読みでシーザーと呼ばれた彼は、カエルが大好物だったことが日本に伝わりました。
この場合、そのいまいち面白くない嘘がかわいそうですね。
近くの洋食屋に行ってみる。その2
昨日からの続きです。
【あらすじ】
近くの洋食屋さんに入ってみた。
=====
簡単にまとめると、入店してから45分くらいたって店を出たときには、おいしいビッグサイズハンバーグがお腹のなかに収まっていたんだ。
で済む。
そしてまとめに入れなくてもいいなというものが、以下の通り。
・夫婦でお店をやっていたが、少し奥さんの機嫌が悪かったらしい。
・鬼平犯科帳がそろっている。
・だんなさんは一瞬たりとも姿を見せない。
・常連客らしきおばさんの団体がうるさい。
・毎日、多くの動植物が絶滅の危機に瀕している。
特に5番目は、まとめに入れなくてもいい。
全然まとまんなくなるから。
そして幼稚だ。
「高層ビルなんて、何も考えずに鉄筋組んでいけばいくらでも高くなるんでしょ?」
このくらい幼稚。
「鼻に詰めた落花生を勢いよくふき出すと同時に、舌でそれをとらえて食べる」
結構すごいが、幼稚。
「鼻に詰めた落花生を勢いよくふき出すと同時に、舌でそれをとらえて食べる動物が絶滅の危機に瀕している」
僕、こういうのあんまり好きじゃないな!!。
近くの洋食屋に行ってみる。その1
実家の近くにおいしい洋食屋さんがあるというのは、けっこうなステータスなのだと思う。
どうせ土日にしか行かないのだが「うーん、今日はお昼ごはん思いつかないからそこ行こうか」と言わせてくれる洋食屋の存在は、ふやけたせんべいのようになってしまう休日の人間を一瞬輝かせる。
もちろんそんな洋食屋を知らなかった僕たちは、案外近くに洋食屋さんがあることを知った。
というか思い出した。
以前、とは言ってもずいぶん昔になるが、一度来た事がある店。
そしてその店の前はよく通る。
しかしいかんせん、やっているかやっていないか全然わからない面持ち。
「店のドアを開けてみたら、家族がこたつであったまっている」
初めて行く「ひっそりとやっていそうな店」において、来客の一番恐れるものが、それである。
お店はとっくにやめて、普通に生活しているだけなのではないか。
それとも「準備中」の札がかかっていたのか。
いや、これは準備中にもほどがある。
この店の従業員は変温動物かなにかだろうか。
要は、そのだんらんな感じのところに入店してしまう。
その居心地の悪さは比類ないことを人生において経験しているため、「やっているかやっていないか全然わからない店」に入るのは勇気がいるのだ。
明日。
店に入ってみた。
5000の世界
今日も何も書かないでいいかと筆を置こうとしたとき、机の上に五千円札が置いてある事に気づいた。
やったね。
五千円というのは、助かる。
千円だとお昼2日で無くなるなと残念に思うし、一万円だとくずしたくないから使わない。
五千円は無駄遣いはしないにしてもだらだらと一週間くらい使い続けられる、ちょうどいいお札なのだ。
それにしてもお札に描かれている人というのは、ひどく「すっ」としている。
五千円札の樋口一葉は、すっとしている。
小説家なのだから、筆を持っている像とかでもよかったのに。
例の、たけくらべしてる像でもよかったのに。
「すっ」としているし。
今、すごく素直な気持ちになって、この五千円札を見てみる。
着物を着た日本髪の女性の右上に、5000。
戦闘力みたいで楽しい。
いや、ある意味戦闘力というのは正解。
千円よりも五千円の方が戦闘力高いのは疑いようのないことだろう。
となると、例えばドラゴンボールの戦闘力測るやつ。
あの測定値は絶対評価なのだろうか、相対評価なのだろうか。
というのも、あの女性の5000のことを考えると、どうも世界情勢なんちゃらが頭をよぎるから。
いとしこいし
夢路いとし・喜味こいしのお二方が既に他界されているとなると、僕の考えた「時すでに遅しこいし」はちょっと不謹慎な気もしている。
しかしこう書いてみているのは、彼らが生粋の漫才師であったこと。
そしてそれほど「時すでに遅しこいし」というのはうまく言ってない点。
なんか前の彼氏彼女のことが忘れられない事なの?と勘違いしそうな点。
その辺と、今日は他に何も思いつかないなという気持ちが合わさり、書いてみた。
亡き人のことを思い出すことが、供養になるという。
だから、さりげなく口にしていこうと思う。
「あーもう終電間に合わないじゃん。時すでに遅しこいしだよ」
怒らないでほしい。
たぶん本人がもう怒ってるあるいは「確かに遅いっちゃあ遅いけどね!!」とツッコミ入れてるから。
プリン食べたい。
夜も21時くらいを過ぎた頃、唐突に何か食べたくなる事がある。
プリン
ゼリー
クッキーの裏にチョコレートのついたもの
この辺りだ。
今、プリンが食べたくなった。
プリンには様々な種類がある。
僕が好きなやつは、とにかくカラメルが入っているもの。
ときどき、おしゃれ嗜好なのか高級嗜好なのかは分からないが、カラメル構造を持たないプリンがある。
あれはちょっとざんねんだと思う。
見た目もぬぺっとしてしまって、カラメルとの対比も望めない。
一方で、牛乳プリンやごま豆腐プリンがあり、これらは確かにカラメルは必要ない気もする。
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かわいいいたずらコーナー
・夫がセットした目覚まし時計の場所に、プリンを置いておく
・愛妻弁当の包みが濡れ、甘い香りが出てきている
・ブーツにプリンを2個、入れておく
・お子様ランチのデザートとして出てきたプリンをすぐ取り上げて食う
・朱肉と偽ってプリンを出す
=====
確かにカラメルは必要ない気もする。
しかも最近は様々な種類のが並んでいるものだから、もはや最良のものは複数存在するような状態なのである。
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かわいいいたずらコーナー
・「海のプリン」というコピーでイソギンチャクを市場に売り出す
・プリンを巾着で包んで絞る
・プリンを玄関先に置いて、ピンポンダッシュ
・歯磨きチューブに仕込む
・ワイングラスにプリンを入れて、「最高級のロマネ・コンティの亜種」として押し通す
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確かにカラメルは必要ない気もする。
ヒュージワークス その9
昨日からのつづき。
【あらすじ】
大阪に行ってきた。
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たこ焼きを食べ終えると、ゲーセンを探し始める。
ここにいるメンツはスト4を多少なりともたしなむからである。
ひとごちゃの街をさまよい、かろうじて発見したゲーセンは少し古いスト4しかなかったが、とりあえずそこに陣取り、対戦を行う。
勝ったり負けたりを続けるなか、僕はこのゲーセンに「ビシバシ」がないことを残念に思っていた。
「ビシバシ」は3人でやるやつで、とにかくボタンを連打するだとか、何かのたびに疲れるミニゲームを提供する。
その連打する様は周りで見ていても楽しいが、まず一人ではやれないこと、とにかく疲れる事が欠点である。
ちょうど3人いたのだが、その「ビシバシ」がない。
残念だ。
しかしなくてよかったのかもしれない。
今それをやると、吐いてしまうかもしれないし。
対戦を終え、ホテルに向かう。
明朝には帰る予定。
この大阪旅行は、ほぼ日常だった。
飯を食い、ゲームをし、寝る。
雨さえなければ、もう少し旅行っぽくなったかもしれないが。
唯一日常じゃないことがあるとすれば、購入したご当地アイルーを大量に所持していること。
見方によっては、イリーガルな薬なんかよりもよほど、たちが悪い。
ヒュージワークス その8
昨日からのつづき。
【あらすじ】
大阪に行ってきた。
=====
初めてのフグである。
しかし、おいしいがなにせ初めて。
正解がわからないので、このフグを正解として覚えておかねばならない。
今回のフグがおいしいものなのか。
それは次の「答え合わせ」のときに分かるのである。
フグを食べ終えて店を出ると、別グループがナンパ橋付近のたこ焼きを食べにいくという。
たこ焼きは食べ過ぎていたが、もう大阪の中心とも言うべき場所のたこ焼きには興味がある。
ついていく事にした。
ナンパ橋はまだまだ人が多い。
そしてたこ焼き屋さんもたくさんあった。
「大阪→たこ焼き」
この構図に少しありきたりな発想過ぎて、大阪に申し訳ないなと思っていた。
しかしこの場所を見る限り、例え僕がその構図を全く持ち合わせていなかったとしても、大阪から帰ったときにこう言うだろう。
「大阪はたこ焼きだったよ」
このたこ焼き屋さんの数を見ると「大阪→たこ焼きの発想から店がたくさんできた」「たこ焼き屋さんがたくさんあったから大阪→たこ焼きの構図ができた」のどちらが先なのかと疑問に思う。
しかし、おそらくは同時進行なのだろう。
大阪はたこ焼きであったし、大阪以外の人もたこ焼きだと思った。
大阪のたこ焼き構図は日本のみならず、世界が一丸となって確立した唯一の「建造物」なのである。
2件ほど覗いた店では、目の前でぷちぷち焼いたたこ焼きをそのまま提供してくれる。
大量のたこ焼きをさばくさまはかっこよく、そしておいしかった。