またしても福島に行ってきた。
親類がいるので、墓参りという名の遊びである。
家から福島市内までは車で5時間ほどかかるため、日帰りとなるとだいぶ朝早くから出発になる。
しかしサービスエリアでちょいちょいつまみ食いをしながらの小旅行というのは楽しいものだ。
高速道路出口付近で親類と待ち合わせ、合流。
僕は親類側の車に乗り込んで、花とお酒を購入するために別行動をとる。
そのとき、こんな話をしてくれた。
直線に長く続く道路を進んでいた時。
その正面に見える山を「吾妻山」だと教えてくれた。
僕は土地や地図というものが致命的に疎く、そして調べない。
都道府県から既にあやしく、しかしそれで人と話すのが面白いため、そのままの知識。
そういったわけだから、福島に吾妻山があることなぞつゆ知らず「ほうあれが吾妻山かえ」ととぼけるほかないのである。
その吾妻山には雪がまだらに残っている。
それを親類は「何に見える?」と聞くのだ。
あれは雪である。
そう伝えると、そうではなく、何か動物には見えないかと再度質問。
よく見ると、確かに山の起伏によって雪の残り方は抑揚を得ており、何かしらの絵柄に見えなくもない。
パノラマロールシャッハをこんなところで試されるとは。
例えばここで、僕がその残雪をブラジャーに見えてしまったとしたらどうだろう。
パノラマのブラジャーである。
視聴者はモザイクのかかった吾妻山を見て、何を思うのだろうか。
なんてことはさておき、何となくわかってきた。
うさぎに似ているのだ。
その旨伝えると、親類はまさにその通りだと言う。
どれほど市民権を得ているのかは不明だが、親類はこう続けた。
福島では吾妻山に白うさぎが見えたとき、それを春の種まきの合図としていたのだ、と。
僕はこんなタイミングで日本昔話ライクな話が聞けるものとは思っていなかったので、うれしくなってしまった。
それにしてもよかった。
さっき適当に例えた「ブラジャー」じゃなくて。
だって、なんだって「福島では、吾妻山にブラジャーが見えたら種まきのシーズンである」。
ブラジャー!!。
種まき!!。
もうたたく!!。
カテゴリー: 楽したい
景品
久しぶりに友達が集まるというので、秋葉原にて集合。
いつものように時刻通りに全員集まることはなく、しかも秋葉原ということもあって、時間までだらだら歩くことにした。
ポスターにアニメ絵が多いのは変わっていないが、駅自体が新しくなっている。
電気街の改札を出ると、これまたなにやら奇麗になっている。
コスプレ的な人がいるのは前からのような気もする。
以前あった味ある建物もなくなって、するどい形のビルが建っている。
先に来ていたひとりと合流し、駅前で目立つガンダム店とAKB店を覗くことにした。
ビームサーベルの傘があるねえ。
あるねえ。
みんな研究生の子なのかねえ。
なのかねえ。
少し歩いてUFOキャッチャーの店を見つける。
景品はアニメのもので、かさばるものが多い。
このかさばるのを、遅れてきたヤツにあげよう。
そう画策した我々は、大きなフィギュアに狙いを絞って、奴らが来るまでに取ることにした。
アームが箱をなぜる。
両替する。
コスプレの店員さんが取れないで騒ぐ僕らを軽く制す。
結果、僕らはいいお客さんになった。
今日の酒はうまいはずだ。
メモを消化
バカリズムとアフォリズムをかけようと思っていたら、既にいろんな人が書いているようなのでざんねん。
ヘタすると、本当に由来がアフォリズムだったりするようなセンテンスも検索でき、これは書けない。
しかしその下のメモには「ちんちんを、さも生殖器ではない風に言おう」「妻に気を許さない」と書かれている物だから、いったいどうすればいいのか。
「どうしても録音時に小さいノイズが入るから、集音のTmv値をちんちんベースでやってみよう」
とりあえずやってみたがどうだろう。
もちろんTmv値というものは存在せず、もし存在していたら、うそとわかりきって書いた僕とTmv値の劇画的出会いがここで訪れる。
もとの話題を考えるまでもなく、次の「妻に気を許さない」について考えてみると、今はこうなった。
「それとも私にする?のセリフ前までに、風呂か食事かを決めておく」
ほんと、今はこうなったわ。
生身でゴー
あいつ、生身なのに走っているいのししの前に割り込んだよ。
ドMだなー。
というメモがあったのだが、人はどれほどから「生身」を主張してよいのだろうかと考え込んでしまった。
全裸
確かに、目をみはる生身である。
しかし、例えば熊に対して、この状態で立ちはだかったらどうだろうか。
スーツ
結構生身なのではないだろうか。
そう考えると、生身は比較対象があって初めて「ああそれは生身だね」と納得できるものらしい。
相手が何らかの戦闘ロボなら、ヘルメットをしていても「あ、あの人、生身でロボに体当たりした」みたいに言えるし、ユニクロンが相手なら、ガンダムに乗っていても生身である。
この肥大性はそのままそっくり逆方向へ行けそうである。
一見、全裸が最終形な気もするが、例えばこれはどうだろう。
全裸(全剃毛)
全剃毛という言葉があるかどうかわからないが、単なる全裸よりも、より生身な気がしないだろうか。
そして生身への意気込みも感じさせる。
こうなると、次はどうだろう。
全裸(全身傷だらけ)
これはテイモウよりもさらに生身な感じだ。
とにかく、生が出ちゃっているポイントが高い。
しかし、もうお気づきの方もいるだろうが、この逆方向への肥大性は無限ではない。
なにせ、続けて行った結果は「がいこつ」になりそうだからだ。
がいこつ。
全然生身じゃない。
あたたかくない。
ふたつ泣いてもいいですか。
いつの間にかエロ本が、あいうえお順に並んでいる。
金曜日の夜。
ラッシャーですら、物を食べるときにゆっくり口に、持っていく。
土曜日の朝。
「恋しいのは明け方だけ」と、毛布をけとばす。
日曜日の朝。
消臭
先日、「拳銃の形にくり抜かれた聖書」というタイトルをつけたのだが、何か臭う。
とても臭う。
何かの映画で見たような気がする。
拳銃を隠し持つための方法だっただろうか。
どうにせよ「拳銃の形にくり抜かれた聖書」が示唆するイメージは、個人的には耳をパテで塗り固めたくなるくらい饒舌に、こちらに何かを訴えてくる。
だから、聖書にはもっといいものを隠そうか。
そう考えるとへそくりというのは、その物質的な意味以上に価値があることがわかった。
観音像はどうだろうか。
逆マリア観音か。
しかしキリスト教は仏教を弾圧していたかどうかはよくわからない。
たぶん、聖書に隠さなくてもいいはずだ。
手に聖書。
もう片方の手には観音像。
なんかインターナショナルだ。
左右の優劣もないし。
へそくり、観音様とくれば、次は実印だろうか。
だろうか、ってのもないですが。
耳栓を隠しているってのもなかなかいい。
集中しようってことなのか。
となるとアイマスクだ。
時には目を休めようということなのか。
あるいは目に見えるものだけにとらわれないようにという、何かのお世話だろうか。
あーたしか、耳栓に比べてアイマスクは弾圧されていたっけな。
拳銃の形にくり抜かれた聖書
久しぶりにツタヤに行ってみると、「おもいでエマノン」系列の漫画が新しく出ていた。
これだから本屋には久しぶりに行ってみるものだと、さっそく購入。
しかしそれが1週間ほど前で、まだ封を開けていない。
忙しいことは忙しいが、封を開ける時間がないと言えばうそになる。
他の本を読むし、ゲームもやるし、遊びにも行く。
ただ、気分が乗らない。
マーダーがレッドラム的な、ノーネームなエマノンを読むのが。
何事にも気分というのは重要で、いつもはおいしい炭酸ジュースも、気分次第で不快な泡立ちと迎合した甘さ。
果汁ゼロパーセントが鼻につく醜悪な合成着色水に見えてくる。
僕も気分に左右されがちな性格だから感じるのだが、これは当人が悪い。
気分くらいは、どうにかして社会的水位を維持したいところ。
でも無理をして「気分すげーいい!!」と思い込もうとしても意味はないから、そこは難しい。
ただ、その調整がうまくいっていない間は、エマノンはやめておくか。
もし封を開けていない理由を考えるのだとしたら、こういったことが思いつく。
そう考えると、気分に左右されないもの。
今回は本になるだろうか。
そういうものがあるならば、それはある意味価値ある本になるのではないだろうか。
「気分に左右されずに読める漫画」
著者はいやかも知れないなあ。
もちろん、多くの人が思いつく、数字だらけの電話帳や理科年表はこの話題に持ってきやすい。
「気分に左右されずに読める電話帳」
ありそう。
しかし、僕がこれを気軽に取り上げられないのは、次の可能性も同程度以上にありうると思っているからである。
「気分に左右されずに読めない電話帳」
どんな気分にあっても読めない本。
それはそれでぐっとくるのだが。
オサキについて。
先日も触れた怪談のアーカイブで、気に入っている話がある。
それは「オサキ狐」というもので、まとめると「キツネのようなものが、やかんや家具をくわえてたくさん走っていた」というもの。
調べてみると、オサキは家や人に憑くということらしく、それは物を持ち運ぶとのこと。
オサキの憑いた家には、なぜか物に困る事はない。
そんな、今で言うところの「パパに貢いでもらってる」的な生活スタンスを昔の人はそう考えた。
あるいは裏家業で栄えたことを、モーラー的なテクニックでごまかしました。
そんな背景がオサキにはあるのだろう。
それにしても、「キツネのようなものが、やかんや家具をくわえてたくさん走っていた」という映像がかなりいい。
その怪談では、栄えていた家から逃げ出したのではないかという、福の神的な一面を取り上げていた。
確かに、家の床下から「キツネのようなものが、やかんや家具をくわえてたくさん走っていった」のを見たら、ああなんかだめだねという気がしてくるから不思議なものだ。
「マンションの4階エレベーター前に、キツネのようなものが、やかんや家具をくわえて待っていた」だと、ああ4階の誰かのうちから福が逃げて行くんだな、という気がしてくる。
どうにかなだめて戻ってもらうようにしたくなる。
「会社から、キツネのようなものがストレージをくわえてたくさん出てきた」
これはちょっと、セキュリティ関連のCFになりそうなくらいだ。
「火事の時、キツネのようなものが妻をくわえて出てきた」
「火事の時、キツネが妻のようなものをくわえて出てきた」
「火事の時、妻のようなものがキツネをくわえて出てきた」
すっごいお腹が減ってきたので、楽しました。
マンドリル、マンドリル。
【なんとなく意味ありそうな1文で、テキトーな文章を締めてみるコーナー】
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あーもうなんで祝日の前の日夕方に、こんな立て込んだ仕事を仕込むかね、ほんと。
普通飲みに行く予定、入ってるでしょ。
しかもそれほど急がなくてもいい仕事。
あーもう。
なんでこんなに一生懸命、ボールペンのインクの出方をずっと調査しなくちゃいけないんだよ。
なんだよこの検査項目。
1:
携帯電話で話しながら、その内容を書き続ける。
2:
おかしを食べてひじをつきながら「マンドリルのほっぺた気持ち悪い」と書き続ける。
分ける意味あんのかよこれ。
同じだよ。
書き手は同じ案配だよ。
なんだよ。
もう飲み会始まっちゃってるじゃんよ。
こっからだと急行でも30分はかかるから、もうだめだよ。
そうでしょ?。
もうちょっと早く言ってくれればいいのにねえ。
まあ人が多いからそうも言ってられないんだろうけどねえ。
で、今日はどうするの?。
これからでも行ってみるの?。
あそう。
誘われてない?。
でもこういうのって、行ってみた者勝ちみたいなところあるじゃん?。
自分なんか、もう誘われてもないのに行っちゃうから。
ほんと。
で、ちょうどメンバが足りてなかったりして、ありがたられたりもするんだよ。
いやまあそれほどでもないけど。
でも、ちょっと神懸かってるよね、キャンセルの穴埋めをしちゃうなんて。
あ、そう?。
じゃあ駅まで一緒に行く?。
あ、そう?。
じゃあ先行くね。
おつかれさまでーす。
あんまし無理しないようにね。
終戦の日は晴れていたんだし。
しかたなく。
学校や職場の傘置き場では、乱雑さを増した傘たちが一掃されるイベントがある。
「傘、いったん処分します」だ。
傘をあまりささない僕にはなじみの薄いことなのだが、置き傘文化を持つ人にとっては、少し悔しい思いをさせる可能性がある。
「あ、今日雨らしいじゃないか。でも置き傘があるし」
しかし処分後。
彼は雨にうたれてタップを踏んだり電灯によじ上ったりしなくてはならなくなる。
メリーポピンズが来たわけではない。
傘を全て奪うとは何事だ。
ってメモにあったので、仕方なく書きました。