木村

ここ数年の間に、めきめきと「近所のたこ焼き」がうまくなってきたような気がする。
なぜなんだ。
以前は作り置きで蒸気をふんだんに取り込み、煮過ぎたがんもどきのようになっていたものだ。
しかし今では、たこ焼きを専門でやっていないフードコードのひと店でも、すごくおいしいたこ焼きが供される。
思うに、銀だこの影響がかなり大きかったのではないかと推測される。
ただ、一方で「おいしいたこ焼きの作れる機械がリーズナブルな値段で提供されてきた」という理由もありそうだ。
まあどちらにせよ、蒸気を吸い取りまくった、キムコのようなたこ焼きはもうあまり見かける事ができない。
それを懐かしく感じないわけでもないのである。
それにしても、僕はよく「キムコ」を思い出す事ができた。
使用した事はないが、確か脱臭目的で冷蔵庫に忍ばせる商品名だった気がする。
あと、小学校に「キムコ」というあだ名の友達がいたような気がする。
おそらく「木村某」。
あなたの身近にもいなかっただろうか、「キムコ」。
それも、懐かしく感じないわけでもないのである。

ねこカフェ

こないだ、ねこカフェに行ってきていたことを思い出した。
そこは都内某所の何階かにあるところで、ねこと戯れるだけの場所のわりには混んでいる。
そこに1時間だか2時間だか、滞在したのである。
我が家には結構ねこがいて、自宅がねこカフェと言えなくもない状況なのだが、まあねこを飼っている人ならわかるだろうが他の家のねこはまた別にかわいく見える。
そこにはもう十数匹のさまざまなねこがいて、それぞれ初見なものだから全く飽きない。
ただ、やはり客商売だからだろうか。
彼彼女の、我々人間に対する余裕と言うか落ち着き感というか。
そういうものはハンパなかった。
自宅で磨いたねこじゃらしテクニックもまったく通用せず、ほとんどのねこは「凛として寝ている」。
付き合いのいいやつは少しだけかまってくれるが、それも誰かの「ささみのおやつ」に反応。
そそくさと去っていく。
そう、ここでは「ささみのおやつ」は絶大な効力を発揮する。
どんなに(ねこ視点で)冴えない風貌の輩であっても、300円で「ささみのおやつ」を手に入れるだけで、ねこたちの羨望のまなざしを集める事ができる。
他の人と遊んでいるねこを、うばうことができる。
そんなに飢えていることもないはずなのだが、ともかくここのねこたちは「ささみのおやつ」である。
あれ、茹でた直後にほぐそうとすると、熱くて大変なんだよなと思いつつ、冷めたおやつでねこを釣る。
その舌は、ささみの熱さをより、知らなそうだ。

翼を授ける。

レッドブルを飲んだ事がない。
気になるがどういう味がするのかが不安。
「エナジードリンク」といういまいちよく分からないカテゴリであるうえに、少々購買意欲を削ぐCF。
あれは一体どんなときに飲むものなんだ。
おそらく徹夜の次の日もがんばらなくてはならない時とかだと思うが、逆に言うとあれでがんばれるらしいというのが、また「エナジードリンク」なるものを不安にさせる。
ともかく、逆に飲まないでいい、飲まない方がいいというシーンはいくつか思いつく。
例えばお祭りなどで時折見かける「型抜き」をやるときには、わざわざ「エナジードリンク」を飲む事はないだろう。
なにか、元気が出すぎてしまって型抜きが失敗しそうな気がする。
では元気が出過ぎないよう、元々の用途であるらしい徹夜明け状態のときに飲んだらどうかという気にもなるが、それはやはり「徹夜明けに型抜きなんかするな」ということでして。

無線LAN壊れる

無線LANが唐突に壊れるのである。
だいたい2年に一度くらい。
なぜなんだ。
ある日突然、タブレットが使えなくなり、携帯ゲーム機の通信が効かなくなり。
これは電話料金でも払い忘れたかと確認してみるとちゃんと振り込まれているとのこと。
いろいろいじってみると、どうも無線LANを経由したあとのやつが全滅。
ややこれはこれが壊れているのねと判明するのである。
こいつが壊れているのは困る。
たいがいの機器は、こいつ経由でネットにつないでいるから。
=====
【こんな紅白歌合戦は嫌だ】
・寸劇が私服
・採点時にカウントするときの野鳥の会の人がにやにやしている
・2番を歌おうとしたとき、後ろから本人が登場する
・非常に高性能な機械による採点方式に変更
・全プログラムのダンサーが流用
=====
無線LANの話だけではだめだろうと思い、老婆心を出してみた。
そういう点でも、無線LANが壊れているのは困るし、もうどうしようもない。

アングリールック

母親が夜な夜な鏡の前で泣いている。
そういう場面を見たせいか。
視力は低いのだが、コンタクトレンズをしようとする気になれない。
今はあまりないのかも知れないが、当時はハードコンタクトレンズ。
母親は小さい頃の僕に聞こえるように言っていたのかそうではないのか、ともかく「目の裏側に行ってしまって取れないー」と三面鏡を前に泣いていた。
その、こうかはばつぐんな見た目にくわえて「目の裏側」という普段意識しない箇所の存在を強く示唆される。
それが今、コンタクトレンズをしない唯一無二の理由となっている。
そんな僕に対して「めがねは度、入ってんの」やら「なんでコンタクトレンズにしないの」なんてのたもう輩がおる。
何を言っておるのか。
怒りで目の色変わるわ。

甘事

いま思い返してみると、僕はとにかく「甘える」ということをしてこなかったなあと何となく損した気分になる。
そういう雰囲気や冗談ということを考慮しても、まったく思い出せない。
甘えた声で誰かに寄り添うとか。
そんな人間が「甘える」ということを考えると、たいがいこうなる。
「ねェーん、ふーじこちゃーん」
テンプレートがルパンしかないのである。
それでも今度、機会があれば使ってみようかしら。
「ねェーん、ふーじこちゃーん」
すると相手がこう来る。
「誰よ!!、ふじこちゃんって!!」
そして「なんだ、不二子ちゃんを知らないやつなんかに甘えられるかっ!!」
と、ここまでのやり取りができるようなら、その子はなかなかできますな。

一兎

刑事ドラマのサブタイトルなどで見られる「なんとかを追え!!」というのが気になる。
推理サスペンス
品川連続強盗事件
赤いバッグの女を追え!!
みたいなやつだ。
これは、捜査班の偉い人が「もう確実に赤いバッグの女が何か知っているはず」と確信。
捜査方針の決定を強く意識し、そして意識させる効果的な言い方である。
しかし、この「追え!!」は、その対象の階層を下げていくと困った事になってくる。
例で考えてみると、こうなる。
推理サスペンス
品川連続強盗事件
赤いバッグの女のコートに付いているベルトを追え!!
確かに、追っているものは結果的にそれほど変わらないため、問題はなさそう。
しかし、実際捜査する人から考えてみると、より条件が狭まったため探し出すのが難しくなりそうな感じもする。
「あ、あの人赤いバッグ持っているが、コートのベルトをちゃんと締めているから対象じゃないな」
もちろん「赤いバッグの女」だけでも、別の全国の「赤いバッグの女」全員を対象にしているわけではないのだが、どうも「追え!!」に詳細情報を載せれば載せるほど、「それは言わなくていいんじゃない?」という気がしてくる。
推理サスペンス
品川連続強盗事件
赤いバッグの女を背中のほくろの数を追え!!
もう捜査員、絶対「赤いバッグの女」と親密な関係にならなくちゃだめじゃん。
いいよほくろの数は。
そんなことばかりをしていると。
「品川連続強盗事件を負え」
責任転嫁が横行する、未解決事件になりかねないぞ!!。

昨日、ザリガニのことを書いていて思い出したのは「彼らの平衡感覚を司る器官は、砂がないと機能を果たさない」ということだった。
それは、砂のない環境でザリガニを育てていけば、ある脱皮のときを境にそのザリガニは絶えず「バットに額を付けた状態でぐるぐる回ったあと」の感じを受け続ける、かわいそうなザリガニになるのかも知れないことを示している。
僕はあの「バットでぐるぐる」が嫌いだ。
その効果もさることながら、やっている人の見た目がざんねん過ぎる。
「ゲームとはいえ、何を酩酊感を求めているのか」
方向定まらず倒れている彼らの行動をザリガニに当ててみると、どうなるのだろうか。
と考えても、あまり変化はないのかも知れない。
というのも、彼らの行動はかなり直線的で、おそらく体が傾いてしまう事以外はなんら他のザリガニと変わらないのではないだろうか。
すなわち、しっぽを跳ねてバックするくらい。
あとは、そのザリガニを食べる時、じゃりっと砂を噛まないで済むことだろうか。
ドロ抜きするとかなりおいしいらしい彼らについて、平衡器官のどうこうを考えるのなら、僕はその砂を噛む感触と「ザリガニの額はどこだろうか」ということくらいしか思いつかない。

許す

うちにいるザリガニが、半身水面上に出ているような状態で浮かんでいても、さほど驚かなくなった。
最初は死んでしまったのかと思ったが、水槽を揺らすと慌てて沈み、身を隠そうとする。
えさを与えていないわけではない。
隠れ家用のプラスチック管が少ない訳でもない。
彼らは水中の酸素を取り入れるはずだから、それが足らないのだろうか。
それにしても共食いしたり、そもそも弱っていたりで死んでしまう彼らを知っているから、ぷかりと水に身を任せる彼らに正直「油断し過ぎだ」と思ってしまう。
しかし、ここにひとつ気づく事がある。
彼らが油断して浮いているのだとしたら、それは「ザリガニは浮くのがデフォルト」ということであり、僕らのイメージする「水底で徘徊するザリガニ」はザリガニが意識して沈んでいるということだ。
沈んでいるザリガニはがんばっている。
ならば少し浮くことくらい、許してやろうか。
ザリガニを、許すことにした。

忘れるということ。

携帯電話の通話エリアの拡大は「電波の通じるところを探しまわるふりをして、飲み会を抜ける」という平和的な帰宅方法を社会から排除した。
それを受け、全国にいる飲み会を抜けたい人々は「なくした携帯電話を探しまわるふりをして、飲み会を抜ける」という危険な行為をせざるを得なくなってしまった。
このため、日本における忘れ物ランキングでは、携帯電話は第一位。
なくしたふりをしたものが、本当になくしてしまうという皮肉めいた結果を表している。
二位が久しく使っていないネットショップのID、三位が小学生の水着バッグだという。
忘れ物常連の上記のものを差し置いている点から見ても、第一位というのはいかに飲み会を抜けたい人々がいるかを如実に表している。
ということで最近、飲み会が多い。
それを、僕は携帯電話を失う事なく、参加し続けているのである。