昨日からの続き。
【あらすじ】
「眠気やねたみに代表される静的、マイナスな感じのやつ」を強める言葉について、相対する「油を注ぐ」並みのものを考える。
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とりあえず「油を注ぐ」というのをイメージしてみると、それはどうも爆発的な動作に集約される。
その反対を考える訳だから、とにかく動かない。
静止した感じを攻めればよいだろうか。
「眠気に耳かきをする」
いきなり正解が出たのではないだろうか。
「ねたみに耳かきをする」
何か、ねたみが奥底まで浸透していく。
今ある「ねたみ」を深く考慮したところ、さらなる「ねたみ」になりました。
ねたみの純化である。
最初の「眠気に耳かきをする」なんか、本当に眠気が強まりそうなため、何となく実学主義だ。
やったね、正解。
では、あとはどんなものがイケるだろうか。
「眠気を30分間発酵」
手作りパンの要領で、静かにしてみた。
うーん、いまいち。
「ねたみに液体窒素を注ぐ」
ぜんぜんだ。
「ねたみをぬかみそ漬けにする」
これはちょっといい。
眠気もねたみも、他のマイナスなことがらも、ぬかみそ経由なら強まる気がする。
ぬかみそに罪はないのに。
「ねたみ、ねたみ、ねたみ」
単に強まるということなら、このように3回繰り返すのもいいかも知れない。
おいヒロシ、もう昼休み終わってるぞ。
「眠気、眠気、眠気!!」
それは先生の怒りに油を注ぐようなものだった。
眠いので終わり。
カテゴリー: 楽したい
眠気を強に。 その1
昨日、眠気の話をしたのだが、そこで登場した「眠気に油を注ぐ」という表現。
慣用表現とは、何も考えずに使用すると、意味はわかるのだが何となく微妙な感じになる、よい例である。
すなわち「油を注いだら、眠気冷めそう」だ。
だいたいは活気というか、動的なものに使うのだろう「油を注ぐ」。
火に油を注ぐイメージなのだろうから、それは当然とも言える。
だから静的な、今回の眠気のようなものについては使用してはならないのかもしれない。
だって変じゃありませんか。
「眠気に油を注ぐ」。
ロンドンハーツか何かでしょうか。
となると、どういったものが「眠気」を強めることになるのだろうか。
ぱっと思いつくのは「眠気に枕を添える」だろうか。
これは確実に眠気が強くなっている。
しかし、他の静的なものに対してはどうだろう。
「鬱に枕を添える」
案外いい。
なんか強まっている感じ、する。
「自殺願望に枕を添える」
これは少し「もう一度考え直しなさい」的な意味合いも読み取れ、単に「自殺願望」を強めるか、という点では微妙だ。
もっとも、心情的にはそのほうがよほどいいのだが。
「ねたみに枕を添える」
これも「ねたみ」が薄れそうか。
まあ、何となく眠いので明日、もう少し考えてみよう。
ということで今日はもう、枕を添える事にします。
あばたとえくぼ
昨日からの続き。
【あらすじ】
「あばたもえくぼも」と来たら、何が続くべきなのか。
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「あばたもえくぼ」という言葉がある。
これは確か、好きになったら短所も長所に見えるという意味だった気がする。
となると、「あばたもえくぼも」というのは「短所も長所も」と置き換えられそうであり、それなら続くのは「短所も長所も所という字が入っている」。
うんうん。
入ってる入ってる。
それにしても今気づいたのだが、「あばたもえくぼ」をじっと見ていたら、「あばた、もえくぼ」。
「もえくぼ」が「萌え窪」に思えてきた。
そうか。
あれは萌え窪だったのか。
それなら長所扱いであることはうなづける。
うんうん。
うなづけるうなづける。
ウリクラゲについて。
一番後ろの車両の、いちばんはじ。
夜、帰宅の際にそこの窓から眺める景色が好きだ。
まっすぐ伸びているはずの線路は暗闇ですぐ見えなくなる。
その暗闇は、線路に設置された灯りや線路沿いを走る車でむしろ目立つ。
そんな暗闇や灯りは、車両が進む速度に合わせて、どんどん車窓の中央に集まっていく。
それが一点に集まる事ができたら、それはどんな色になるのか。
先頭車両の前の車窓から見た、線路が暗闇から浮かび上がってくるところや周りの灯りを追い越していくことを思い出すと、何やら光る紡錘形のもの。
まるで、巨大なウリクラゲの中に閉じ込められているような気がして、面白い。
と、上記の気持ち悪い文章のなかで気になるところと言えば、ウリクラゲだろう。
どんなんだったか、ウリクラゲ。
とにかく、人間にとってはウリもクラゲも食べるものということを考えると、少々ウリクラゲは食物過ぎる。
そして今、「ウリもクラゲも」という、何だか「っぽい」言葉が生まれた。
猫も杓子も。
すもももももも。
まもるもせめるも。
あばたもえくぼも。
最初のはことわざ。
2番目はもものうち。
3番目は所ジョージのファミコンソフト。
4番目は当ブログおなじみのおちゃめ。
この流れだと「ウリもクラゲも」はどうなるかというと、近いのは2番で「ウリもクラゲも食物のうち」となる。
で、ウリクラゲの件は解決したわけだが、おちゃめな4番はどうなるか。
「あばたもえくぼも」。
次回、何か考えてみよう。
ギャップがたまらない、だとか。
なんだー。
最初はどうかと思ったけど、実は案外いいやつじゃん集。
①すぐに叩いてくるが、超深爪をしている
②道の小石をかたっぱしから、河原の方向に蹴っている
③ポケットに手を入れて肩で風を切って歩いているが、後ろから犬猫がたくさん付いてくる
④太っているが、暖房機のかわりになる
⑤腕に「弱酸性」と刺青している
棚を買ってきた。
カメの水槽付近にゴキブリのいることが判明。
どうも水槽付近が暖かいから、みんな集まってきているらしい。
僕はゴキブリがあまり好きではないので、それが集まるのも困る。
とはいえ、例えばそのゴキブリをカメに与えてみたとしたら、おそらく彼らはゴキブリを食う。
しかし、ゴキブリを食べた瞬間、僕のなかでそのカメはもはやゴキブリであって、僕はゴキブリがあまり好きではない。
カメの水槽用に、棚を買ってくる事にした。
その棚はキッチン用具にありそうな金属性で通気がよいもの。
水槽自体は暖かいだろうが、身を隠す場所ができないようにし、ゴキブリの安住を阻止する狙いがある。
ということでさっそく購入、組み立て。
その棚には恐ろしい重量の水槽、カブトムシの幼虫、そしてねこが通れるように何も置かない段。
そんな構成で、部屋のすみにある。
今までカメを置いておいたところが寂しくなったが、まあいい。
ゴキブリも集まらないだろうし、部屋のすみにカメとカブトムシの幼虫が集まっていると考えると、何だか楽しそうだから。
「我が家の部屋のすみには、カメが3匹とカブトムシの幼虫が集まっています」
楽しそうだ。
おや、カブトムシがもう成虫になっているようだ。
・・・ゴキブリやないか。
ひらめき
何か、ひらめきのようなものがあったはずなんだ。
街灯もない公園で、懐中電灯にぱっと照らされたちかんへの注意を喚起する看板のような。
その内容は分からないが、ちかんへの注意についてのことなんだというのは分かる。
先ほどのひらめきは、何かおもろいことについてだった気がする。
「こんなに酔わせて、どうする気?」
「おーい、まだ全身麻酔、足らないぞ」
これじゃなかった。
何かぱっと、ひらめきが過ぎ去り。
ただ、そのしっぽのようなものが見えたはずなのだ。
俺のおせち
豆:まめに働く
昆布:よろこぶ
えび:腹部を勢いよく下に曲げ、大きく後ろへ飛び退いて逃げる
これだっけかなぁ。
えびのしっぽではなかった気がするがなぁ。
スケジューリング
実は今日は2013年の1月5日で、小学生のときのノストラダムスほどの恐怖と高揚感をマヤには感ずることもなく、うかうかと、きなこもちも食わずに、あぁ2013年ですかという気分。
何を2012年の11月日付のところを書いているのだと思わないでもないが、それに加えて毎年、誰に頼まれるでもなく、それほど面白くもないカレンダーが全くできていないというのも、色々考えようとする心を削ぐ。
そんな、まっとうな人間にしてみれば至極当然な、しかし僕としては少々ふぬけたこの感じを打破するには手帳を買うしかないと思った。
手帳があれば、1日ごとに書く場所があるから、コンスタントにそれを続ける事ができそうな気がする。
今まではのっぺらとしたメモ帳だったから、何か考えたんだか考えていないんだか、分かりづらかったのではないか。
手帳があれば、おもろいことどんどんひらめく。
ということででかい文房具屋へ。
僕は布のカバーでチェック柄のものが欲しかったが、いまいちそういうのは見つからない。
たくさんの手帳があるのだが、どれも目的のものとは呼べないものばかりだ。
そうなるといよいよ気に入った手帳がないと今年は何もできないような気がしてきて焦ってくる。
街はそこらに放置されているゴミにすら電球が装飾されていると錯覚しそうなくらい、イルミがとてもネーションしている。
いろいろ焦ってくる。
結局、今のメモ帳もほとんど白紙である事だし、メモ帳にメモできないんなら、手帳に毎日何か書くというのもできないだろうとありがちな見切りをつけることにした。
そういえば、去年も似たような事をやっていた気がする。
それは婚活に値しないよベスト10
婚活に値すると思われそうな行動ベスト10
手抜きでやっています。
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婚活初心者にありがちな、婚活にはならないのに婚活に値すると思われがちな行動が特集されている「婚活」月刊誌を、諸都合により入手しました。
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「月刊 片利共生 11月号」
思わずやって、自己満足におちいる!!
婚活初心者行動ベスト10!!
10位
触れただけで指のサイズが分かるように、日頃太さの異なる棒を触り続ける。
9位
キャバクラで、すごくがんばる。
8位
たいがいの女性を、目で追う。
7位
思い通りの場所に、滑らせたカクテルグラスを止める訓練。
6位
相手のプロフィールを逃さないため、ポケットの中で筆記する訓練。
5位
「結婚してください」を噛まないようにするための発声練習。
4位
12星座占いを毎朝暗記。
3位
コピー機に、相手の欄が空白の結婚届をよく忘れる。
2位
「名字変えたいわー、名字変えたいわー」が口ぐせ。
1位
薬指に指輪のない事を強調するため、薬指以外の指の付け根にいつも絆創膏を貼る。
これが初心者婚活者です。
足かせ時代
最近、靴を買ったのだが、少々性急だった。
この靴は、大きすぎる。
我が家はそろいもそろって手足のサイズが小さい。
故にデザインなどよりも自分のサイズに合っているという点を重視する傾向にある。
しかし今回、なんとなく大丈夫だろう。
試着してもそれほど問題なさそう。
そんな理由で、でかい靴を買ってしまった。
でかいとは言ってもその種類では最小だったが、だめだった。
短時間ならまだいいのだが、うろうろしようものなら足のいろんな部分が擦れ、傷を負ってしまう。
特に靴の入り口部分は、僕の足に足かせをしていたかのような傷を作った。
足首を一周、痛々しい傷。
靴を履いていて足かせの傷ができてしまうとは何事だろうか。
しかし一方で、この傷は、足かせというものがかなり辛い拘束具であることを再認識させてくれる。
そもそも鉄の輪っかが痛そうな上に、おもりがついてるんだから、それはもう「足首に傷つくくらいなら、動かなくていいや」という気分にもなる。
逃げる先がたまたま坂の下のほうだった場合、球状のおもりを転がしてしまう事でむしろ「動く事を強要」できるかも知れないが、もちろんそれもひとつの「拘束」の形であることに間違いなく、わざわざこうして書く事でもない。
いやだね、足かせ。
それにしても、僕はさっき「拘束具であることを再認識させてくれる」と書いたが、「認識」したことはその前にあるようだ。
いつだったか、僕が足かせをしていた時期は。