障害物競争の今後

昨日からのつづき。
【概要】
?障害物競走のあけぼの?
原始的な障害物競走の誕生
?体系確立?
穴々越え越え競争の誕生と流行
?転機?
積極的障害競走の誕生
?近代における障害物競走?
積極的障害競走の敗退と障害物競走の誕生
*****
?現代の障害物競走?
障害することを人に依存するのではなく、モノで選手を障害しよう。
そうすれば、ずるは起きない。
「障害物競走」が現在に形に至るまで、障害物の試行錯誤の連続であったことは、よく知られたことである。
【成功のほう】
網くぐり
おたまに卓球の玉
でんぐり返し
跳び箱
etc・・・。
【錯誤のほう】
トラバサミ
開かない自動ドア
まきびし
暗室ゾーン
地面に引っ掛け棒が多数あり、うまく避けないと靴紐がほどける
貴金属を置いておく
焼けた灰
粉々になった蛍光灯
電話の受話器から水が吹き出る
一面にビー玉
一面に千羽鶴
キャプテン☆ドみの
踏み絵
ドアマンのいない回転ドア
こたつ
子供達が大切にしているぬいぐるみを踏まないと、進めない
地雷
もうそろそろひっくり返さないと焦げてしまうホットケーキ
放水
立てかけられていた5?6mの木材がばらばら倒れてくる
トリモチランチャー
このような変遷を経て、現在の障害物競走は完全なものに近づいている。
しかし、その進化はとまらない。
今後、以下のような障害が誕生すると見込まれている。
赤外線
イライラ棒
SASUKE風
ミッション・インポッシブル風
DOORS風
筋肉ミュージカル風
コース上にマインドシーカーを用意し、クリアしてもらう
というか、障害物競走自体をファミリートレーナー(古いほう)で済ます
PTA
このラインナップでは、障害物競走の発展が期待されるばかりである。
未来は明るい。

障害物競走の近代化

昨日からのつづき。
【概要】
?障害物競走のあけぼの?
原始的な障害物競走の誕生
?体系確立?
穴々越え越え競争の誕生と流行
?転機?
積極的障害競走の誕生
*****
?近代における障害物競走?
穴々越え越え競争選手ニギの発案した競技を聞いた委員たちは、あっと何かに気づいたような表情を一様に浮かべたという。
彼の案は単純だった。
「障害物たる穴を、より積極的に障害できる、人にかえる。」
さっそく、詳細な案が練られた。
障害人は選手を体で遮ってよいが、触れてはならない。
障害人は選手を追いかけてよい。
選手からは、障害人に触ってもよい。
など・・・。
人々は、穴々越え越え競争とはまったく違う、ダイナミックなこの「積極的障害競走」に熱狂した。
迫る障害人をいかにうまくさばくか。
追いかけてくる障害人たちを後ろに、ゴールへ駆け込んでくる選手は半英雄化された。
そして、その英雄は、ほとんどの場合がニギだったのである。
この流行に疑惑の暗雲が立ち込め始める。
「どうにも、ニギへの障害人がまじめにやっていないように見える。」
些細な投書だった。
しかし、調査をするまでもなく、問題点が浮上した。
ニギが障害人に賄賂を握らせていたのだ。
そして、その見返りとして
・自分(ニギ)に対する遮りをゆるくすること
・自分以外の選手への障害は、ばっちり行うこと。
・もしやり過ごされても、相手を追いかけていき、あわよくば追い抜くこと。
このような問題点が生じては、もはや「積極的障害競走」に競技としての面白さを求めることはできない。
二ギがその世界から追放されるとほぼ同時に、世界の人たちは「何かいい競争はないか」と探し始める。
「やはり、賄賂で動く障害がまずいのではないか。」
「モノなら、そんなことにはならないのではないか。」
現在見られる「障害物競走」の時代が始まろうとしている。
明日。
現代の障害物競走。
未来の障害物競走。

障害物競走のあゆみ

?障害物競走のあけぼの?
大昔、仕掛けたワナを突破して逃げる獲物を追うとき、破壊されたワナをやり過ごさなければならなかった。
そのワナの多くが落とし穴だったが、それを飛び越えるとき、思いのほか気持ちよかった。
そのため、狩人たちは狩猟の帰りにこぞってその穴を飛び越えた。
これがもっとも原始的な障害物競走の形と考えられている。
図:穴に向かって走っていく狩人と獲物を表した壁画
  ●-      |●| 
     -●      \●ぬ
  ●-        |||ぬ
?体系確立?
16世紀まで、原始的な障害物競走は存在したが「なんだか走って、穴を飛び越えて、面白い」だけの扱いであった。
しかし17世紀初頭、哲学者エトークは「一つの穴を飛び越えるだけでも面白いのだから、複数の穴を飛び越えると、もっと面白い。複数の穴を飛び越える競技が必要である」と提唱。
それを「穴々越え越え競走」と定義した。
それから19世紀末まで、複数の穴がコース上にあるタイプの障害物競走、「穴々越え越え競争」が大流行する。
?転機?
19世紀最大の穴々越え越え競争選手ニギは、ある日とんでもないミスをしでかした。
大会が近かったためか、テンションがあがってしまい、まだ穴を掘り途中なのに、スタートしてしまったのだ。
その結果、4つ目に当たる穴にて、掘っている人と対面してしまった。
掘っている人は驚き、どうにかコースをニギに明け渡そうとするが、ニギを避けようとすると、ニギもそちらへ避けようとする。
何度かそれを繰り返すうちに、ニギはやっとその人をやり過ごすことが出来た。
どちらにせよ、穴掘り途中でスタートしてしまう大失敗。
しかし、このときニギは、普段の穴々越え越え競走では得られない高揚感を得ていた。
「遮られたあと、走り抜けることができると、すげーいい。」
穴々越え越え競走から一歩、現在の障害物競走に近づいた形。
積極的障害競走の誕生である。
明日
?近代における障害物競走?

背くらべ

日本男児たるもの、年齢を重ねたら、必ず背丈も増えていなければならない。
さもないと、その家を潰すことになる。
昭和中期まで、このような訓が日本にはあった。
一見、信憑性のない伝承のようだが近年、実際の出来事として存在することが明らかになった。
背丈が変わらなかったため、柱の傷が年毎に蓄積、文字通り家屋が倒壊したのである。

彼女の悩み

もう、迷惑になる。
そんな言葉すら自己満足だ、っていう人もいるけれど。
もう、耐えられない。
「純子!!。」
「ひ、柊君・・・。」
「その荷物、なんだよ!?。」
誰にも話してないのに。
夜なのに。
目の前で、柊君が息を切らせてる。
「な、なんでもないよ・・・。」
「嘘つけ。一人でどっか行こうとでもしたんだろ。」
「そ、そんなことないよ。」
「なぁ、周りのヤツなんて、関係ないよ。関係ないんだ・・・。」
「・・・うん。」
「それとも純子、俺のことが嫌いとか、重荷、とか・・・?。」
「そんなことない!!。」
そんなこと、絶対ない。
「ごめん。またそんな風なこと、言って。」
「・・・いいの。」
「なぁ、手、貸せって。」
「え?。」
「手、貸してみろって。」
「・・・。」
もう会わない。
そう思っていたから出せずにいた手を、無理やり柊君がとった。
「もう、冷たいな。」
「・・・うん。」
「俺はな、純子。いつだって、この手を離そうなんて思ってないよ。」
「・・・うん。」
「なぁ、さっきはあんなずるいこと、言ったけど。」
「・・・。」
「これからはもっと、ずるくてわがままになるときがある。」
「・・・。」
「純子がどこに行ったってな、この手をつなぎに、どこにだって目の前に現れてやる。」
そう言いながら、彼はそっと、私の頭をなでた。
「だから、どこにも行くな。」
色々なことがあったのに。
何で、まだそんなに私のことを想っていてくれるの・・・。
彼の言葉に、胸がギュンとなった。
※謎タイミングだが、なんとなくすこぶる人気の映画『僕の彼女はサイボーグ』の内容を、タイトルのみで勝手に予想。
やってる映画の予想、ってのもなんですが。

点眼優先度

今でも、某お悩み相談室に寄せられる便りの3割は「目薬をさしたとき、目をティッシュで拭くのが先か、目薬のフタを締めるのが先か」という内容なのだそうだ。
私は昔から、目薬のせいで視覚が奪われた状態のまま、目薬のフタを探し当てることにしている。
その、フタが触れたときの征服感といったら、ないのだ。
「はっ。視覚が奪われているとはいえ、お前を締めるくらいはできるのだぞ。」
一方、友人は先に目をぬぐう派だ。
「手探りだとフタを落としてしまう可能性がある。そんな急ぐことでもないから、まずはちゃんと目を拭いて視覚を取り戻し、それからちゃんとすればいい。」
わかっていない。
目薬における、あの眼球に最接近する部分は、超重要なのだ。
ある意味、目薬内で一番敏感な部分だ。
外気に触れさせるなんて、もってのほか。
一刻も早くフタをしてあげなくてはならないのだ。
もちろん、その目薬が2階にあるとでも言うなら、目を拭くことが先であることに異論は無いがな!!。
ひざまずいて、ワビ入れな!!。
・・・取り乱してしまった。
とにかく、そういうこと。

怒れる大躯

僕はあまり背が高くなく、手足のサイズも、それの平均をけっこう下回っていると思う。
※これは、話題が特に無いときにサザエさん関連と混ぜれば、まぁまぁ場が持つっぽいという、長所でもある。
特に足のサイズは、靴選びをやっかいなものにする。
僕が探してもらっていたサイズが在庫に無いことを申し訳なさそうに言った店員さんが最後に。
「お客さん、纏足ですか?」
なかなかあれは、双方(何かの)にとってイイもの(何かが)らしいが、残念ながらそんなことは幼少より行っておらず、そもそもそんなこと言われたことも無いので、色々すいませんでした。
今日の本題は「大きい人の挙動が、なんでも怒っているように見える」だ。
冒頭は、結局「小さい人から見て、大きい人の挙動が?」とつなげる予定だったのだが、それも必要ないだろう。
書いてたら、それほどに謎の確信を持ててきた。
まず、大きい人はなんだか不機嫌に見える。
なぜなんだ。
自分が周りより大きいから怒っているのか。
周りが自分ほど大きくないから怒っているのか。
特に怒っていないのか。
真意を問いただすことはできない。
怒ってるだろうから。
大きい人の手振りが、怒っているように見える。
結局、大きいから質量もある。破壊力もあるし。
彼がボディランゲージで何かを伝えようとでもしたならば、それはほぼ総合格闘技となっている。
そして、それで伝えられることは、コミュニケーションなどよりは、単位がkg/平方cmのものとかになる。
なによりも彼らが一番怒っているように見えるときは、座るときだ。
なぜなのか、どーん!!と座ることが多いように思う。
ちょっと、スローモーションに見えたりする。
彼が座る瞬間の、その彼のお尻と座席シートの空間は、あらゆる制限を受けないだろう。
その空間の次の状態は、確定なのである。
以上、なんらかの理由で大きい人は怒っている。
その体から、怒りが出ちゃってる。
そして、それが原因なのか。
僕は大きい人の優しい面を見たりすると、よりうれしくなってしまうのだった。

攪拌棒

「上流家庭とそうでない家庭の差とは、カルピスを混ぜるときにマドラーを用いるか、箸を用いるか」である。
また、この後混ぜたヤツの先っぽを舐めるかどうか、もその差分判定で考慮される点である。
この判定方法に対し、一部の熱狂的なファンによる「ポッキーを忘れるな」という声が一度挙げられたが、その詳細が「一部=一人」であることが判明、一人が一度だけ言ったということで、何も言われなかったものとして現在に至る。
上記の例のほか、上流家庭判定方法について、かなり有名な「カルピスの濃度配分が家庭水準に比例する」の件もある。
カルピス原液は、家庭水準をはかる上で、格好の指標材料となるのである。

入手

渡る世間は鬼ばかりの台本が手に入りましたので、見てみましょう。
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長子、英作と子供の話で6分。解決しない方向で。
幸楽にて眞、ちょっとわがままめに7分。不穏な空気を。
弥生関連、弥生を困らしつつ、うやむやに。8分。
吟、落ち着いて。
おかくらで長子、落涙で3分。まだ解決しないこと。
文子、葉子、目立ったイベントなし。おかくらに訪ねること。3×2分。
獏、ふがいないを3回。ビールはおいしそうに。5分。
ナレーション、時間の間に、適宜。
次回は長子押しで。
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これで、みんな動いてます。