ある人は言った。
「都心と田舎を区別する一番の要素は、自転車に乗った中学生がヘルメットをかぶっているかどうかだ」
僕がこれに賛成しないのは、こないだ自宅付近でそういった中学生を見たからというわけでもなく、今適当に作ってみたことだからというわけでもなく。
もっと納得できる要素を体得しているからだ。
海岸をうろうろしてきた僕は、やっぱり海岸をデジカメ持ってうろうろしてはいけないなと思っていた。
海岸を遊んでいる人は半裸が多いから、人の目やカメラに厳しい。
と、勝手にこちらが思ってしまうため、何となく人が入らないようにファインダーをのぞく。
と、こちらの恐縮を感じてか気味が悪いのか、遊んでいる人もその遊び範囲を狭めていく。
恐縮の深化。
このままでは、最終的には僕はカメラを叩き付けるだろうし、遊んでいる人は亜空間へ行ってしまう。
結果、カメラをしまって、ただうろうろしてきただけになってしまったのだ。
まあそれはそれで楽しかったが。
宿の部屋で、そんな亜空間のことを考えているときに、それはおとずれた。
「18時になると町内放送で音楽が流れ、小中高校生の帰宅を促す。そのとき、どこかの飼い犬が遠吠えする」
これが僕の「都心と田舎を区別する一番の要素」だ。
帰宅を促すまではそうでもないが、とにかく犬の遠吠えが重要である。
田舎は外灯が少ないから、太陽が沈んだ瞬間から、常に遭難のリスクがつきまとう。
おじいちゃんがいないなと思っていたら、2階で遭難していたという話もあるくらいだ。
故の町内放送。
終わりを告げる犬の鳴き声。
小さい頃に田舎へ長期住んでいたことがある。
その風景が、そのまま田舎の記憶と紐づいたのだろう。
「ここは、田舎だ!!」
そう気づいた僕は、亜空間のことを考えるのをやめた。
投稿者: nimbus7942
ちょっとそこまで。9
宿までの道のりのことを考えると、少し心配だった。
市街地なんである。
僕は、地元の方の住んでいる家と立地の混ざった宿は少しいやだった。
「心地よい開放感に、たまらず背伸びをするが、地元の人が水を撒いている」
別に悪いことはない。
しかしなんとなく「お前が今、たまらんと満喫している開放感は、俺たちにとっては日常だ。げへへ」と言われているような気がするのだ。
そして自然に囲まれたとまではいかなくても、自分の住んでいるところにはないものや情緒的な環境が、これから泊まる宿にはないのでは。
そうも思わせる市街、しかも私道じみた細か道っぷりだったのである。
しかし着いてみると、住宅は近いのだが田畑あり、海近いでかなり満足できるところだった。
夕暮れ時に着いたため、僕はそのときの海を見ようと焦った。
仲居さんが食事を心配するなか、ほどよくそれを切り上げた僕はデジカメを持ってさっそく海へ向かった。
しかしその意欲を遮るのが、カニだ。
アカテガニだろうか。
宿を出てすぐ、そのへんを走り回っている。
こういうのが、いいのだ。
僕の住んでいるところでは、道路にカニは出現しない。
せいぜいヒキガエルだ。
カニの出現は、海に来たことを感じさせるのには十分で、しかもアカテガニは程よい大きさだ。
捕まえられる。
海も気になるが、ここはアカテガニ捕獲でいこう。
しゃがんだことでデジカメががんがん路面に叩き付けられるが、まあいい。
夏休みで遊びにきているのだろう。
チャラめのサーファー兄ちゃんたちが温泉にだけ入ろうとロビーにいたことを思い出した。
「おい、カニだ。カニがいるぞ」
呼びにいきたくすらなってきた。
カニがいるのに、何を肌を焼くことがあるのか。
カニはすばしっこく、なかなか捕まえられない。
甲羅を抑えて、その両端をつまもうとしても、そこは自身も弱点であることを知っているのか。
両腕を広げて、踏ん張る。
結局、カニのことはあきらめた。
ここ10分ほどでの成果は、デジカメが多少ぼろくなったことだけである。
僕は腰をあげた。
もう50m先に海岸沿いを走る道路が見えている。
十分遊んだらしい親子連れと、彼らが乗ってきたらしい自動車とすれ違う。
例の、海のにおいが強くなってきた。
ちょっとそこまで。8
下調べもせず、あわてて予約したので知らなかったが、その宿は温泉があるらしく、しかもそれが洞窟っぽいらしいのだ。
駐車場で試行錯誤の末、ようやく駐車できた僕は、それを受付のパンフレットで知る。
なるほど。
駐車場で試行錯誤したことは、近くに停められていた車の持ち主には知られたくないことだな。
なるほどの使い方を間違えてしまったが、ともかく温泉という点が楽しくなってきた。
最近首が変だ。
以前痛くなったとき、近所の整体で、ゆがみを一撃で直してもらったことがある。
それは「治して」ではなく「直して」。
人と思われていないような扱いにより、痛みならずそれまで「ごく普通にあるもの」と考えていた頸椎のでっぱりをも消えてしまったのだ。
しかしまた最近、痛い。
温泉で好転しないだろうか。
仲居さんに部屋を案内してもらうあいだ、彼女はしきりに「廊下は暑いですが部屋は涼しいです」と恐縮。
僕はそんなに暑そうな顔をしていただろうか。
確かに涼しい部屋に着くと、その分余計に温泉が楽しみになってくる。
洞窟ってところもいい。
そんなことを考えていると、仲居さんが食事の時間をたずねてくる。
19時半というと、19時までだという。
しきりに19時までであることを恐縮する仲居さん。
僕はそんなに腹の減った顔をしていただろうか。
恐縮に対する恐縮返しを双方ゆずらないまま、なんとなくやっと一人になった。
一人で旅行するというのは、泊まる部屋で一人になったとき、初めてそれを実感するものだ。
独り言がはんぱなく発せられ始めるのも、ここからだ。
あー楽しみだ温泉。
だとか。
しかし温泉はまだだ。
食事もいつだっていい。
なんたってこの宿、出てすぐ海があるらしいからな。
ちょっとそこまで。7
「あれを越えたら 海が見えるよ」
JUDY AND MARYの「おめでとう」という歌の歌詞にそうある。
生活する上でどうしても視野に海が入ります、といった環境でもないかぎり、やはり海は特別だ。
今年はつらい出来事があり、かつ最中なわけだが、それでも蛇行する道路をつぶしていっているさなかに現れる海というのは、どうしても「あ、海だ!!」と叫ばずにはいられない。
海沿い近くの街中を走行しているのだとわかっていても、それはある。
何かの団体旅行でバス貸し切りで、外なんか見ていないで遊んでいたりしたとしても、誰かの「あ、海だ!!」でみんながそっちに移動、バスが片輪走行してしまうこともある。
一方、海に対して山というのは、あまりこういうのがない。
「あ、富士山だ!!」
富士山レベルならまだいいのだが、「あ、山だ!!」だとどうだ。
天気のいい日なら、島の面積にもよるが日本中どこにいても山は見えるんじゃないだろうか。
いつも見えちゃってるから、その分海よりありがたみが少ない。
残念ながら山、そういう扱いなのである。
その例が、あれだ。
「あれを越えたら 海が見えるよ」の、あれそのものだ。
熊本駅からそこそこ遠くまで運転。
左側、山。
右側、海。
ときどき、山中。
宿まで、そんな感じが続く。
これは山を越えたと言えるのだろうか。
ちょっとそこまで。6
熊本駅で帽子を購入することになったお店のおばちゃんが言うには、そこは田舎でかつ道が1本しかないから、とても混むということだった。
確かに、結果的には牛深市はすこぶる遠かった。
皮の長さを競っているときの、りんごのてっぺんから底の部分くらい遠かった。
とりあえず熊本駅と天草あたりを結ぶ真ん中あたりに宿を取っていた僕は、恐る恐るレンタカーを走らせて、そこへ向かうことにした。
それにしても最近の車は「おそるおそる」を表現するのが難しい。
ほんの少しアクセルを踏み込むだけで、ぶりりと進む。
宿に着くまでに慣れるだろうか。
すると間もなく。
のんびり走らせていると、何となくアクセルの具合がわかってきた。
「やっとアクセルがわかってきました」
そんな状態で車を走らせるなという気もするが、なんせ車がないと不便そうな風景が広がっている。
そりゃ走らせるよ。
と、そんなことを思ったような、思わなかったようなというあたりで、見覚えのある場所を通り始めたことに気づいた。
線路だ。
ここはずっとまっすぐに続く線路と道路が平行しているところで、以前来たときもなかなか感慨深い思いをしたんだったか。
まっすぐに続く線路。
夏、夕暮れ。
麦わら帽子、白いワンピース、線香花火、ユースホステル。
ごめんラスト行、よかれと思って。
二度目の場所は、黄昏どきには行かないほうがいい。
このシチュエーションで、何かに触れることのない人なんているのだろうか。
いるとしたら、ほぼ間違いなく脱獄のへたな巌窟王なので、今後に期待したい。
ipodからJUDY AND MARYの「夕暮れ」が流れてきた。
宿までまだかかるというのに。
あわててヒャダインの「カカカタ☆カタオモイ-C」に変える。
なんだ。
なかなかいい歌じゃないか。
ちょっとそこまで。5
以前、レンタカーを借りたときのことを書いたと思う。
内容は覚えていないが、とにかく「車はみんな仕組みは同じだが、それでも慣れていないやつを運転するのは、たいへん」ということを終始主張しただろう。
それ、正解。
駅からそう遠くなく、珍しく迷わずに見つけたレンタカー屋さん。
車種とかオプションとか何も考えずに予約したのだったが、唐突に気になりだした。
カーナビはついているのだろうか。
カーナビがないと、この地で僕は翼はあるが恐ろしく近視のタカみたいなものになってしまう。
いや、よだかか。
しかし星にはなりたくないので、まあ何かだ。
とにかく、この旅行の数少ない目的も達成できなくなってしまう。
そうなるとサイドミラーはついているのかハンドルはついているのかと、そこまでは思わないまでも。
それでもカーナビがついていないのならハンドルもついてなくていいやくらいの侠気は芽生えてきた。
予約時間よりも幾分早く到着した僕を、元気のいい姉さんが迎えてくれた。
もう乗せてもらえるらしい。
カーナビの件を心配しながらもあないしてもらう。
と、車をみて、僕の心配は不要だったことに気づく。
ついてる。
カーナビついてる。
最近のレンタカーには、普通の奴ならたいがいカーナビは付いているということだ。
いける。
これで僕は熊本のぐねった峠を攻めることができる。
「あ、ちなみにこれ、サイドブレーキはブレーキの横にあるタイプですから」
「エンジンはブレーキを踏んだ状態でスイッチボタンを押すことでON/OFFしますので」
ハ、ハンドル取り外してもらえます?。
ちょっとそこまで。4
熊本駅はなんだか、ダンシングじゃなかった。
降りるところが違ったのか。
大きく「熊本駅」と書かれた白い建物。
その前に商店街。
そんなイメージだった。
ところがなんだか寂しい。
何か他の駅と間違えているのかもしれない。
目の前の噴水で、小さい子とお母さんが遊んでいる。
そうなんだ。
店がないと困る。
今日は朝からあわてて家を出てきたものだから、帽子とサングラスを忘れてきちゃったんだ。
サングラスを現地調達するのは無理だ。
お金もかかるし、度付きはそもそも短時間ではできなさそう。
運転に必須じゃないと判断。
一方、帽子はほしい。
熊本は、日差しが魔法のようだ。
しかしダンシングでない熊本駅。
中心街へ行くには、少し距離があるようす。
帽子だ帽子。
帽子を求めて駅内をうろつく僕の目に留まったのは、なんと個人的にはあまり見かけないと思っている帽子(管理者サムネイル参照)だった。
さっそく2ヶ購入、魔法防御力はアップし、頭はさみしくなくなった。
頭がさみしくなくなって余裕の出てきた僕は、それまで騒ぎになっていた「駅近くでの警察の催し物」を気にすることもなくなっていた。
なんかやっていたのだ。
暑い中を、警察の人が。
まあ警察の人なんだから、暑くなくても何かはやるだろうさ。
やればいいさ。
そのくらい、帽子のおかげで普通になれた。
そして階段の陰に着ぐるみの頭が逆さに放置されていたことも気にならなくなっていた。
そのクマはポリスキャップ(本名不明)をかぶっている。
例の催し物の、何かだったのだろう。
いじりやすさ炸裂の一品である。
しかし気にならない。
むしろ他の階段の所にはないのかと問いたくなるくらい、それは普通だ。
さっきまでは帽子を探していたものだから、「帽子をかぶっている着ぐるみの頭をかぶれば、より帽子なのかもしれない」とか思ってしまったりしていた。
そんなことを思わせるな。
くまの頭部よ。
今となっては、「より帽子状態」ってどうなんだということも、それは特に何もないことでしかない。
熊本で「より帽子状態」になってどうなんだと言われれば、それはやはり特に何もないことでしかない。
次はレンタカー。
熊本駅の近くには、たくさんレンタカー屋さんがあるみたいだ。
ちょっとそこまで。3
正直なところ、僕は駅弁に対してかなり否定的だ。
冷えてるじゃないか。
できて時間が経っているじゃないか。
高いじゃないか。
特に幕の内のやろうこのやろう。
何をかしこまって個室に鎮座してんねん。
豪華そうにしてんねん。
ということで、とにかく駅弁というものは口にしていなかった。
その点、ブルートレインには食堂車両があって、それはそれは楽しかった。
高いことは高いのだが、とにかく優雅だった。
風景が動く。
すごい速さで動いている中を、僕らはテーブルについて暖かい物を食っているのだ。
子供ながらにその特別さは、未だに印象の薄れることがない。誰か同じことを言っていたような気もする。
速い中を食うことは同じなれど、駅弁は優雅じゃない。
それは作業だ。
と、悪態をついたところからもわかるように、新幹線で食べた駅弁がすごくおいしかったんである。
博多→熊本だったから、確か博多駅で買ったのだろう。
「焼き肉弁当」的なやつだったと思う。
これがうまかった。
これなら幕の内のやろうに挑戦してみてもいいかと思わせる。
自分のみならず、仲間の評価もあげかねないうまさ。
焼き肉弁当。
でも、パッケージすら思い出せぬので、さて帰りはどうしましょう。
ちょっとそこまで。2
ブルートレインに乗ったことがある。
今はなくなっちゃったんだっけか。
ブルートレインは楽しかった。
子供にとったら旅行だけでも大したイベントなのに、電車の中で寝ころがってしまうんだもの。
夢心地である。
しかし今回は新幹線だ。
6時間で着いてしまうとのこと。
これをあじけない派は、こう叫ぶ。
「ここは病院か!!」
一方、あじける派は、こう叫ぶ。
「とくに問題なし!!」
博多までは、2度車内販売を逃したこと以外は普通な感じ。
しかし博多から熊本までは、やたら豪華に。
座席は首のあたりがなんだか落ち着かないが、とにかくきらびやかだ。
のちにそれは九州新幹線というものであることがわかった。最近開通したらしい。
そんな話題性の高いものに乗っていたのか。
まったくわからなかった。
だから同じ車両にいた男の子たちとそのおばあちゃんは興奮してイスを回転させまくっていたのか。
男の子は興奮して、椅子の上に立ったりしていたのか。
おばあちゃんは興奮して知らないおじさんの頭をばしばし叩いていたのか。
ごめん後半2つストーリー上のスパイス。
とにかく、そんなホットトピックを知らずに乗ってしまったわけだ。
九州新幹線にとっては、僕はあじけないことをしてしまったのかもしれない。
しかしそのとき、僕は別のことで忙しかったわけでして。
→駅弁がうまかった。
ちょっとそこまで。1
どこか行くか。
思い立ったが吉日という警句を受け、早速手段を探してみることにした。
すると空路は無理。
陸路はどうにかという感じであることがわかった。
新幹線の予約具合の確認も兼ね、JRのその手を一手に扱いそうなエリアに進入。
とりあえず並んでみる。
かわいい受付さんが言うには、奇跡的に空いているという。
恐ろしく高価だったが、本当にかわいいなあ。
いやあ本当に。
うん。
ということでかわいい往路を購入。
ただ、その切符には高いことはわかるが、受付さんがかわいいことの形跡は全くなかった。
旅の内容が全く決まっていない。
でも目的地は決まった。
内容は気がかりだが、特に問題ないだろう。
ノープランでも、それがおもろいものにもなることを、僕は知っているのだ。
何でもその気になれば、たいがいおもろいことにはなる。
僕もこのブログでは何度「その気になった」ことか。
そんな妄想を抱き、なんとなく南へ。