ラーメン

ちょっと汚い話なのだが、こってりラーメンを食べるとおなかをこわす。

どうも脂が多いのがいけないようなのだが、いかんせんラーメンは7割ほどは脂からできていて、まさにその脂を食べたいからラーメンを食べているわけで、そうなると僕は何かを捨てて生きてきたし、これからもそうしていかなくてはならないのである。

ところでラーメンを薬と考えた時、どんなストーリーが考えられるだろうか。

「十数種類の薬効あらたかな材料を煮込んだ」

お、かなり薬として歩んでいけそうな属性を持っているじゃないか。

「十数種類の薬効あらたかな材料を煮込んだそれを口に含んだ時、立ちどころに治ったのです」

だめだ。
空腹しか治らんわ。

本末転倒

本末転倒は「転倒本末」って書いたほうがよりいいんじゃないか。
そんなことを今度、バーで一生懸命話してみようと思う。

なんて書いているのだが、その時には、まず覚えていないのだった。

でも「本転末倒」だとか「倒本末転」を言い出すくらいなら忘れていたほうが良いのだ。

自由形

メモ帳に「100m自由形陸上」とあった。

さぞメモしたときは面白かったのだろうが、今やその残り香もなく、にんまりするための筋肉は硬直し、言霊は遊びに行ってしまった。

今僕が思うことは、何かの漫画かエッセイかで「全力で走るよりも、踊りながら走ったほうが速い」人の話だ。

「自由形」という夢あり、かつ懐の深そうなキーワードのおかげで、ほんの少しだけ「踊りながら走ったほうが速い」パターンも人によってはあるかも、と、まあ思わないのだが。

そういえば、水泳の自由形は、みんなクロールだ。

自由なんだからフィンくらいつけてもいいのではないか。
外科的なもので鼻の高さを25mくらいにしてもいいのではないか。

なんか昔似たことを書いた気がするのでもうやめるが、こうも自由というものは人の手にあまるものなのである。

ビタミン

ちょっとくらいならビタミンっぽくない名前でもいいのだ。

アスコルビン酸?
ビタミンCのことだ。

確かに「ビタミン」という響きが持つ、さっぱりさや清々しさ。
買ってきたばかりでページがピシッとしている新刊。
サークルではなく、テニス部。

あれが無くなってしまっている。

しかしまだましだ。
葉酸の野朗に比べたらまだましだ。

何故かはわからないが初めて聞いた時から「葉酸」は気に食わない。
ビタミンの中で目立ちすぎだ。

日本で見つかったら漢字です。
そんな感じの理由なのだろうか。

他のビタミンと結構違うところがあるから変えてます、とかあるのだろうか。

かろうじて「新緑です」というのはアリな気もするが、それで騙されようと思っても騙されんわ。
葉酸はちょっと画数多すぎる。

新緑というものの、何がいいかというと、それは木漏れ日だ。
あの画数では、ちっともその隙間から日差しが漏れてくりゃしないだろうが。
ちゃんと漏らそうとしてんのかこら。

新緑の木漏れ日。
あれを木の内側から見られたら、それはもうスパンコールのようにきらきらして気持ちがいい。

5月の美川憲一。
今書いてみて、スパンコールの代名詞として美川憲一を持ち出すのは合っているのか。

いや美川憲一と言えば普通、10月か11月だろ。
かの女の誕生日は、一体どっちなんだ!!。

熊本県

寝る前によく読んでいる「妖怪大百科」みたいな本に「あまのじゃく」の仲間である「アマンシャグマ」というやつが載っているのだが、その内容の魅力に、先日まで気づかずにいた。

「この世が誕生したころに熊本県に棲んでいた」

地球誕生の46億年前なのか、ビッグバンの138憶年前なのかはわからないが、そのときから熊本県は存在していたことになる。
国際的な諸問題を一気に解決できそうじゃないか。

存命なのかはよくわからないが、コンタクトが取れればそんな些細な問題どころではなく、宇宙の創世やこれからどうなっていくのかも聞けそう。

はやぶさ3は、彼を探すの特化でいいんじゃないだろうか。

電池切れ

ちょっと変な腕時計を持っているのだが、電池が切れて久しい。

時間を見るために携帯を見る。
その行為が、なんかかっこ悪いなと思ってしまったのだ。

特に夜。
わざわざバックライトが明るくなり、時間と待ち受け画面のねこを映し出す。

何を、明るくなっとんだ。
確かに時間は確認したかったが、夜なんだ、見えなくてもいいじゃないか。
いや、そもそも何を時間を気にすることがあるんや。
お前は時間を気にするほど、予定ないやないか。
おいまて、何便座ゆっくり開いとんのや。

最後は蛇足だったが、まあこんな気分になった。
そんなときに買った腕時計。

電池が切れて久しいが、装着するのも久しい。

というか嘘ついた。
装着しないでもう3年くらいたつ。
僕はまだ、夜の路地で顔を光らせているのである。

マスカット

ときどき行くバーでは、必ず注文するのは、なんかマスカットのなんかである。
ジュースのように甘く、酒を感じさせないそれは、夕焼けのような色合いのカウンターに、妙に合う。

僕は昔からマスカット味のものが好きで、まあほぼラムネなのだが、ではそれが本当にマスカットの味なのかはアヤシイものなのだが、とにかくあの好きなのだった。
でも、いまラムネを挙げたように、実は本物はそれほど好きじゃない。

マスカットは皮をむくのが面倒くさいし、そもそも結構高い。
ちょっと名前の語感も好きじゃない。

そのなりは、ちょっとトライポフォビア感があるし、干したら僕の大嫌いな干しぶどうになる。

「マスカットは何個目からトライポフォビア感が出るのか」

ちょっと興味が出たが、それよりも今使っているedgeのタブがたくさん出ているのだが、そのタイトルがすべて「ポチョムキ」になっている。
先日、確かにポチョムキンに触れたが、その時調べた形跡が残っている、ということだろう。

「ポチョムキは何個目からトライポフォビア感が出るのか」

半濁音がある分、期待できそうである。

メダカ

メダカを飼っているのだが、増えてきた。

最初のころは、卵を見つけると親に食べられてしまわないよう、別の水槽に移していたのだが、そこで生まれたメダカがそこでまだ繁殖しだし、これは指数関数的に増加する秒読み段階にきているといっても過言ではない。

とは言っても、殺戮的な方法で数を減らすのは忍びなく、増えるとはいえ稚魚はなかなかかわいいし。
内科的な方法で数を減らすのは、思いつくのはほぼ殺戮的な方法で数を減らすのと変わらず、外科的な方法は、メダカに対しては知らない。

今は亡き祖母に聞いたところによると、何十年も前の猫の去勢方法は確かあれだ。
戦艦ポチョムキンを輪ゴムで縛ってしまい、自然と朽ち落ちるのを待つという、それだけはやってくれるなという方法だったという。

その真偽は定かではないが、これをメダカにやろうとすると、それはおそらく殺戮的な方法のひとつである。

殺戮はいやだし、でも増え続けてしまうのも困る。
さらに言うと本当はメダカかどうかわからないのだが、メダカのようなものを、やはり殺戮するのはいやだし、得体のしれない者が増え続けるというのも、やはり困る。

いやーほんと困る困る。

かしましさ

女三人寄ればかしましい、とは今や、ちょっと見方を変えると様々な炎上要素を持つ、気がする。
なによりも、多様さが認められている昨今では、そういうやつもいるし、そうでないやつもいる。
それ以上の何もないわけである。

4人集まらないと騒がしくない女もいれば、3人寄ればかしましい男たちもいる。
あれ、昨日は3人でよかったのに、今日は10人集まっても動きに切れがない。
あいつ、ひっとりでうるさいなぁ。

あいつら、2人だけどかしましい。
ああ、おばあちゃんが来てるのか。

などである。

ところで昨日、変な居酒屋で飲んでいたら、それはそれはかしましい女性らが隣にいて、もう圧倒されてしまった。
二十歳くらいの若い女の子なのだが、20年ぶりに命の恩人に合った、みたいな状態でなのである。

お母さんにあったんか。

とにかく大騒ぎが一定間隔で発生し、その振動で身体ともに揺さぶられた。
そのせいでとても疲れた。

しかし楽しそうだったので、悪い気はしなかった。
あの場所なら、たぶん悪霊とかは退散するし、かっちかちのジャムの蓋は開くし、除湿効果もすごい。

フランケン

前から気になっていたのはフランケンのねじの件で、あの、こめかみにあるやつ。
ねじという性質上、対となるボルトの存在も気になるが、僕が以前見たのは「こめかみの両方からねじの頭が見えている」タイプのシュタインだった。

あれはいったい、何を止めているんだ。
などと考えていたが、ちょっと画像検索をしてみると、その僕が見たやつは見られず、首になんか棒が付いているフランケンが多数ヒットした。

どうやらこちらが本家で、僕の見たほうは、フランケンではない何かだった。

もちろん、本家の首についている棒もいったい何なのか、よくわからない。
おそらく何かをとめているのだろう。

一方で僕の見た両方ねじ頭をこめかみに携えたやつは、たぶん動くねじ置きとか。