鳥を雛から育てていると、自分を人間と思うようになるという話があります。
刷り込みというのは、案外怖いものです。
なんかの雛がなんかになってしまったり、なんかの幼虫がなんかになってしまったり、故天本英世氏が死神博士になってしまったりします。
また、人間では思い込みというものもあります。
司会の誰々がかつらだと思ったり、頭文字Dを「かしらもじでぃー」と得意げに読んでいたり、死神博士がイカデビルになったりします。
これらは全て勘違い、悪意なき間違いです。
しかし、ことによっては、思い込んだり、刷り込まれたことにより、現に変化が生じている、ということとも言えます。気持ちが現実になる、形を持つ。
「ヒトの気持ちをカタチにする」
つまらん社訓のように聞こえますが、実際にしでかした人がいることをさっき思い出しました。
「サイババ」だー!!。久しぶりだー!!。
彼は結構前に、いろいろ体から出した。確か、ちっこい仏様とか。
ここまで読めば、わかりますね。
彼は、自分に対する刷り込みによって、心を具現化しているのです!!。
楽屋行けば見られます。
サイババが、自分の体にビブーティを刷り込んでいる姿を!!。
投稿者: nimbus7942
吐露と休日
インターネットの匿名性は、他人の非難などよりは、自分のある秘密みたいなものを明かすときに発揮されるべきである。しょうもなさは似たものだが。
前回、「人間、イベントなんて頻繁には起こらない」みたいなことを書いた。
4月29日。イベントがあった。せっかくなので書いてみようと思う。
nimbus7942、「サイン会」へ赴く。
サイン会・・・。かつて僕が、これほど艶っぽい場所にいることがあっただろうか。クリスマスの日に新宿紀伊国屋へ本を買いに行ったとき、周辺ベンチが恋人まみれだったとき以来。
奇しくも、サイン会場は新宿紀伊国屋。
そう、サインする人は物書きさん。漫画家さんです。艶っぽくはなく、どちらかというと「おぎやはぎ」がいっぱいいそうな感じを受けるかもしれない。
4月29日。13:00?。漫画家「西島大介」サイン会。
好きな物書きさんだが、マニア向けしそうな本が多いので、たぶんマニアさんほどの血まなこ度はないでしょう。けど、サイン会の整理券が手に入ってしまったので、行くしかないと。
同時刻、ツンドラさんのほにゃケストラがあったのですが、謹んでキャンセル。
ごめんなさい。7942はサイン会へ血を見に行くのです。
当日。新宿のゲーセンにいた僕は、結構めんどくさくなってきていました。人見知りあるのに、何で知らない人に会いに来たんだろう・・・、とか考えていました。
けど、多分店員さんに本を渡して(新刊の記念のサイン会だった)、10分くらい待てば、サインの入った本を返してもらうんだろうと考え、少し遅れ目に紀伊国屋へ向かったのでした。
紀伊国屋でもらったアンケート用紙と、サインのいただき方に、僕は愕然としました。
「やばい!!。本人が目の前で書いてくれてる・・・。」
本人はともかく、周りに偉そうなおっちゃん達が身じろぎひとつせず防御陣営を保っています。思わず身震い。
「買った本、まだちゃんと読んでない・・・。」
もちろん読んで自分なりの解釈で楽しめたけど、この本の感想となると、なんとも短時間で感想を書きにくい(もしくは一行で終わる)本なんだな、これが。思わず失禁。
サインをもらいに来た人は並んでいて、時間はある。けど、「今回の本の感想を・・・。」とか、「好きな本は?」とか、アンケートを埋めることは時間がどうこうというものではありません。
しかし、ここは西島大介のファンとして来ているわけで、来られなかった人に対しても、変なことを書いたら失礼です。
「これがサイン会か・・・。」
サイン会の実態を目の当たりにした僕は、風見鶏並みにキョロキョロ。挙動不審な色眼鏡男になりました。
何でそんなに書けるんだ!!、という人が前とその前と後ろに。
「君のようなファンが来るはずの枠を、僕が・・・。」と、ちょっと残尿感。
何とかアンケートを書きました(失礼)。けど、サインの番が近づくにつれて、新たな事実に再失禁。
なんか、好きなキャラクターを書いてもらえるらしい。
そりゃあんた。本は読んだし、キャラクターも見たらわかるけど、名前まではあんまり覚えてないよ!!。
ファンにはうれしいサービスも、キャラに疎い僕にとってはちとつらい。今日、西島氏は100人くらいサインを書くはず。そのあいだに、気分悪くなるようなヤツがいたらやなハズです。
彼の作品で、おそらく一番知られているキャラクターにアンという魔女がいる。唯一知っていた彼女を切り札として、僕は死刑囚のように待機。
ところが、ぎっちょん。
僕の2つ前の人が「魔女」を書いてくれというのでした。切り札は錆びた。
また、見る限り、サイン中に談笑が繰り広げられています。ムネンアトヲタノム。
西島氏「なに、書きましょうか?。」
7942「いやーほんま、好きなものを書いていただければ・・・。」
西島氏「じゃあ、これ、自画像として書いているヤツなんですけどね。」
7942「・・・・・・・・・・じ・・・が・・・ぞう・・・・・・。」
西島氏「はいどうぞ。ありがとうございました。」
7942「・・・どうも・・・ありがとうございました。がんばってください・・・。」
西島氏「がんばります。」
極めて月並み。相手はサイン100人切りなんである。もうちょっと何か気の利いたこと、言いたいもんでした。「おまえもがんばれ」というフレーズが泡のように浮かび、消えました。
ファンとしてつまらんところがなかったかどうか、気になるところです。
・・・
帰り、アンケート内に書いた、好きな西島氏本のタイトルをまんまと間違えたこと、西島氏、僕を含むそこそこの人が「おぎやはぎ(もしくはつじあやの」系めがねさんだったことに気付きました。
人生に台本は無いから
「マイブック」をご存知でしょうか?。
確か、文庫サイズです。
そして、その中身は白紙。
自分のことを勝手に書け!!。というような趣旨の本です。
何だか気の利いたような本ですが、これを最初に見たとき、僕はこう思いました。
「普通の人が生活していて、本にするほどイベントがあるわけないじゃないか!!。」
趣旨はいいかもしれないけど、もらったりしたら、いかに自分の生活が彩られていないものか、わかっちゃう気がしました。
同様に、故誰かの本には、この手のプレゼントをもらって狼狽する人の話が載っていました。
人に何かプレゼントするっていうのはすごく素敵なことと思いますが、何を選ぶか、というのは悩んだ経験を持つ方も多いのでは。
モノが重複したらマズイですし、センスを生かしたと勘違いして変なモノを選んだりしたら、次の日からは志茂田景樹を見るような目で見られてしまいます。
この勘違いが好転するときは、志茂田景樹にプレゼントするときだけです。
そんな中、僕はよく本をプレゼントします。マイブック以外の。
本を読まない人は、人生の5%くらいは損してます。このくだり、ツッこみやすいですね。
僕は著者を見ないで、タイトルや雰囲気を重視した「ばくち買い」をままします。ハズレ多し。けどおもろい。
皆さんも、自分の気に入った本を、誰かにプレゼントしてみてはどうでしょうか。
結局は、相手からしても、良いもらい物になると思います。
ちなみに、中学の頃、僕の友人がくれた誕生日プレゼントは「コンノケンイチ・月はUFOの発進基地だった」です。
とてもよくわかっている人です。
出るに出れない大魔王
僕のくしゃみは大きいらしい。
3メートル先のスクリーンセイバーを解除した実績。
また、ねこが何かのあいさつと考えているらしく、僕がくしゃみをすると小一分間、鳴き続けます。
いつかも書いたけど、最近、くしゃみを我慢する人が多くなっています。なんだか体に悪そうな気がします。
僕は一時期、そうしてたけど、ぼうこう炎になったり、目が飛び出ちゃうんじゃないかと考え、やめました。
多分、我慢する人は、尋常ならざる音で、周りの調和(人によって異なる)をこわしたくないのでしょう。
確かに、おじさんのように、くしゃみが大きいだけでなく、その後のひと文句などは見るに耐えません。
あれは、くしゃみを聞かれてしまったという恥ずかしさなのか、くしゃみひとつ防ぐことができなかった無念か、くしゃみの余韻を小出しにして消しているのか。
けど、我慢する人も感づいているはず。なんか体に悪そうだと。くしゃみストレスもあるでしょう。
なので、くしゃみの後に「ジョビジョバ」と言い加えることを提案します。やってみるとわかるのですが、案外「流れ」のようになります。
くしゃみ自体は我慢しないよう。
ただ、それだけでは生理現象としてあまりに露骨。そこで、ジョビるのです。美しい日本の格式です。「トイレ」ではなく、「お手洗い」というのと同じです。
とりあえず僕はジョビりたくないので、くしゃみ自体を忘れていきたいと考えています。
追記
スクリーンセイバーって、カッコいいな。
思わず口にする、美しい言葉
いつだったか、出し物のときにやった、「ミッキーマウス、ドナルドダック、すすわたり」のものまねは案外受けました。
ミッキーマウスは案外ものまねできる人は多いらしい。しかし、僕のミッキーは明らかに一線を画する点があります。
それはセリフ。
たいがいのミッキーは「おーい、ドナルド?」とかだと思いますが、僕の(というか我が家の)ミッキーは「見て見て!!」というセリフで統合されています。
やってみればわかりますが、「見て見て!!」はミニーに対してミッキーが言いそうな言葉の上位です。間違いありません。俺の勝ちだ!!。
思いのほかよかったらしいのは、すすわたり。となりのトトロの、「*」みたいなヤツです。
トトロ見た方。
やつら、声出していましたよね。
字にすると、「わーにゃっ!、わーにゃっ!。」という感じ。
よくわからん鳴き声。
よくわからん。
「わーにゃっ!。」ってどんな意味だ?。
メイちゃん。すすわたり、取ったんじゃなくてつぶしているんじゃないか?。
「トトロとトロル」って、普通間違えたりしないんじゃないか?。
「伊藤家の食卓」って、最近つらい裏ワザばかりじゃないか?。
「スローなブギにしてくれ」の、「スローなブギ」って何だ?。
反社会的な言動が見え隠れした、今日のブログでした。トトロ見てない方、忘れた方、見ましょう。
本が風邪をひき、僕は白くなる。
本(特に文庫本)を買うとき、そこが本屋さんなら、紙製のカバーをつけてくれることがあります。
今もそうかもしれないけど、一時期、本屋さんによって趣が異なる本カバーが話題になり、コレクションする人もいたとか。
本カバーから見て、本屋さんもしくは店員さんには2タイプあることがわかる。
本カバーを本と表紙の間にかみ合わせてくれるタイプと、ただ表紙の上にかぶせるタイプ。
時間がかかったりするのかもしれないけど、やっぱりかみ合わせてくれたほうが読みやすい。カバーだけびろーんってなりにくいし。
やってもらうコツは、レジでお金を払うときに時間をかけること。かばんの中の財布を探している間にだいたいの店員さんはカバーをかけてくれる。
これは、意図的にやるとかなり迷惑かかるとおもう。
急いでる人がいたりすると申し訳ないけど、僕の場合、使用しているウニキュロの財布がすさまじく小銭に対して敵意を持っている財布で、なかなか小銭を手放さないため、カバー率は高い。悪気は一切、ないんですが。
異論反論オブジェクションがあるでしょうが、今日のnimbus7942はあしたのジョーのラストシーンなみに何も考えなかったので、お・わ・り。
オバさんが「私がおばさんになっても」を歌ったら。
「ターゲットを見つけるなんて、俺には他愛もないこと。今日も俺のサザンアイズが獲物を追い込む・・・。誰だっ!!。」
そんな僕は電車の中。僕なので、サザンアイズといっても写楽君です。ちなみに5mくらい先にいる女子高生は和登さん。獲物は座席の制服野球少年。「誰だっ!!。」は装飾です。
わからない人はしょうがないけど、朝早い電車は、混みます。鮒寿司なみにギュウギュウ。ひしめき合ってる。牛が5匹くらい詰まっているってことです。
どうにか座りたいので、僕のように「座っている、もうそろそろ目的地に着きそうな人」を何気にサーチ、その前を陣取りあとがまを狙う人は結構多いと思います。
まぁ、あんまり当たらないんです、これが。こんなときの僕の背中は、哀愁を帯びてると言えるかもしれない。
哀愁っていうと、悲しい感じがするのはもちろんですが、何だか「わかってる男、女の悲しみ」を表現しているように感じます。
このように、哀愁をかもすというのは結構素敵なサムシングかもしれませんが、ドラマのような哀愁はなかなかチャンスがないと思われます。
しかし、案外簡単。哀愁を漂わすことができるのはトシちゃんだけ、というわけではありません。
1.牛乳瓶のふたを開けるときに、うわっつらだけ剥げた。
2.よくエロ本を買いに行く本屋に「毎回ありがとうございます」と言われた。
3.一発芸で「狂牛病になった牛」をやろうと思っていたら、前のヤツが「生まれたての小鹿」をやってた。
4.美少女フィギュアをしまう場所がなくなってきた。
5.もうなにもかも、基本的にはオバさんになってた。
このようなことになっていて、それに気づいたとき、「昭和枯れすすき」をぼそぼそ歌いましょう。
哀愁もしくは哀愁のクリティカルポイント越え、間違いなし。
商魂のたくましさと購買意欲のひ弱さと愛の強さと
4年間使ってたMP3プレイヤーが壊れたので、買いに行きました。
まったく知識を入れず、おもむくがままのものを買おう。
ちょうど新製品があるらしい。ちょっとしたイベントっぽくなっている。
これは何かの因縁かも。見てみたい。
しかし、その願望はオーディオプレイヤーコーナーで、てぐすね引いて客を待つギャル軍団に阻まれてしまいました。
この、勘違いもはなはだしい商法により、商品を売るチャンスを逃したお店は数知れないだろう。暇なのはわかるんだけどね。
商品の名前を覚えてもらう、華やかなイメージを作る。よろしいです。
でも、てぐすね引いちゃあねぇ。
ここ2?3年、てぐすねオーラが触手のように出てる人、客商売を問わず多いです。ホムンクルスかよ!!。
人間、待ち構えられたり、触手の生えた人には、近寄りません。
店員さんは、そこそこの人数で、うろうろしていればいいんです。
用がある客が捕まえますから。
触手の生えた人は、「世界びっくり人間」に出ればいいんです。
愛川欽也がいじりますから。
7人のこびとは、白雪姫でなく、おやゆび姫を助ければいいんです。
見上げなくて済みますから。
孤独な人はハンカチを落とす女の人を探せばいいんです。
愛が芽生えますから。
タイピングがそれてしまいました。
結論
僕らのことを影からでもいいから、もっと見ていてよ!!、ということでした。
追記
てぐすねって、「手薬煉」って書くんだ・・・。
イルカはいるけど、シャチはおるか?
僕は水族館で泣くことができる。
特にシャチショー。
感極まります。
それがわかったのが、いつかの旅行。ある水族館に行ったときでした。
それまでは、あくまで水族館は魚や甲殻類を見るところ。ほうほう、この魚には毒があるのか、面白いかたちしているな。とかに興味がありました。
なに?、シャチショー?。そんなん、子供じゃあるまーに、と考えていました。
けど、集合まで時間があったのでシャチ場へ。
ショーが開始される前、待っているとシャチの説明が流されました。
「シャチは鯨と同じく哺乳類で、どこそこ海に住んでいます・・・」
んー。そーか。
「シャチは海のギャングと呼ばれることもあり、肉食で・・・。」
「わくわく動物ランド」でやってたなぁ。「動物とえもの」にも載ってたし。歯ぁあるもんね・・・。
(泣いた後気づきましたが、これが泣かせる前準備だったのです。)
そしてシャチショーの開催。
もちろん、その演技もすばらしかったのですが、何よりも僕の胸に去来したのは、
「あんな獰猛なシャチたちが、人間を乗せてくれてる!!。」
「海のギャングとか言われてるシャチが、ジャンプしてくれてる!!。」
「あのシャチたちが、人間のために陸に乗り上げてくれてる!!。」
といったものでした。
僕の頬に、熱く伝うものが。
僕はどんな年の学芸会のときよりも大きな拍手を彼らに送りました。
品川でもイルカショーが見られる世の中。みなさんも、「あんなイルカたちが!!。」と感じてみては。
振り向けばヤツが湯気立ててる
みなさんは犬を飼ったことがあるでしょうか?。
まぁ、飼ったことなくても、犬がウンニョをするときの格好はなんとなくわかるでしょう。
結構なさけない格好でニョニョります。
ほかのうちの犬がどうだかわかりませんが、うちの犬はウンニョをするとき、あの格好のまま少しずつ進みます。
それは、なさけなさに拍車をかける動きなのですが、理由がわかりませんでした。
しかし、最近になって理由がわかったような気がします。
彼にとって、ウンニョは「出すもの、出て行くもの」ではなく、自分が動くことによって「残されるもの」であるんではないか、と。
つまり、彼が前に前進することで、動かないウンニョと分かれることができる、という考え方。
「コペルニクス的発想の転回」とは、このような事象にぴったりの言葉かと。
よし、お前は今日からゴン太ではなく、コペルニクスだ!!。
・・・
そして、意外な事実が判明しました。
「バックトゥザフューチャー」という映画がありました。
登場人物にマッドサイエンティストがいます。
その人が昔飼ってた犬の名前が、コペルニクスだったはず。
ウンニョ前進コペ犬は、少なくとも2匹いることが判明しました。