客「この、ラーメンセットひとつ。」
店員「すいません。今、ラーメンだけしかできないんです。」
客「じゃあ、ラーメンだけでいいです。」
店員「毎度ありがとうございます。」
店員「注文はいります。ラーメンだけです。」
厨房「はいよ。ラーメンだけ!!。」
客「あの、そんなに「だけだけ」言わなくても…」
店員「そうは言っても。なんてったって、ここは「あとをひくせかい」ですから。」
客「あぁ、そうでしたね。」
店員「はい、ラーメンだけ。おまちどうさま。」
…
客「うん。ラーメンだけって言われたから、なんとなく損した感じだったけど、おいしい」
…
客「ごちそうさま。お勘定は。」
店員「ええと・・・。お客さんは…、ラーメンだけでしたね。はい、おつり。」
客「どうも。」
真美「おかあさーん。冷蔵庫にあった、私のプリン知らない?。」
店員「あー、ごめん。さっき食べちゃった!!。」
真美「…その行為。あと、ひくよ?。」
客/店員/厨房「・・・。」
投稿者: nimbus7942
きな粉のいいとこ
僕が、「きな粉」の持つイメージや言葉の「なにかっぷり」をうまく引き出したなと思った作品は、今のところ吉田戦車の「伝染るんです。」のみだ。
おそらく他にも「きな粉」の存在を扱ったものはあるはずだが、残念なことに知らない。
「きな粉」。
いいね。
もちろん餅との相性が抜群であるとか、何か健康面でもよさげ、というイメージもある。
しかし、ここではその存在っぷりがいい、ということを感じてほしい。
たとえば、きな粉のついた食品を食べるとき、彼らは必ずこぼれる。
波打ちぎわに立てられた砂の城なみに崩れやすい。
また、信玄餅のたれや、餅の水分をうまく加えることのできなかったきな粉は、生体から異常なまでに水分を奪う。
そして、奪い終えると同時に、咳き込ませる。
龍角散なみに咳き込ませる。
このような背景からも、きな粉は何か他の食材(水分を多く含む)と合わせて使うものである。
そうすれば上記のような危険を回避しやすくなるのだが、その反面、彼らには調味料ほどのダイナミズムを持っておらず、その存在価値が薄れると思われる。
そのくせ、店頭では堂々ときな粉だけで、大量に売られている。
最近ではその利用するシーンを考慮してか、小分けに袋詰めされた商品も売られているが、その「きな粉っぽさ」は失われていない。
また、「きな粉」はなにも食に関する場面のみに登場するものでもない。
今、僕は黒いノートパソコンを使用しているが、いくら掃除をしても、数日間でキーボード上に「きな粉」みたいなものが認められるのである。
誰だ。
きな粉餅を食べながら僕のパソコンをいじったのは。
さらに「きな粉」の存在は、その言葉自体の持つ何かに代表されると思う。
「きな粉」。
何なんだ。この感じは。
きなって何なんだ。
「キナくさい」という言葉があるが、同じ由来なのだろうか。
それともどちらかがどちらかを参照したのだろうか。
どちらにしても、どちらも「きな」なのである。
僕のように「きな粉」がなんとなく気になってしまったら。
残念な事にきな粉には何の罪はなくとも、きな粉は悪役になってしまうだろう。
一般的なほこり。
きな粉である。
クッキーの食べかす。
きな粉である。
黄砂。
きな粉である。
胞子。
きな粉である。
もし、この世から「餅」が消滅したら、きな粉は
「ほこり」であり、
「クッキーの食べかす」であり、
「黄砂」であり、
「胞子」である、とは言い過ぎだろうか。
こうも「きな粉」を罵倒し続けてきたが、僕自身は「餅には必ずきな粉」だと思っている。
尋常じゃなくおいしい。
だが、きな粉餅を作ったときに余ってしまったきな粉には。
これまた困るのである。
※小さい頃、ダンゴムシの飼い方を調べていて、彼らは「おがくず(木屑みたいなもの)」を食べるということを知った。
もしもダンゴムシをきな粉で育てたら、すごく大きくなるんじゃないかと考えているが、実行していない。
セーラーフク ト キンカジュウ
タイトルを、人間は「セーラー服と機関銃」と読む。
しかし、よく見てほしい。
「機関銃」のところが「キンカジュウ」である。
「何だそれは。」
ごもっともである。
しかし、別に「キカンジュウ」に似せるために作った意味のない言葉ではない。
「キンカジュウ」
アライグマ科の哺乳類です。
なので、タイトルは
「セーラー服とキンカジュウ」。
ところで、僕は「キンカジュウ」のことをずいぶん昔から「キカンジュウ」と読んでいました。
ごめん。「キンカジュウ」。
僕はかなりの人に「キカンジュウ」っていうすごい名前の哺乳類がいるよ、と言ってきてしまった。
悪いことした。
このようなことがあったので、皆さんは「キカンジュウ」「キンカジュウ」を見たとき、どちらがどちらであるかをちゃんと確認してほしい。
でないと、「セーラー服とキンカジュウ」。
妙なコラージュの出来上がりである。
身の毛もよだつ
「毛がにフェア開催中!!。」
と書かれた旗がたなびく。
毛がにたちにとっては
「毛がにフィア開催中!!。」
だろう。
踵を鳴らす女
ひろし「で、お前のいう「とんとん七拍子」って、何だよ?。」
たろう「わかんない?。「三三七拍子」と「とんとん拍子」の中間だよ。」
ひろし「中間って・・・。あるのか?、中間。」
たろう「存在しうる二つの点がある限り、中間はあるんじゃない?。」
ひろし「何言ってんだ。まぁ、とにかく意味としてはどうなんだ?。」
たろう「イメージとしては、とんとん拍子ほど、順調にはいっていない感じはするよね。」
ひろし「まぁ、そうだな。」
たろう「そして、宴会とかでは、みんながいっせいに机を小突くイメージ。」
ひろし「はい、いきます。とんとん七拍子!!、って感じか。」
たろう「うん。」
ひろし「でも、どちらかというと「順調には言っていない感じ」のほうがイメージとしては強いかな・・・。」
たろう「すると、言葉としては「三三七拍子」よりも「とんとん拍子」のほうが、強いんだね。」
ひろし「強いって・・・。あるのか?、優劣。」
たろう「存在しうる二つの点がある限り、優劣はあるんじゃない?。」
・・・
ひろし「ん?。なんか、三三七拍子のリズムが聞こえてきたな。・・・ヒールかな?。」
たろう「・・・存在しうる二つの点がある限り、共有する部分はあるんじゃない?。」
塾
男「君が自動販売機でジュースを買うとき、1000円入れたとする。」
子「はい。」
男「そのとき、何に細心の注意を払うかね?。」
子「おつりの中にある500円を確実に手に入れることです。」
男「堅実な子だ。」
男「では、君。」
子「はい。」
男「おつりが出るとき、明らかに500円が無く、100円ばかりの音がした場合は、何に細心の注意を払うかね?。」
子「特にありません。」
男「豪快な子だ。」
線その3
昨日からの続きです。
【あらすじ】
「味線」を視覚的にあらわすと、ミスター味っ子だよ。
昨日というか、ぶっちゃけさっきの終わりに「皆さんも、油断していると出しちゃってるかもよ、汁。」と書いた。
今回は番外編。
線が担うものについてのんびりしてみる。
線で思いついたのは、出しちゃっていることに気づいているか、気づかれているか、という点。
視線について考えてみる。
視線は出しちゃっていると、自他共に出しちゃっていることに気づいている場合が多い。
自「最近、あの子が気になって、いつも見ちゃうなぁ。」
他「お前、あの子ばかり見てるぞ。」
ところが他の線は、こうはいかない。
自「うわー。いいにおい!!。」
他「お前、鼻からよだれが垂れてるぞ。」
自「いい曲だなぁ」
他「お前、耳から毛が出てるぞ。」
自「うん。すごくおいしい。」
他「お前、にんじん避けてるぞ。」
自「肌触りがいいな。」
他「お前、尋常じゃない手の動きだぞ。」
それぞれ、一応可能性のあるシーンだが、それぞれ「視線」のような例には当てはまらないだろう。
当たり前だが、上記のような線を出してしまったとき、鼻がそっちに角度をつけるでもなく、耳が大きくなるわけでもなく、舌がキリンみたいになるわけでもなく、後天性多指症を発症するわけでもない。
要は、これらの線は、あったとしても他人にわからないのである。
では、これらを、自覚もせずに出してしまったとしたら、どうだろうか。
自他共に気づかない、線。
こういうの、なんかで見たことないだろうか。
これが担うもの。
そう。
「赤い糸」や「運命の出会い」以外には考えられないだろう。
ただし「自分でも気づかなかったけど、心の底では、君のことが好きだったんだ・・・。」
みか「・・・わかってるよ。」
ドラマなどで見られるワンシーンである。
このとき、みかは「わかってる」そうなので、何かしらを受信できたことになる。
ただしは「気づいてなかった」そうなので、出していたものから「視線」を除外してみる。
ただしよ。
何出した?。
鼻線。
聴線。
味線。
触線。
どれが「赤い糸」「運命の出会い」の実態なのだろうか・・・?。
・・・・・・
このことから、我々が「第六感」を信じたくなる理由がわかるというものである。
線。
ノープランで終わり。
<おばあちゃんの知恵袋>
もちろん、上の2人は「互いに気づかなかった」感なのに、周りのみんなは「好き合ってるの、バレバレだったよ。」となっていたならば、答えは「視線」なのだろうが。
線その2
昨日からの続きです。
【あらすじ】
「鼻線」って、化粧関係の用語でありそうだよね。
「視覚」以外の、出力する感覚について書いている。
では、「聴線」はどうだろうか。
今、壊滅的に何も考えずに書いてるが、たとえば「すごく話を聴くのがうまい人」は「聴線」みたいな物を出しているのではないだろうか。
昔、その歌声を聴くと魅了されてしまい、不幸になると船乗り達に恐れられたらしいセイレーンや、笛やら何かでねずみを誘い出し、退治したハーメルンは、それぞれ船乗り、ねずみに対して「聴線」を出していたのではないだろうか。
「いやーん、船乗りさん。海の仕事って大変よね。寄ってかない?(イメージ)。」
「オッス、ねずみ。おまえらだって、好きでペストを媒介しているわけじゃないよナ(イメージ)」
「味線」「触線」
特に「味線」については、本当にそういう解剖学的部分があるのではないかと思ったりするが、それ以上にこれらの線は当ブログ内容の対岸へ移行しそうなので、さらりとしておく。
触線、オヤジ、てかり。
この3ワードで、もうセクハラぎりぎりである。
このように、我々の周りには「視線」以外の線も存在し、出力、もとい分泌しているかもしれない。
皆さんも、油断していると出しちゃってるかもよ、汁。
さらに続く。
線
「視線」というものがあるのなら、視覚は唯一、出力もする感覚であるといえる。
「あの人の鼻線を感じる。」
確かに、鼻には穴が2箇所存在し、その闇が何かしらの出力をしているような気にならないでもないが、重要な点は「鼻線」で何かしら話が広がることはないということと、「何?、鼻に何か詰める話?。」的な感が否めないことである。
それでも強いてみると「あの人は私のにおいを嗅いでいる。その雰囲気を感じる。」という風か。
やだ。
ちなみに、この考え方でいくと「視線」は「あの人は私を見ている。それを感じる。」となる。
これは「何かを見る」という行為が、普遍的な行為以上の何かを持っていると人は信じている、ということに他ならない。
うーん。
でもこれは、別に視覚に限らなくてもいいんじゃないだろうか。
なので。
そんな行為を踏まえた「鼻線」だって存在してもよいはずだ。
「俺は、おまえに興味があるから嗅いでいるんだ!!。感じろ、俺の鼻線!!。」
やだ。
結局、「鼻」という器官は、「そういう扱い」の位置づけなのである。
何か、何かがやけにリアルで、露骨なのである。
この点について「鼻水」という粘液が、少なからずも位置づけに影響しているのは明白だろう。
明日へ。
クラウド・コレクター
いつだったか、朝から不思議な空模様のときがあった。
かなり薄めに、細かい雲が空に広がっている。
日本では、古来より雲への関心が高く、多くの種別分けをしたという。
僕は雲の種類なんてぜんぜんわからないけど、なんとなく今日の雲は「いわし雲」なんじゃないかと思った。
そして、僕がその雲を見てもうひとつ思ったのは、
「焼いた食パンにバターを塗った感じ」だった。
バターを雲になぞらえ、ところどころ見える青空を、バターを塗れなかった食パンの部分としたのだ。
もし、他の国でも、この雲の形状に名前が付けられているなら、おそらく「バター雲」である。
また、
「紙やすりにバターを塗った感じ」とも思った。
もし、他の国でも、この雲の形状に名前が付けられているなら、おそらく「バター雲」である。
また、
「かかとにバターを塗った感じ」とも思った。
もし、他の国でも、この雲の形状に名前が付けられているなら、おそらく「バター雲」である。
よって、「いわし雲」は「バター雲」であることが十中八九判明した。