旅行3

観光目的で教会やら寺院やらを回ったのだが、そのとき、僕は帽子をかぶっていた。
一般的に帽子をかぶったまま建物の中に入るのはだめ、だったような気がする。
そんなことを思い出し、境内に入るときに僕は帽子を脱いだ。
ところで、帽子を脱ぐという行為は、何を意味するのか。
寺院、教会もしくはそこに奉られているものに対する敬意だろうか。
後世にまで影響を与えているのである。
そら帽子を脱がないかんな。
でも、一方でこんな言葉を思い出していた。
「人の残したものが、そのまま永世残されると思うか?。」
「残るものは、自然そのものだけだ。」
うーん。一理あるね。
人の作った物理、精神的なもの。
どちらでも、いつかはなくなるだろう。
人がいなくなっちゃったりすると、なおさらだ。
まぁなんだ、両方大切なのだなぁ。
次はなにやら宝石店へ向かうことに。
そこでは肉食動物の目をした店員さんたちが、僕らを狩ろうとしている。
要は、なんか買え的な雰囲気だ。
でも、僕は教会で、帽子を脱ぐことで敬意を払ったのだ。
ここでは帽子を脱ぎ、何も買わないことで宝石に敬意を払おう。

鍵の数

僕らはいつからか、誕生してからそう長くないころに、言葉というものを知る。
声をかけられたり、本を読んでもらったり。
そしてまた遠くない日に、部屋に置いてあるお菓子の箱に書かれている字をどう読むかなどを、たずねる。
そんなこんなで、次は色々なものを読んでみる。
こんな感じで小学校などに行くと、簡単な物語を読むこととなる。
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ここまでのシーンにおける言葉の「読み出し」は
わたし、であったり、
ビスコ、であったり、
テレビ、であったり、
はんにん、であったり。
まぁ、言葉だ。
ところが、いつごろだろうか。
僕らは「人の話す言葉から始まる文章」に触れることとなる。
出だし、いきなりカッコから始まる文章だ。
「これは、レモンのにおいですか。」
いつか触れた、教科書に載っていた物語(白いぼうし)の、確か最初の一行。
このとき、僕は気になってしょうがなかった。
「カッコからはじまってる・・!!」
忘れてしまっている人も多いかもしれないが、この手の文章に触れたとき、何かしらの感動や衝動があったはず。
その理由は「カッコから始まる」ことが完全に予想外なことだったからに違いない。
当時は「いきなり喋りだして。お前は誰だ。」みたいな印象を、カッコ未経験者は持っただろう。
今でも、カッコから始まる文章に触れると、少しだけどきっとする。
「おい、見ろよ俺。カッコから始めて、読者の心をつかもうとしているぞ。」
僕も無理やりやってみたりするけど、ムズい。
カッコから始めるということについて作者は、明らかに読者に対してかなり積極的に何かを働きかけようとしている。
文章のノウハウなどはまったく知らないが「カッコから始まる文章」は読者にとって、何か、なんかだ。
悪く言うと、ワナっぽい。
もちろんいいワナなんだろうが、何か手中に収まる感が気に食わない!!という方。
何か本を読むとき、カッコから始まっていたら、心の扉をひとつ、閉めたほうがいい。
まぁ、そんな方は既に閉まっていそうだ。
ちなみに僕は、閉めた後で鍵をなくして、久しい。

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ある謎かけがございます。
その解答のコメントにて、僕を長年困らすフレーズがあるのです。
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「北がない」ということではなく、「北がない」ということすらない、ということである。
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・・・この人は、何を言っているんだろう・・・。
暇なとき、時として暇ですらないときでも、ときどきこのことを思い出しては、考えてみる。
「ないことすらない、ということは、何なんだ?。」
一般的に「ないことを証明する」のはムズいもしくは不毛とされています。
それなのに、それがないって・・・、何?。
5年ほど前、なんとなく「理解できた!!」という時期があったのですが、最近はまたわからない。
ただ、ニュアンスとしてはこういうことになるのかも。
テーブルの上にシュークリームの空き箱があったら「僕のシュークリームがない!!」と言える。
そもそもテーブルの上に何もなかったら「僕のシュークリームがないということがない!!」と言える。
僕がこの話で一番気にしていることは「ないことがない」という説明に対してどれほど有効な話であるか、ということではなく、何故たとえに「シュークリーム」を持ち出してしまったか、ということ。
事実、この話を考えるたびに、僕の頭には「シュークリーム」が浮かびます。
幼少の頃、僕はシュークリームでつらい経験をしたのか。
テーブルの上のシュークリームについて綴った物語などに触れたのか。
わからない。
思うに頭の中に唐突に生み出された「シュークリーム」。
これ自体も「ないことがない」説明に一役買っているかもしれません。

無心

先日、無心になることとかどうとかを書いた。
テキトーに書いていたわけだが、それって一体なんなのだろう。
辞書には「無邪気、意志・感情などの働きがない」とか書いてあるが、先日そして今回触れる「無心」は当然、無邪気ではない。
どちらかと言えば後者、「意志・感情などの働きがない」が近いだろう。
僕が思うに「幽霊が目の前に現れても普通」というものが、先日からの「無心」に近いと思われる。
例えばあなたが、夜中に公衆トイレに入っていたとする。
物語も佳境、というところで物音が。
入り口手前のトイレの扉を開ける音がする。
扉は次々に開けられていき、どんどん自分の入っているトイレにその順番が近づいてくる。
この時間、ただごとではない。
おそらくこの世のものではない。
ふと、誰かが自分の入っているトイレを、上からのぞいているような雰囲気を感じる!!。
しかしこの彼は、佳境であったことも手伝ってか「無心」だった。
扉の上から自分を見下している霊に対して「入ってるんだけど、ちょっと」とか言ってしまうのである。
もちろん霊は、誰かが入っているのはお見通しなのである。
誰もいないのに毎日やっていたら、まぁいいけど、なんとなくボランティアだ。
霊としては相手を恐れさせ、それを踏まえて(?)自分の存在や意図を伝えたいのだろうが、
今回の相手は、自分にトイレ使用中のルールについて、注意してきているのである。
この無心っぷりの神々しさに、霊は畏怖するであろう。
僕もよく、このブログネタを考えているときなんかは、上記の「無心」っぽくなっている気がする。
宇宙人が現れた。
「あれ、今帰り?。」
ひとりでにカップが宙に浮き出した。
「まだ飲んでるんですけど。」
雪男、サスカッチだ。
「ちょっと、髪伸びすぎじゃね?。」
タイプ中に、僕の部屋では、何かすごいハチソン効果が起きちゃってるかもしれないのに。
おしいことだ。

パスワード

さすがに最近では、わかりやすい、意味を持った文字列をパスワードに使う人は少なくなったのではないだろうか。
誕生日の4桁やゾロ目などは、セキュリティ上よくないという注意がいたるところにされているし、実際そうだろう。
覚えやすいからといって、自分にとって意味のある文字列では、その文字列のパスワードの意味以外のところからもれる危険性がある。
パスワードは、自分にとってはパスワードのみの意味、他人にとってはなんら意味を持たない文字列でなくてはならないのだ。
だから、パスワードを作るとき。
それは何の意味も持たない物でなくてはならない。
ところが人間とは不器用なもので、何の意味を持たないものというものがなかなか生み出せない。
例えば英数字を組み合わせたパスワード「gI4h」というものがあったとすると、人間はこれを
「G.Iが、4時間なんだなぁ。」と意味を持たせてしまうのである。
もちろん「G.I」がどんな傭兵部隊リーダーなのかはわからないし、4時間、いったい何なのかもわからない。
でも、そういう感じで意味を持たせて、記憶してしまうのである。
この辺は「いい国作ろう云々」と、年代を記憶するために使われる語呂合わせと通ずるものがある。
※余談だが、もし「11月92日」という日があったなら、その日に生まれた政治家はしあわせだなぁ、と思う。
今回の例の場合、「gI4hはG.Iが4時間なにかだ」という感性を、カードを奪った犯罪者が持っていたら、ざんねんとなる。
んなこたないよ、と思われるかもしれないが、そんな感性を、世界中に少なくとも一人(当人)は持っていることとなるのだ。
ちょっとでも「G.Iが4時間、なにか」的な情報が他方面からリークする可能性があるなら、その時点で「gI4h」にたどり着くのはそう難しいことではない。
よって、パスワードを使う人は、無心のうちに生み出されたパスワードを生み出さなくてはならない。
「ランダムにキーを押すよ!!」という方もいらっしゃると思うが、それはどうか。
ちまたは情報操作であふれている。
試しにキーを打ってみたまえ。
打ち出された文字は、どことなくコカ・コーラやマイクロソフトを感じさせるものではないか?。
結論
パスワードを使用するような、重大な局面を経験しなくてはならない人は、無心となれなくてはならない。
ちなみに僕が以前使っていたパスワードは、なんとなく「セイロガン糖衣A」を彷彿とさせるものだった。
糖衣の、子供心に訴える力。
Aという、謎の記号。
その情報操作力は、相当のものであった。

突き

こないだの日曜お昼「なんでも鑑定団」では、刀の鑑定が行われていた。
その鑑定内の話によると、刀は当時の風潮により形状が変化するらしく、その刀は「突き」が流行っていたころのもの、とのこと。
なんと、いじりやすい事柄だ、「突きが流行」。
「今年の夏は、突きで決めろ!!」
「今、「ジミツキ」でリーズナブルな最先端!!」
「知っていればこうアレンジできる!!。突き組み合わせ100!!」
当時の侍たちの会話にも、どこそこ流の突きの話で盛り上がっていたのだろう。
ところで、突きが流行の対象であるならば、当然ながら「切り」も同等となるだろう。
「切りシーズン、到来!!。」
「切り伏せ方パターン解析!!」
と、このようになる。
そうなると、
「もう後悔しない!! 切られ方5大鉄板ポーズ!!」やら
「切られたとき、胸元からチラリと見せたいアイテム集」
とかもあるだろう。
ちなみにアイテム集の上位はほぼ各お寺のお守りに違いない。
今の時代、刀を振り回すことはないが、それでもどちらが流行だろうか。
下ネタでシメてもよいが、みなさんの想像にゆだねたいと思う。
ちなみに流行の切り替わりは両者対決による勝敗がスイッチだろう。

尾塚

人類が進化の過程で尾を捨てたことは、奇妙というほかない。
我々の得意分野である「2足歩行」に、「尾によるバランス調整」はすごく合っていると思われるからである。
まだ足元もおぼつかない幼児に尾があれば、平均3ヶ月は立ち上がりはじめが早まるであろう。
小さな子と一緒に出歩くときは、自分の尾をつかませておけばいいし、暇なときは振り回して遊んでもよい。
長ければ、手の届かない、背中のデッドゾーンをかくこともできるだろうし、ドラゴンボールの孫悟空がやっていたように、ルアーの代わりになるかもしれない。
なに失ってんだ、人類。
こんなにも便利なのに。
どうやら、尾が失われた背景には確実に「かなり誤った出来事」が起きたに違いないようだ。
・祖先たちの間に「しっぽカッコ悪い」という風潮が広まった。
前述したように、しっぽにはメリットの部分が多い。
だから、自然界に生きるものなら自分の身なりどうこうではなく、何が生存、種の保存に有効であるかを優先するべきなのだ。
しかし、ほにゃらら紀の我らが祖先は、目先の流行にとらわれてしまった。
発端は「毛」だろう。
「うわーお前のしっぽ、ふさふさ過ぎね!?。」

「ていうか、お前のしっぽ、長くね?。」

「お前、しっぽっていうあだ名な?。」
このような変遷がかなり密に起こり、長い尾を持つ祖先たちは「しっぽ」というあだ名に悲観し、旅に出た。
その結果、尾のないやつらが繁栄したのだ。
・樹上にて「しっぽが首にからまり死亡」してしまう事故が起きた。
偶然だった。
被害者は長い尻尾を自慢していた。
しかし、何かをしていたとき(寒くなってきたので首まわりにしっぽを巻いていた等)、枝から枝への跳躍時にしっぽがひっかかり、
今回のような事故が起きてしまった。
誰も、悪くなかった。
運が悪かっただけ。
しかし、既にこの時点で人類は誰かを悪者にしないと気がすまない気質を獲得してしまっていた。
悪者は「尾」であり、「尾を持つもの」であった。
ちまたでは「テイルカット」が風習として行われるようになり、尾の長い子は不吉であるとされ、幽閉されたりしたのだ。
・ズボンにしっぽが合わない
実は、ズボンがこの世に誕生したころには、まだ人類はしっぽを持っていたのである。
この頃は尾も進化(?)しており、すごく興奮したときにだけ、背中からびゅっと伸び、尾となる仕様だった。
しかし、ズボンをはくようになると、びゅっとしたときにズボンのおしり部分に衝突し、「うっ」ってなる祖先が続出した。
もちろんズボンに穴を開けたりすればいいのだが、何回か「うっ」ってなると、もう尾が出てこなくなったので、そんなものか尾、と思われるようになった。
そして、その尾が今では背骨として、我々の体を支えているのだ。
だいたいこんなところ。
なんなんだ、「こんなところ」とは。

浸透と劣化・2

昨日から。
【あらすじ】
最近、ブログに書いてる文章が長くなってきた。
原因の一つは「明確に書くことがないから、だらだらしてしまう」から。
もうひとつは何かね・・・。
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もうひとつは「明確な意図に基づき、書きたいことがある」からだと思う。
例えば日記に「ゾウミジンコが、自分が大きいのか小さいのかわからなくなってきたって、言ってきた。」と書くとする。
ポイントなのは、内容がどうであれ、書き手が「こいつはイケる!!」という確信を持っているということ。
本当は「ゾウミジンコ」だけで村の一揆くらいは決起させる自信がある。
読み手1「ゾウミジンコ?。あぁ、あの小さいやつね。でも、ゾウって名前なんだよな。そりゃ、自分の大きさ、わからなくなるよね。で、君にどう言ってきたの?。」
でも、読み手2はゾウミジンコを知らなかった。
読み手2「ゾウミジンコ?。なにそれ、新キャラ?。」
ということで自信作は「ゾウミジンコ(ミジンコの仲間)が、自分が大きいのか小さいのかわからなくなってきたらしいよ。」と改変される必要が出た。
長くなった。
読み手2「ゾウって名前がついてるくらいなら、大きいんじゃない?。あ、でもミジンコだから小さいのか。ふーん。それで、どうやってそれをキミに伝えてきたの?。」
でも読み手3は脱線してしまった。
読み手3「やはりそういう哲学的な考え方を、ミジンコも持っていたのだな?。」
ということで自信作は「ゾウミジンコ(ミジンコの仲間)が、自分が大きいのか小さいのかわからなくなってきたことを、この私に面と向かって伝えてきた。」と改変される必要が出た。
長くなった。
読み手3「おや、待ってくれ。なかなか哲学的な考え方をするミジンコにも興味がわくが、そもそもあなたにどうやって伝えてきたのですか?。」
このように、自信作は文章量が増えたが、本文章中、一番意図していた「ミジンコとの対話」のことを読み手全員に気付かせることができた。
ここから先は、あなたしだい。
ジェスチャーだろうが、人文字ならぬミジンコ文字だろうが、「ミジンコが大勢で文字を作っても結局顕微鏡でしか確認できなかった」だろうが、「ゾウミジンコといっても、何か鼻っぽいところが長いからそういう名前で、一般的なミジンコに対して特別大きいわけじゃない」だろうが、思う存分やってくれい。
このブログではゾウミジンコについて問いたいのではないので、長い文になっちゃう件に話を戻す。
まぁ、このように、相手の考え方に関わらずに書き伝えたいことがあるのなら、それには情報量の増加を認めなくてはならないのだ。
「こいつはイケる!!」という内容に、汎用性を持たせようとするため、長文化する。
もちろん、読み手の幾人かがゾウミジンコのことを知らなかった点などは、全く問題ではない。
それは「ゾウミジンコ」を「近所の床屋さん」に置き換えることが可能だから。
まぁなんだ。
長くなるのは、しょうがないんだな。
そして、ついでに例題がイマイチなのを、ここで謝っておくんだな・・・。
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こういうことを考えるとき、僕は「ワイングラスのタワー」を思い出す。
あの、ピラミッド状にグラスが積んであるヤツ。
下のほうまでワインを届かせるには、ワインはたくさん必要なのだ。
もちろん上のほうのグラス、下のほうのグラス自体になんら差異は見られない。
それにしても僕は、最近の自分が書く、長い文が嫌いなことに変わりはない。
なんとなくだが、読み手に「ワイングラスのタワー」土台部分のグラスを渡しているような錯覚を覚えるのだ。

浸透と劣化

当ブログの数少ないリンク先、ダミアン氏のブログを拝見させていただいているとき、いつだったか「最近、文章が長くなってきた。」ことについて触れた回があった。
こないだ、僕もそれを感じたことがあったのを思い出した( 2006/05/09 語る言葉に恨み無し)。
最近、また僕のも長くなった。
それが、僕はいやだ。
長くなる原因は2つあると思う。
一つは、書くことがないから。
明確に書くことがないと、とりあえずの文に、そこそこの意味を持たせるため、どうしてもだらだらと書くハメになってしまう。
例えば日記に「このビームを受けて、立ち続けられた者はいない。」というシーンを書くことになったとする。
そして、その日は本当にビームのことしか起こらなかった日なのである。
さて、実際の出来事は「その、受けると必ずやられてしまうビームを受けたんですけど、僕はどうにか大丈夫でした。」で終わってしまうのだが、これは悲しい!!、と思った「私」は、だらだらと書いてしまうのだった。
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「その、直撃すると体を貫通し、背後の街をも壊滅させてしまうビーーームを、いとも簡単に受け流した私だが、受け流し先に小さな子犬が!!。」
「子犬の身を案じた私はタイムリープを用いて子犬の前に瞬間移動し、あまんじてそのビーーーーームを受けることにした。」
「かず子、すまない。みゆき、きれいになったな。近所のマイティ、ファミコンのカセット返さなくて、すまない。おやじ、長生きしろよ・・・。」
「だが、後ろの街は守ってみせる!!。貫通させるものかああああぁぁぁぁぁぁ!!」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
・・・
気付くと、私は片ひざをつき、動けなくなっていた。
どうにかまだ生きているよう。街も無事だ。
だが、危機はまだ去っていない。
動けない以上、私に何ができるというのだろうか!!。
to be continued・・・
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おうっ!!。
長いぜ。
もちろん、だらだら文でいいのが、日記やらブログのいいところ。
今書いてて、楽だし、楽しかった。
次、ドッキンガーJ(私)がどうなるのか、超気になる。
僕のはこういうだらだらが、ほとんどだ。
でもどこかで「もっとおもろいことをスパッっと言いたいんだけどなー」というのも、どこかで感じているのだ。
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そして、今回ももう長い。
明日へ。