今日は2014年の12月末なのだが、いわゆるクリスマスシーズンである。
子供の頃は、プレゼントと称したサンタさんからの善意の固まりを楽しみにしていたわけだが、最近は彼が世界中の子供達にプレゼントを配れるよう、寄付をする身となった。
だからか、あまりクリスマスというものに心が動かされる事がなくなってしまった。
しかし先日、心の揺さぶられる事があった。
それはあるイベント会場付近を歩いていたときの事。
そのイベントスタッフなのだろう、ドンキホーテで売っていそうな薄着のサンタコスプレの女性が舞台付近を忙しそうにしていた。
それは結構なのだが、気になるのが「移動する時、身を屈めていた」点である。
素人目には分からないが、もう撮影やテストをしていたのか。
だからカメラに写らないようにしていたのか。
しかしどちらにせよ、私は「サンタの格好をした者がこそこそする」のは非常に良くないと、そのとき感じたのだった。
それはどうしても「サンタは侵入者」であることが否めないという事実からだろう。
やはり、枕元に知らないおじいさんが来るというのは、セキュリティの面からしても良くない。
「寮に侵入し、女性の枕元に20分間立った後、退室」
これが、よく聞く不法侵入というのものに相当するのかはわからない。
だが、法に触れているのは間違いない。
彼が変態であっても、サンタであっても、だ。
したがって、そんなことを生業としているものが「こそこそする」ことは、みんな気付いていなかった、あるいは気付いていたがうやむやにしていた侵入という不信感を一気に思い出させることなのである。
次回
こそこそとした挙動をするとマズい人たちを考える。
投稿者: nimbus7942
歯ぎしりのくだり、少し遠いの巻。
うちの猫が、もう16歳くらいになるのだが、歯ぎしりをするのである。
こう、ホットカーペットに寝転がっていると、猫がよってくるだいたい10分ほど前から寒くなってくる。
やはりカーペットに接している部分とそうでない部分の温度差が激しいからだろうか。
余計に寒い。
そうなると我が家も大したもので、近くにフリースの小さい掛け物が用意されている。
でもこれを掛けるのなら、その前に必要なものを身近に置こうと、茶を入れたりタブレットとその充電器。
軽いスナック菓子などを用意する。
こうして、僕のまわりは必要なものが京都の町のように整然とならび、商いをできそうな状態になる。
そうしてから10分後くらいに、猫が来る。
なんと、我が家には恐ろしい事に「こたつ」の文化がない。
これは以前からずっとそうだったというわけではなく、ずいぶん昔は、冬にはこたつがあったのだ、うちにも。
しかし、あまりに「家族が動かなくなる」という至極当然の現象により母親が激怒。
以来、住人がこたつに触れる事はなくなった。
猫は来ると毛繕いをし始める。
自分の体から甘い汁でも出ているのか、というくらい綿密に、そして毛の色が変わるくらいにだ液が出ている。
まず、猫は甘い味が分からないと聞いた事がある。
本当だろうか。
「甘さ」は「栄養」の味である。
確かに「苦い」「すっぱい」など、体に害のあることを示す味覚と比べてみたら、それを感じ取る機能の優先度は低いかもしれない。
しかし、昔飼っていた猫は「あんこ」が好きだった。
「あんこ」はもう調味料として砂糖の代わりに使用して良さそうなくらい甘い。
「味はしないけどとりあえずなめといた」可能性もあるが、この例からするとちょっと「猫は甘さが分からない」には納得できない。
とはいえ、これ以上の論はないため、おそらく隣に来た猫の体からは甘い汁は出ていないのだろう。
いや、甘い汁は出ているかもしれないが、彼女はそれに気付く事なく、ただなめているのだ。
そういえば、猫が自分の体をなめるのは「日光浴でできたビタミンを摂取している」というのも聞いた事がある。
これもどういうことなのか。
確かに、日光浴は体に良いと聞く。
しかしその理由は「ビタミンが分泌される」ということだったのだろうか。
僕にとってビタミンはほぼ「野菜」が作り出しており、動物性の食品でそれが摂取できるとしても、それは野菜が作ったものを溜め込んでいるだけと考えており、もうカゴメと八百屋のプロパガンダは甚だすごい。
しかし、そんなビタミンが、動物から産出されるとは。
少なくとも猫からは、にじみ出ているということなのだろうか。
すごいぜ、猫。
ということで、まあ何かと言うと、年経た猫が枕元で歯ぎしりをする様は、もう化け猫以外の何物でもなく、ビタミンを摂取するために猫をなめる人がいるとすれば、もう化け猫に取り付かれた人以外の何物でもないのです。
大掃除
コンセントについている埃を快く思う人はそういないだろう。
実際僕もそうで、見つけたらさらっと掃除したりする。
しかし、たいがいの部屋はそうだと思うのだが、例えば本棚の後ろとか、タンスの後ろとか、なかなか手の出せないスペースにコンセントはある。
そんなアプローチできない場所の掃除はどうすればいいんだ。
すごく埃が溜まっていたら汚いし、火災の原因にもなりそう。
気になって仕方がない。
そこでおすすめなのが「年末の大掃除」である。
年末は休みがあるだろうから、日頃動かせない家具を移動させる、良い機会である。
そのチャンスを生かし、動かして掃除をするとよい。
ついでにカーペットなどの敷物の方向も変えて、「本棚に隠れていたから日焼けしていない」部分を出すのもやっておきたい。
もちろん、タンスの裏に落ちているものベスト3に入る「物差し」「小学4年生のときの絵」「破魔矢」も回収しておきたい。
そして、ここまでやるのならもう、どこもかしこも掃除すべきである。
偶然ながら、年末にはカインズホームなどの販売店では様々な掃除グッズが目立つところに置かれているから、もうほんとにどこでも掃除ができてしまう。
こんなチャンスは年末を逃しては、そうそうないだろう。
年末の休みを利用して、掃除をしてみるべきではないだろうか。
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nimbus7942
2014年 「年末の大掃除」を世界で初めて発見
悪口
今日は寒いし、電車で並んでたら割り込まれたし、マフラーで口元隠していたらちょうど鼻のところに毛がくるし、くしゃみは止まらないし、ぎりぎり避けてるつもりの人とぶつかるし、相手がいい人だし、座席の両隣の人はもっこもこだし、ホワイトボードんとこのマジックは全部ひからびてるし、カニクリームコロッケだと思っていたらカニコロッケだったし、中国の観光客の人にお台場の場所教えてもらったし、街のイルミネーションははしたないほど輝かしいし、お気に入りのポンチョのボタンがどっかいっちゃうし、ゴルフ場のビールはくそ高いし、フリスクまだあると思っていたらこないだ拾ったBB弾だったし、漫画読もうとしたら表紙カバーだけがそれで中身は違うやつだし、それでも風呂で読んでたら中から広告冊子が落ちてきたし、線路に人立ち入るし、便座はまだ暖まってないし、世界平和はまだほど遠いし、必要なときに輪ゴムはないし、必要なときに筆ペンはやっぱりひからびてるし、かぼちゃは煮くずれして表皮だけになってるし、プレステとプレステ2の置き場ないし、3DSの立体機能使ってないし、ストーブの前は猫が占拠してるし、ディズニーのタオルハンカチは小さ過ぎて手を拭いただけでびちゃびちゃだし、スーパーのビニール袋はなかなか開かないし、カウンターに濡れ布巾ないし、豆腐買ってないし、足がすごく腫れちゃったし、お医者さんは「虫的なものです」以上の事は教えてくれないし、ウェットティッシュはやっぱりひからびてるし、ポストの投函口にシュレッダーを仕込むいたずらを思いついちゃうし、灰汁は取っても取っても出てくるし、水兵リーベのこと知ってるけどプライベートは知らないし、そもそも誰なんだって感じだしで、文句も言い疲れたので、明日休んでいいですか。
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前回の悪口
坊主の道
やはり、坊主が今何を一番恐れているかと言えば「屏風に絵を描く事」ではないだろうか。
ご存知の通り、「坊主が屏風に上手に絵を書く」早口言葉は認知度が非常に高い。
どのくらい認知度が高いかと言うとほら、お前も「ご存知」だったろう、げへへ。
いくらお前が「坊主が屏風に云々を知っている」ことを隠そうとしても、俺の前では無意味なのだ。
さて、なぜ坊主が屏風に絵を描く事に恐怖を感じるのかとなると、それは「もう絵、上手でもそうでなくても残念」な感じになってしまうからではないだろうか。
例えばこの「恐怖」について分かりやすいものとしては「あれ、坊主が屏風に絵を描いているのに、そんなに上手じゃない」と思われてしまう事が挙げられる。
あれ、あの早口言葉どおりじゃない。
もちろん早口言葉どおりでなくてよいのはかまわないのだが、何となく残念な気持ちになる。
残念感を感じさせてしまう事に、主に「そんなに上手じゃない絵」を書いた坊主は恐怖を感じるのである。
では、上手な絵を書く坊主であればどうかというと、また違う恐怖が生じる。
すなわち「あー坊主が上手に屏風に絵を描いてるよ」「やっぱりね」というやつ。
あーやっぱり上手に書いたかー。
そうだよねー。
もちろん早口言葉どおりでかまわないのだが、意外性のなさに残念な気持ちになる。
残念感を感じさせてしまう事に、「上手な絵」を書いた坊主は恐怖を感じるのである。
このように、今のところ、坊主が屏風に絵を描く事に救いはない。
そして、例えば屏風ではなくキャンバスに絵を描いたらどうなるか。
「えー屏風じゃないの?早口言葉と違くない?」
「えー西洋画なの?坊主と違くない?」
坊主の道は険しい。
付箋
「内容が既に印字されている付箋」に、どれほど需要が見込めるのか、気になってきた。
16:00 佐竹さん 折り返し
これが印字されているのである。
「わざわざ書かなくてもいい」というメリットを遥かに凌駕する「どこで使うんだ感」。
商品名はもちろん「16:00 佐竹さん 折り返し」であって、はんこ以上にターゲットが狭い。
もちろん、「印字されている」という点だけ鑑みれば、おばあちゃんのまめ知識や著名人の格言。
それらが付箋下部にあるというのは、あり得そうな話だ。
しかしそんなぬるま湯の考察ではなく、もっと攻めてみたい。
となると、どうしても避けられないのが「付箋に書かれそうな事」の統計。
例えば「ごっつあんです」というセンテンスはかなり「付箋に書かれなさそう」だ。
同様に「付箋無駄遣い禁止」や「拝啓 お元気ですか」、「僕の考えたロックマンのボスキャラ」なども書かれないだろう。
そうやっていくと、おのずと「そこそこ需要のある印字付箋」にたどり着くのではないか。
と、実は僕は「自分の名前を印字」は結構いいのではないかと考えている。
で、今調べてみると、付箋の印字サービスや付箋プリンターなどがありそうだ、なんだ、みんなもう考えていたのか、の感。
kk
それほど親しくない人との会話でも、相手の人柄やシチュエーションから「何かイケる!!」と判断が下されれば、試したくなるのが人というものである。
「SMはどのくらい?」
「いやあそれがあまり」
「実は僕もなんです」
相手がいい人でよかった。
さっきどこかで「下ネタで引く人増加」みたいな記事を見たから、なおさらいい人。
しかし今回考えたいのが、このあとやはりというか。
それほど会話が続かなかったときにぽつりと僕の口から出た言葉である。
「ふうっ・・・、SM・・・か・・・」
よく、会話が途切れた時に「ふーん、そういうことね」や「なるほどねー」みたいに、蕎麦における小麦粉のような「つなぎ」を使うことがある。
そういうふうに、SMって使えるっけ。
「そういうふうに」使ってしまった瞬間、違和感を覚えたのである。
たとえば「ふー、あかぎれ、ね・・・」と口にすれば、それはそれまでの会話があかぎれの話題で、十中八九相手があかぎれで苦しんでいるわけである。
さりげなく「ちゃんと話聞いていたよ」とアピールも可能。
そして何よりも、「私にあかぎれのネタ、あったっけ」と話の継続を目的とした回顧が表現できている。
「ふうっ・・・、SMか・・・」
残念ながら僕の脳をほどいて紐状にし、薄い塩水ですすいでも回顧できるようなSM体験はない。
さらに気になるのが「SMにおいて、思い出し笑いみたいなものがあるのか」という点だ。
SMを回顧し、「あのときのろうそく、熱かったー」とか「私の生涯で最高のkk(※1)だったわ」など、ありうるのか。
これも分からなかった。
僕は、意図せず発したこの言葉に気になる点や不明点があることに感動した。
そしてすぐ相手に伝えたところ、「こいつは何を言っているんだ」という顔ではなく、あいまいに笑みを浮かべた。
やはり、いい人である。
※1
kk
亀甲縛りの略。
あくまで個人的な印象だが、縄のみしかない場合、この着用が一番防御力高そうな気がする。
ナオトのカタカナ語化力
このあいだテレビを見ていたら、こんなテロップが出ていた。
「ナオト・インティライミ、フェスでのルール」
もう、「での」もカタカナであってほしかった。
そんな気にさせる日常の一コマ。
しかし考えてみると、このような「もう少しでフラッシュ」という事柄は日々、頻出しているのではないか。
「ユースケ・サンタマリアってマジ仏」
あー頻出しないほう選んでしまった。
また、ご覧のように「仏」を「イム」と読ませようとしているあさはかさ。
ヨクナイ。
謎の手品用品ベスト10
謎の手品用品ベスト10
手抜きでやっています。
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手品商品ショップの店長さん内で回し読みされている。
「とりあえず仕入れてみたけど、これ何に使うんだろう」と思っている納品物が特集された雑誌を入手しました。
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「月刊 でっかくなっちゃった 11月号」
仕入れた店長が不思議がる!!
「これはいったい何の手品に使うんだ」ベスト10!!
10位
もう花束に変化済みのステッキ
9位
反対巻きなると
8位
穴を塞いだ模造50円
7位
UNO
6位
誰かのデスマスク
5位
開けた途端に閉じていくジッパー(120円/m)
4位
見た目がわさび風歯磨き粉
3位
青い血のり
2位
ペプシ入りコーラ
1位
手書きで円周率が書かれた写経用紙
UNOを使った手品を知りません。
器
ふとんのシーツがよじれていることで怒るような器の小さい人間ではなく、よじれが体に当たる事を気にせず寝られるような器の大きい人間でもないため、結果ちょうどの器の僕が来ましたよ。
これを1時間半遅れた飲み会で開口一番言おうと思っていたら、「よじれ」のところでかんでしまった。
忙しさであまり会話していなかったためか、「口の凝り」が出てしまったようだ。
もちろん、上記の抱腹絶倒ネタはその艶を失い、むしろ「そのとおりだね」と一蹴されてしまった。
まあそのあと僕の取り皿がなかったのが幸いしましたけど。