飛び出せ

このあいだ、テレビで「仕掛け絵本専門の本屋」のことをやっていた。
仕掛け絵本というのは、主に「飛び出す絵本」のことであり、小さいころお世話になった人は多いだろう。
現在は昔のよりもギミックが凝っており、子供だけでなく大人も楽しめるものであるそうだ。
ふーん。
ところで、気になったのは「仕掛けてはならない内容の本」についてだ。
例えば「三匹のこぶた」の話なら、各ぶたが建立した、わらだか煉瓦だかの家のギミックが作動して、大変よろしい。
しかし芥川龍之介の「羅生門」で仕掛けを考えたとき、どうすればいいのかとなると、どうも。
まず、何をギミックでおったてるかとなると、羅生門しかない。
そして、そもそも「絵本」、なじみ深い「文庫」「ハードカバー」どちらで出版すべきか。
耐久性としてできるのか、「文庫」「ハードカバー」での仕掛け。
問題は山積である。
そして、同様の問題を持つものは多い。
「バカの壁」
バカの壁を仕掛けるしかないだろうが、一体何なんだ。
そして立てていいのか「バカの壁」。
「火花」
花火か、熱海の全景を仕掛ける感じか。
熱海のパンフレットか何かだろうか。
このように、「仕掛けていいのか」ということは、ほぼ「その題材が絵本に向くのか」と同義である。
もちろん、仕掛けは「飛び出す」ことばかりではないが、「もう中学生」がやっているように、どうであれ「仕掛け」は何かのんびりした、絵本的な雰囲気を出してしまうものなのだ。
それは単に「本当にのんびりな内容」というだけでなく、「いやそれは飛び出さなくていいでしょ(羅生門、火花)」「抽象的なものなのに、物質として表現してしまう(バカの壁)」ということが、牧歌的であるわけだ。
さて、ここにきて、この意見に喝を入れられかねない事象を考える必要が生じた。
「サンデーモーニング」の例のアレについてである。
明日へ。

夜の晴れ

「夜は晴れです」という言葉に違和感を覚えてから、久しい。
これは結構、そう感じている人は多いみたいで、ググっても何か出てくる。
確かに、気象学的(?)に言えば空を覆っている雲の量で晴れやら曇りやらが決まるのだろうから、間違いではない。
しかし、どうしても「晴れ」というのは明るい、言い換えれば太陽が出ている雰囲気がふんだんなのである。
そしてその原因は「晴」という感じのへん、「日」にあることは明白で、夜に日は出ていない。
これは「夜の晴れ」を表す漢字がないという、漢字研究者の怠慢である。
まず、「夜の晴れ」を示す漢字を考えた時、やはり「晴」という漢字の構成を維持し、比較したい。
従って、へんとつくりの形で行きたい。
まず、へんは「月」で決まりだろう。
ところで、この「月」「つきへん」であるべきで、にくづきやふなづきではだめだ。
これは今知ったもので「期間」の「期」は「つきへん」であるのに対し、「肝臓」の「肝」は「にくづき」であるという。
詳しくは調べていただいた方がよいだろうが、ともかくここでは「つきへん」だ。
「夜の晴れを表す漢字の、月はにくづきです」
これでは、ちょっとエロくなってしまう。
次につくりだが、これは「晴」と同じ「青」でいいのではないか。
「黒」でもいい気がするが、よく見ると夜空は真っ黒ではなく、深い青だったり、雲が出ていれば緑っぽかったりと、なんか色ついてる。
ということでできた「つきへん」に「つくり青」の、「夜の晴れ」を表す漢字ができた。
近い将来、「晴」と同じJIS第1水準の漢字として、あなたのすぐ後ろに、現れるかもしれない・・・。

どのフラワー?

ときどき通る通り道に、フラワーショップがある。
「花屋ではなくフラワーショップ」。
「よつばと」の登場人物、ジャンボの実家も「フラワージャンボ」。
別にいいのだ。
しかし少し気になるのが、店員さんが呼び込み、「今日はフラワーが5本で安いですよ」というフレーズ。
以前も書いたかもしれないが、まず呼び込みだ。
花屋さんは、呼び込みは必要なのだろうか。
もちろん、「妻へのサプライズの花束」なるシチュエーションがありえない、などとは考えていないが、どうしても呼び込み行為というのは「へいらっしゃい」の印象が強くていけない。
それがフラワーと合わない気がするのだ。
そしてフラワー。
やはりフラワーショップではフラワーと言うべきなのだろうか。
花、ではいけないのか。
最後に5本。
えっ、あのフラワーが5本で安いの!?。
それはいいか。

だるま市

圧倒的季節外れで申し訳ないのだが、今年だか昨年かの三が日、だるま市に行ったことを思い出した。
そう遠くない場所でやっているのだ、だるま市が。
近頃、急を要する願掛けがないため、だるまを求めるというよりは、だるまの路上販売の感じや露店のお好み焼きなどを楽しむ目的だったのだが、買ってしまった。
その、ネコ型のだるまはなかなかかわいいが、以下の点でだるまとしてはどうなのか、よくわからない。
・もう黒目が入ってしまっている。
・お高い
・ネコの願いが叶うのではないか
・ドラえもんっぽくしただるま、結構売れるのではないか
今朝、いつものように玄関に置いてあるネコ型のだるま。
それを見てだるま市の事を思い出したのである。
それにしても「早急にだるまを要する」シーンというものはあるのだろうか。
まず思いつくのが選挙での、例の当選の時のあれだろう。
必ずではないかもしれないが、よくニュースで見かける、フラッシュでフラッシュするだるまを。
当選して、「だるま置き場」まであるのに、そこにだるまがない。
濡れた筆を持って途方に暮れる当選者なんて見たくない。
早急にだるまが必要なシーンである。
ところで、「だるま置き場」って吉田戦車の漫画になかったっけ。
あるいはだるま落としで、トップのだるまが見つからないときなどは、結構急ぎでだるまが必要な気がする。
ルンバやカーリングのストーンの上にだるまを置きたい衝動。
分かる。
早急に必要。
こう考えると、だるま市というのはその雰囲気だけでなく、ちゃんと需要と供給というものが案外成り立っているイベントなのかもしれない。
ところで、ネコのだるま。
最近ネコは注目されているため、ネコ型のだるまで当選を祝うなんてのはどうだ。
なんて思ったが、だめだ、目がもう入ってしまっている。
どこかの猫の願いが、叶ってしまっている。

カメラ撮り終わりました機能

シャッター音やフラッシュなど、ないことはないのだが、もうひと押し必要なのではないか。
よく見られるのが旅行中の集合写真で、地元の人などに撮ってもらうとき。
「あれ、撮れたかな?」
「あれ、もうシャッター押してくれたのかな?」
機械に疎かったり、フラッシュをつけなかったり、雑音でシャッター音が聞こえなかったときによくみられる、もやもや状態である。
現代社会において、ストレスと無縁の生活というものは皆無である。
あらゆる行動、人間関係が強弱あれどストレスを生み出す要因となっている。
また、ストレスがないこと自体がストレスになるなど、人間は必ずストレスにさらされながら生きているわけである。
そんな中でさらに、何をもやもやを増やしているのか、カメラのやろうは。
こないだ、アメトークという番組で「ノックすると電流が流れるボールペン」みたいなものをやっていた。
あれはどうだろうか。
すなわち、シャッターを押すと電流が流れる。
押した側は電流が流れることで確実にシャッターを押したことがわかる。
機械に疎い人でもわかりやすい。
一方、頼んだ側も、相手のリアクションでシャッターが押されたことがわかる。
フラッシュもシャッター音も必要ない。
この方法でポイントなのが倫理的な問題もさることながら「電流の流れるタイミング」だ。
シャッターを押した直後だと、何かぶれそうな気がするので、できれば少しだけ間をあけてから流れるべきだろう。
また、カメラは電流にも、地面に対しても頑丈でなければならない。
これらと、あとまあ倫理的なやつさえクリアすれば、なかなか良い機能ではないか。
それにしても、前述の「ノックすると電流の流れるボールペン」は、ちゃんとペン先は出ていたのかが気になる。
完全ないたずら道具であるはずだから、ペン先が出る必要はないだろう「ノックすると電流の流れるボールペン」。
もちろん、律儀にペン先が出ていたら、腹立つわけだが、同時に「ペン先を戻せば、電流は止まるのか」あるいは「ペン先を戻すときにも電流は流れるのか」など、仕様としてはなかなか面白いボールペンじゃないか。

404-2

続き。
【あらすじ】
「404エラーのセンチメンタルなシチュエーションと何よ?」について。
=====
1.
廃校が決まった中学校のHP
2.
バーチャルお墓参り
3.
おじいちゃんがインターネット接続の設定をしてくれてもしてくれても
ざっと考えてみると、何かセンチメンタルというよりは悲しい感じものが洗い出されてきた。
上記の例どれも、404エラーが発生すると何か悲しい。
もちろん、「好きだった人」関係を持ち出せばもう少しはおセンチが出そうではあるが。
もうおセンチはいいや。
ところで趣向は違うが、こういうのもいいんじゃないかと思うものもある。
「紙芝居の途中で404エラー」
分かりやすいものであるため、既にスケッチブックを所持した芸人さんの誰かがやっているかもしれず、そうだったらごめんなさい。
=====
「キジはきびだんごを手渡そうとする桃太郎に、少し目を伏せながらこう言いました」
404エラー
ページが見つかりません。
こんな感じ。
このとき、どうしてもこの紙芝居者は「けーんけーん」のシーンが描けなかったのである。
その代わりに用意した404エラーの紙。
切ない。
次の場面をめくるとき、つらそうに演じれば接続が危ないのかと、オーディエンスから声援がもらえるかもしれない。
一方、こんなタイミングでエラーが発生してしまう場合もある。
「こうして桃太郎は鬼を退治し、おじいさんとおばあさんのもとに帰ることができたのでした」
「404、404」
404のところは、紙芝居のラストを飾る例の「めでたし」の体で喋れば、いろいろ丸く収まるだろう。
ということで、それほど広げずに404の話は終わってしまった。
ただ、「紙芝居の途中で404エラー」の芸人さんがもしいるのだとしたら、ぜひ「その芸人さんをwikiで調べようとすると404エラー」であってほしいと思う秋の夕暮れであった。

404-1

昔では「封の開いていない手紙」や「メールボトル」。
最近では「アイシテルのサイン」や「別れた彼氏の歯ブラシ」など。
物質的な意味合い以上の意味を持ってしまった「ああ、そういうやつね」「なんかセンチメンタル」というアイテムに「404エラー」が採用されるのは近いんじゃないだろうか。
そんな気がした。
もちろんすでにJKの間で大人気の「404エラーにまつわるキュンキュン話」がすでに存在しているのかもしれないが、僕は知らん。
あったとしても個人的な経験以上のものはないのかもしれない。
ともかく、ちょっと青春な、若者特有の危うさやジュブナイル臭を感じ取ることができるのではないだろうか、「404エラー」は。
「404エラー」というのはインターネットをやっていると、時折見られる。
「サーバはあるけど、そのページ無いよ」というエラーで、Webサーバが教えてくれるものだ。
誰もが、URLの打ち間違いで見たことがあるだろう。
このエラーの、どこにセンチメンタルを感じるのだと考えると、やはり「以前はあったはずなのに、今は無い」という、完全に「思い出がいっぱい」の美味しい部分を網羅している点だろう。
「以前あったエロいサイトが見れなくなっている」
「新製品が出たためか、前のバージョンの製品のページが見つからない」
以前はあったはずなのに、今は無いもの。
栄枯盛衰、二度と戻れない日々、夏祭り。
文化祭、フォークダンス、図書室の相席。
2コンのマイク、預金、6人のころのKAT-TUN。
少しセンチメンタルと違うかもしれないが、要はこういうもの。
こういうものに、我々のメンタル部分は引っかき傷をつけられてしまう。
さらに、「大抵の人に経験がある」という点も捨て難い。
上記の例も、もう全員に経験あるでしょ?と問うて問題ないものばかりである。
どれ一つも琴線に引っかからない、という御仁はあなた、巌窟王か何かでしょうと言わざるを得無い。
あなた、ジョブ巌窟王か何かでしょうと言わざるを得無い。
次回、「じゃあ404エラーのセンチメンタルなシチュエーションと何よ?」について。

FEP

GDPとGNPの似方は常軌を逸している。
GDPは国内総生産で、GNPは国民総生産だそうで、ほらもう区別がつかない。
しかも「国内総生産」は「kokunai」ということで「n」が入っているが、GNPでないという覚えにくさ。
なんなんだ。
おそらく最初に英語があって、それを日本語に訳し、頭文字を並べたのだと思うが、気づかなかったのか。
「似ているから間違えそうじゃない?」と。
社会のテストのことを考慮したとしか思えん。
選択肢に「GDPとGNP」があるだけで、受験者の7割は鉛筆を転がすというし。
ファイヤーエキスパンダー!!
怒りのあまりファイヤーエキスパンダーが出てしまったが、私的にはもう「GNPはNが入っているが国内ではない方」などとひねくれた覚え方しかないと考えている。
ところで、この暗雲たる総生産事情に、ニューカマーが現れていたことが判明。
GNPの概念はなくなり、その代わりにGNIというものが導入されているとのことだ。
増やすなや!。
FEP!!。

賢い

うちには拾ってきたものやら買ってしまったのもやら。
猫がいる。
猫も集めてみると、様々な性格があって面白い。
のんびりだったり、嫉妬深かったり。
ところで、生き物にはそのような後天的っぽいものとは別に、先天的な気質というものがある、と言われている。
「ビーグルは猟犬として仕事ができるほど賢く、好奇心旺盛」
今、スッキリでやってた。
もちろんビーグルにも個性はあるだろうが、ビーグルの概要としては「賢く、好奇心旺盛」。
ちゃんと書くとさらに「4本足で恒温動物、目が顔面の前に2つついており」とかなり、そこはよしなに。
とにかくビーグルは、そのようなものだ。
ここで気になるのが「賢くない気質」の犬だ。
どのような確認で相対的な賢さがわかるのか。
難しいところだが、いるはずなのだ、「賢くない気質」の犬が。
「パグは賢くなく、しわしわ」
異論反論を恐れず言うと、「賢くない気質」はパグが似合うと思う。
「パグは賢くなく、しっぽの代わりにカールが付いている」
「パグは賢くなく、顔のひだにはヘソのゴマと同じ成分が含まれている」
「パグは賢くなく、口の届かない毛に洗濯バサミをつけると、面白い動きをする」
犬というのは人間との共生関係を長く続けているから、もう狩猟能力どうこうは関係ないだろう。
そして、それゆえにぬけている、アホがかわいいという向きも少なからず存在する。
狩猟能力が低く、アホ。
パグが適任ではないだろうか。
と、ここまでは当たり前のように犬種改良やその歴史。
パグの他のいいところをないがしろにしているわけであるが、そのような粗相もパグは許してくれる。
そんな気がパグにはするのだ。
飼ったことないが。

ホームラン

「特大ホームラン」という言葉を聞いて、どのくらい距離が出たら「特大になるのか」。
気になると同時に、「じゃあ特小ホームランとは何か」と考えたかったわけじゃ無いが、ひとつ言えるのは「特小ホームラン」には最小ラインがある、ということだ。
ある球場では外野席がホームベースから100メートルのところから始まるとすれば、「特小ホームラン」はおそらく100メートルと壁を越える分。
そのくらいの飛距離が最小ライン。
ひとつの球場であっても様々な「ホームランゾーン」があるだろうが、突き詰めたらその距離はあるひと距離にまとまるだろう。
一方で「特大ホームラン」は、可変だ。
打者の人間構造としての制約もあるだろうが、ちょこちょこ更新しうる余地が、「特大ホームラン」にはある。
今年の「特大ホームラン」は150メートルからだとして、100年後は155メートルだとしてもなんら不思議ではない。
そしてもちろん、200年後は145メートルでも問題無い。
なお、100年後は打法やバット、ボールの飛距離増大的改良(ボール直径がすでにバックスクリーン越えなど)、人体の飛躍的進化や偏西風ややませの恒常的な利用などが影響したのだろう。
ジェットエンジンを2基まで積んで良い、などのルールも生まれるかもしれない。
200年後は打法やバット、ボールの飛距離増大的改悪(振るとメロディーが流れるバット採用など)、人体の飛躍的劣化や偏西風ややませの恒常的な抵抗が影響したのだろう。
民家の窓を破るから、飛距離は145メートルまで、などのルールも生まれるかもしれない。
まあ、ホームランでありさえすればよいのである。
だが、「特小ホームラン」も広がりが無いわけではない。
例えば360度、全方向でホームラン可能というルールになったら、ピッチャーと逆方向へのホームラン飛距離をマイナスと考えることもでき、晴れて「特小ホームラン」も可変となる。
このように、ホームランの未来は明るい。
こりゃ、もしかしたら存命中に「衛星ホームラン」くらいは拝めるかも知れませんゾ!!。