昨日、教会の懺悔室について触れた。
簡潔に言うと「教会に懺悔室があった。」ということなのだが、それ以上でも以下でもない。
ところで、この懺悔室では、今回の旅行中において「あーもう、なんかいいよ!! ベスト3」にランクインするものがあった。
「かさたて」である。
懺悔室の横に、小学校で見られるような、四角い枠組みのかさたてが置いてあったのだ。
別にいいのだ。
雨が降っていれば傘を使用するし、その日は朝から夜だったこともあるのだ。
でも。
どうしても僕にいたらない点が多すぎるのだろうが、なんとも「懺悔室にかさたて」は気になる。
それは僕の持つ懺悔室イメージが原因だろう。
救済、不可侵、神聖、半落ち。
でも、かさたてのやろうが、それらのイメージと真っ向から衝突する。
神父「何か、お悩みでもあるのですか?」
男「はい・・・。一生かけてもつぐなえないような罪を犯してしまいました・・・。」
神父「あ、傘はかさたてがありますんで。」
男「あ、ども。それで、懺悔の方なんですけどね。」
あーもー!!。
やはり、懺悔をしなければならない人は家を出るときから100パーセント懺悔に集中しなくちゃ!!。
雨の日でも懺悔しなくてはならないようなことなんだから。
雨にうたれながら教会へ向かえ、うたれながら。
そして悲しげな表情で、神父さんをものうげ!!。
さすれば、懺悔度がよりアップするであろう。
だが、間違っているのは僕のイメージのほうであって、かさたてはもちろん、懺悔者にも問題はないのだ。
それなのに懺悔室を色々いぢってしまった。
懺悔しなくてはならないのは、僕のほう。
雨にうたれながら、向かうとしよう。
僕は雨の日でも傘をささないから、100パーセント集中できているはずだ。
追記
「物憂げ」の新しい使い方を生み出しました。