皮、あまっちゃいました

いまさらながら「甘栗むいちゃいました」という商品名はすばらしいと思う。
例えば、これが「甘栗むいてみました」だと、少々相手に「食べろよ」的な意図を感じさせてしまう。
※類似商品で既に「むいてみました」があったら、ごめん。
「甘栗ぬがせちゃいました」だと、なに考えてんだとなるし、
「甘栗加工しちゃいました」だと、そうだねとなる。
「甘栗にルカナンとなえちゃいました」だと、わかりづらいし、
「甘栗の皮について、北風ではなく太陽にたのんじゃいました」だと、さらにわかりづらい。
「甘栗たべちゃいました」だと、なんだが事後報告だ。
「白目むいちゃいました」だと、まずはむいたのは本人なのか、それとも別の人なのかを調査する必要があるし、
「一肌むいちゃいました」だと、人をおだてるのがうまそうだ。
もういい?。
とにかく、意図という点において「むいちゃいました」は「たまたま暇で手持ち無沙汰だったから、ついついむいちゃったんだけど」くらいの感じで、相手にどうこう強制していない。
そう。
「ついつい」がいい。
すごくいい。
ところで人によっては、「むいちゃいました」は「むいちゃったんだ。とりあえずテーブルの上に置いておくからね」くらいのニュアンスまでを感じさせるかもしれない。
ここまで感じてしまうと、相手をどうこう(まぁここでは食わせることだよね)する強制力生まれてしまう。
例えば相手とケンカし、仲直りムード矢先の段階での「むいちゃいました」は、「何かい。テーブルの上に置いておくから、食べろってのかい」というようなふうに取られてもしまいそうだ。
ただし、先ほども書いたように、僕はそういうものを感じない。
「むいちゃいました」はなんら意図を持たないし、周りに影響を与えようとしている言葉でもない。
そこらにある小石とように釈然と、ただ堂々と存在するだけ、という感じ。
彼らが商品棚に並んでいるのは、少し神々しかったりする。
食べたことないですが。

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