「視線」というものがあるのなら、視覚は唯一、出力もする感覚であるといえる。
「あの人の鼻線を感じる。」
確かに、鼻には穴が2箇所存在し、その闇が何かしらの出力をしているような気にならないでもないが、重要な点は「鼻線」で何かしら話が広がることはないということと、「何?、鼻に何か詰める話?。」的な感が否めないことである。
それでも強いてみると「あの人は私のにおいを嗅いでいる。その雰囲気を感じる。」という風か。
やだ。
ちなみに、この考え方でいくと「視線」は「あの人は私を見ている。それを感じる。」となる。
これは「何かを見る」という行為が、普遍的な行為以上の何かを持っていると人は信じている、ということに他ならない。
うーん。
でもこれは、別に視覚に限らなくてもいいんじゃないだろうか。
なので。
そんな行為を踏まえた「鼻線」だって存在してもよいはずだ。
「俺は、おまえに興味があるから嗅いでいるんだ!!。感じろ、俺の鼻線!!。」
やだ。
結局、「鼻」という器官は、「そういう扱い」の位置づけなのである。
何か、何かがやけにリアルで、露骨なのである。
この点について「鼻水」という粘液が、少なからずも位置づけに影響しているのは明白だろう。
明日へ。
SECRET: 0
PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
鼻線。
このアホっぽい響きがたまらんのです。