「雲泥の差」というのも「月とスッポン」というのも、「たで食う虫も好きずき」換算によっては真逆の意味になるから、注意したい。
泥よりも雲のほうが好きな人は多いだろう。
しかし人によっては泥大好き。
泥がないと土曜日が始まらない、という人がいないとは限らないのである。
確か、大元の意味は「泥→地」「雲→天」ということで、天と地ほどの差、だった気がする。
天が好きなお年寄りは多そうだが、地上でまだまだがんばりたい、というお年寄りも多い。
そういうことだ。
なぜお年寄りを持ち出したのかは内緒にしておくが、この注意点は「ただ、距離が離れている」という解釈で解決できる気もする。
とにかく、「雲と泥」「天と地」くらいに、距離が離れている。
ただ、どっちがどっちにあるのかはわからない。
そういう考え方。
「川越シェフのスイーツと、30%引きシールの貼られたコンビニスイーツは、雲泥の差だ」
川越シェフのスイーツが好きな人も入れば、30%引きシールの貼られたコンビニスイーツが好きな人もいる。
賞味期限の関係から、ときどき川越シェフ監修スイーツに30%引きシールが貼られていたりしてわけがわからなくなるが、ともかくこれらには何か絶対的な「距離」があるのだ。
そういうことだけ、どちらが優れているなどは考慮しない、という考え方なら、もう少し油断しながらでもこの言葉は使用できるようになるだろう。
「月とスッポン」も同じだ。
ただ、距離が離れているだけなのだ。
となると、この言葉を最初に作った人は「月にはスッポンが生息していない」ことがわかっていたわけで、その点、えらい。