昨日、ユーキャンの講座を見ていたら「古武術介護」というものがあった。
介護というのは人の体を持ち上げたりするため、力が必要である。
古武術から、その力が少なくても済むようなコツを得られたのだろう。
「古武術介護」とは、介護の場面において、介護者と利用者双方の負担を減らす方法を講義してくれるに違いない。
しかし「古武術介護」という言葉を、ミスマッチ方面の感覚を尖らせてから再確認してみると、よくない想像もできる。それが人間。
「車いすの人を守りつつも、その車いすで悪を討つ」
すごいテクニックである。
確かジャッキーチェンが映画でやっていなかっただろうか「古武術介護」。
車いすの人がすぽーんってならないところが、みそ。
そして、ミスマッチ方面の散策は、そもそも「何か」と「介護」があわさると面白そうだということを我々に気づかせる。
「ぶらさがり介護」
もともとの発想は「ぶらさがり健康法」である。
これは以前触れたことがあるため、正直違う健康法を採用したかった。
しかし、他に汎用的な「健康法」が見つからなかったため、ぶらさがりで勘弁していただきたい。
さて、当初の発想を踏まえてみても「ぶらさがり介護」は不明な点がある。
それはお年寄り(今回は便宜上、介護される人を一律お年寄りとさせていただく)がぶら下がっているのか、介護者がぶらさがっているのか、という点。
前者なら、「ぶらさがり介護」はぶらさがり健康法を行いたいお年寄りの補助をすることである。
一方後者なら、介護者がぶらさがっていることが何らかの形で、お年寄りの介護となっているということである。
一見、後者はむずかしい。
しかし「あの介護者がぶらさがっているときの面白さは異常だ」などの能力を持っているとすると、ぶらさがることでメンタルケアを全方位に発動できるのかもしれない。
そう考えると、後者もあなどれない介護方法である。
また「ぶらさがり介護」は、なんだか天下り的なニュアンスも持つ。
介護と銘打ってはいるが、その実際は他リソースへの丸投げ。
結構適当だった「ぶらさがり介護」は、なかなか奥深かった。
やっと眠いので、次回。