昨日はわかんないと言いすぎたので、今日は素直に感じたことを書きます。
二科展が行われた東京美術館では、作品がB2?F2くらいにわたって展示されていました。
絵が展示されているところは、通路のところどころがくびれてちょっとした小部屋が連なったような感じで、その通路の壁に多くの作品が。
感じたのは、その数の多さ。
それは壮大で面白いものでしたが、同時に多くの絵の中では埋もれてしまうような絵もありました。
多数の展示に強い画法とかあるんでしょうか?。
それでも歩いているだけで何だか楽しい。
そしてまた気付きました。
作品名と名前の入った名札、じゃま。
作品名はいいとしても、名前は要らないんじゃないかと思った。
・・・やっぱり、いるよね。
そうだよね変な事言ったごめん・・・。
こうして絵を見ていると、作品の意図みたいなものが分かるときがあります。
昨日も書いたように、芸術は分からないのですが、「明らかにコレは意識してる」といったものに出会います。
そしてまた気付きました。
少なくとも僕は何かを絵から感じる前に、そのような意図が分かってしまった(ように思えた)ら、もう恥ずかしくて絵が見れません。
「意図まるだしやん!!」とか思っちゃったりします。
芸術と意図は相反するものなのかもしれません。
・・・僕だめだね。
そうだよね変な事言ったごめん・・・。
会場を階段で行き来していたら、疲れました。
でも、また気付きました。
作品には申し訳ないのですが、その美術館の備品がなんとも面白く見えてきたんです。
何だか分からないけど壁の高いところに吊るされた鎖。
いつもは見慣れた非常灯の緑の人。
等間隔に並んだコンセント。
作品に負けないくらいの存在感がありました。
なにか感じようとすれば、なんでもそんな風に感じることができるのかもしれません。
しかし、上記のメランコリニスタな気分は、おばちゃん連隊により真空パックされてしまいました。
おばちゃん伍長が言いました。
「これ、これ。工藤静香の絵だわよ!!。」
群がるおばちゃんレギオン。
はなはだ迷惑。
しかし、僕が許せなかったのは自分自身でした。
「工藤静香」という言葉を聴いてしまったがために、その絵だけは「工藤静香」フィルタのかかった目で見てしまったのです。
僕の「工藤静香」である部分がそうさせてしまったのでしょうか?。
それともその絵が「工藤静香」をかもしたのでしょうか?。
絵は「工藤静香」でした。
このような先入観は、あまり面白くありません。
そして、もしかしたら今でもフィルタがかかっているかもとか考えてしまいます。
皆さん。
美術館はお静香に。
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まるで前号の俺のコメントを踏襲したような流れ。
オソレイッタ。
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意図と芸術は裏表の存在で、相反するものではないと思うよ。
ハイパーズゴックキャノンのフォルムににじみ出ているね。
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あまりに相反しそうな2センテンス!!。
それにしても、あまりにパーフェクトズゴックキャノン(だよね?)なので、今日のブログは、それについて触れてみることにします。