「うた占い」というのはないのかと調べてみると、それはあるらしいのである。
しかしいまいちどういうのか、分からない。
僕が「うた占い」というものをイメージしたとき、まず思いつくのは「マル・マル・モリ・モリ!が好きなあなたは、子供っぽい所があるけれどがんばり屋で、周囲を明るくする素質も持っています」というようなやつだった。
一方、例えば「血液型占い」における「A型の人、きちょうめん」のような。
占いは少なくとも見た目では、当人の先天的素質と後天的素質とが結びついてしまっては、ありがたみが半減すると思う。
「A型という血液型と、きちょうめんという性格は、一見何の関係もない。しかし占いによるとそうらしいのだ」
ほんとかどうか、竹内久美子氏に聞いてみるべきか。
その是非はともかく、そうなるとイメージしていた「うた占い」の内容は、他の類似の占いよりも、さらにもう一歩「当人の先天的素質と後天的素質が結びついてしまっている」ような気がする。
「子供っぽい所があるけれどがんばり屋だという性格と、マル・マル・モリ・モリ!が好きなことは、超関係ありそう」
確かにその定義もここでは曖昧ではあるが、これでは占いというよりも「そりゃそうだよね」だ。
厳かに「そりゃそうだよね」を聞きたくはない。
水晶を前に、口元をベールで隠した爪の長いアラビアンレディから「そりゃそうだよね」を聞きたくない。
水晶を前に、口元をベールで隠した爪の長いアラビアンレディから「お父さんはなくなって、いませんね」と聞きたくない。
もちろん本当に「うた占い」というものがあって、それが「マル・マル・モリ・モリ!が好きなあなたは、経済面の才能があるため、事務系の仕事に向いています。また、生物学的に酸性雨に強い」なんてなると、人間だもの。
その意外性が信憑性を高める。
占いが介在することにより、隠された本当が見えてきたのだ、と。
そう考えると「うた占い」の存在価値はどうしても意外な結果というものを要求されがちであり、かなりシビアな所にあると言える。
それは「うた」というものには、占いなど曖昧なものを隠しておけるスペースはない、ということでもある。