昔は遊び道具は自分で作った。

昔は遊び道具は自分で作った。
そういって悲しそうな笑みを浮かべる人もいるだろう。
その笑みが「今はなんでもあるから、そんなことしないだろう」というものに起因するのなら、遊びざかりの子供たちの周りに「お手軽お遊び」を与えていない大人たちに責任があるのではないだろうか。
あるいはそんな心配自体が無意味かもしれない。
将来は「昔はよくプログラム作ってゲームしたっけな」
さらに将来は「昔はよくFXで小遣い稼いでたっけな」
最近は「調子の悪いプレイステーションは立てて起動すると読むことがあったっけな」
ところで、実は子供はいつだって遊び道具は自分で作っている。
誰でも覚えがあるはずだ。
自分ルールというものを。
いつか書いたかもしれないが、僕は「前の自転車にライトを当てて反射板を光らせると1点」であり、「マンホールを踏むと1点」という自転車時のルールがあった。
四角いマンホールは4点。
床の木目が迷路になったことのある人もいるだろうし、棒状の植物と空き缶があれば相応の球技が誕生するだろう。
そういった点では、昔と今で違うのは「より面白い遊びへ更新される頻度が高い」という点だ。
その結果「自分では作れないものに更新されてしまう」ことが多いわけだ。
ただし「自分で作れるものに更新される」ことがないわけではない。
それは、大人に粘土を与えればわかる。
けっこう、持つのである。
累計30000点目を軽自動車で獲得する、ファンファーレはエンジン音に消えて。
今粘土がないので、こんな感じ。

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