これでも相応の年齢なので、道路にチョークで落書きをしたことがある。
私道に近い、ほとんど車のやってこない道路で「なかあて」をするとき。
消えやすく、子供ながらにゲームの進行を妨げる可能性のあるなあと感じさせる「そこらにある石による線ひき」。
これに対してチョークの所持というのは「お前さいこーだよ!!」と友達に思わせるものであった。
どうなのだろう。
ちゃんと道路にらくがきしているのだろうか、子全般。
「けんけんぱ」の形跡をかろうじて読み取れる路面も、ずいぶんと見ていないような気がする。
何が道路に書いてあったら、僕は感慨深い気分に、ジュブナイルに、ノスタルジーに、うさぎを追った気分になるだろう。
幼少のころは純粋だったから、「死体のあと」みたいなものすら書かなかった。
今はちょっと違う。
「なんやもうちょいうまいこと書いたらええのに」
内心はけっこう悪いやつだ。
・半径50cmくらいの円の中に「バリア」と書いてある。
これはかなりいい。ぐっとくる。
おそらく子供たちはなんらかの遊びを考案したのである。
その遊びの中で、キーとなる領域なのだろうバリア。
いろいろ想像できて面白い。
・金相場
これもかなりいい。ぐっとくる。
誰が見るとも知れず、しかしこれを用意した彼は、なかなかのセンスと思う。
グラム単位での金額により、肉などではなく金であると推測させる「遊び」も備えている。
ちょっと乱暴に書くと、よりよい気がする。
・携帯電話
これもだ。いい。
おそらく憧れているのである。
はやく手に入れたいのである。
しかしまだよと、親に止められている。
手に入らないものを落書く。
当事者はともかく、手に入らないものがある人というのは、なかなかどうして。
と、ここまできて、なんとなくひとつの結論が出ました。
道路に線を書くことは、遊びみたいなものなのである。