「決定的瞬間」という言葉が使われたとき、それはおまえどんだけハードル上げてんのか分かってんのか、と言いたくなるくらいである。
ただ、上がる分くぐりやすくもなるわけで、その点よろしい。
先日、先を歩いていた女性の目の前に、いきなりさやえんどうが落ちてきたところを目撃した。
まわりにさやえんどうに関するものはなく、あるとすれば近隣マンションのベランダから落ちてきた、家庭菜園さやえんどうだろうか。
僕は女性の動向に釘付けとなった。
というのも、これは主観が入るのだが「さやえんどう」というのはだいぶ昔からそのゆるさが着目され、何かといじられてきた歴史を持つ。
それが目の前に落ちてきた。
さて、どうするんだい。
ある意志が介入してきたとしか思えないシチュエーションである。
さて、どうするんだい。
残念ながら、というか当然だが、女性は何事もなく、あるいは気づきもせず、歩いていってしまった。
回答のひとつである。
だから僕もそれにならい、気づかないふりをして、歩いていってしまった。