ボーリングが苦手だ、という人の話は多い。
まず、機材をそろえるのがたいへん。
そして規模が分からない。
目的も分からない。
調査目的なのか、石油なのか。
よし!!。
ということでよく言われるのが「仲間ときゃっきゃ」の部分だ。
一投してストライクなんか取った日には、戻り際にハイタッチ。
あれが困るというのだ。
確かに、ボーリングは明確な競争相手がいない場合も多い。
そんな中、チーム内で盛り上がるしかないのである。
ただ、この「仲間ときゃっきゃ」が苦手という話は、少々聞かされすぎている気がする。
苦手なのは分かる。
しかし、人間関係というものは案外、どんな人であれ苦手な部分があると思う。
「三度のメシよりコミュニケーションが好きでね」
そんな人はあまりいない。
もしいたとしても、上記のフレーズは信用できないし、何か卑猥な感じすらする。
ちょっと冒頭の方の「ボーリング」を持ち出してもいいかもしれない。
ともかく、実は人々が思っている以上に「仲間ときゃっきゃ」は、つらいのである。
そんななのだから、「仲間ときゃっきゃ」が苦手というのはもう「自分は人間です」みたいなものだ。
人間の、共通部分だ。
「自分は人間です」
「自分は呼吸をして生きています」
「自分は球をおもいっきし曲げて投げる人の、投げ終わったときの姿勢に興味があります」
「自分は拍手を、音量を重視して少し角度を付けて手のひらで音を出すようにします」
「自分はスイートポテトはもう少しカロリーが低ければな、と思います」