僕の中では、僕が適量を知らないというのは結構有名な話で、それは、大盛りを頼んで大盛られた分の量を残すという、居酒屋で面白い事を一生懸命喋ろうとしている人の口からよく聞かれる性質のことである。
もちろん当初から残すつもりではなく、完食できる自信があるから注文する訳だが、失速が早い。
満腹というのはすごくて、一度それを味わったら最後、もう最初の頃には戻れない。
各駅停車である。
マリオカートにもそれに近いキャラクタがいるのではないだろうか、「スタートダッシュは早いんだけど・・・」
僕は、結構マリオカートが嫌いで、それは「一発逆転が強すぎる」らしいから。
そもそもあまりやった事がないのだが、その少ない経験を紐といていくと、僕にとってマリオカートは足の引っぱり合いいやタイヤの引っぱり合いである。
通常、タイヤの引っぱり合いと言うと、「力自慢がギネスに挑戦」的なものだろうが、こちらはただ、先をゆく者の邪魔をして勝つという、もうそれは実社会のほうだけでお腹いっぱいの現実路線。
それをわざわざゲームでやる事に違和感を覚える。
まあ、この手の「罠の張り合い」というのが対人ゲームですごく面白いのは認める。
ただ、マリオカートだと戦略や試行錯誤の末のやりとりの楽しさというものがなく、なんか理不尽な気がしてならない。
「ゴール直前で赤い甲羅が飛んできて、びり」
何なんだよ赤い甲羅。
大人だったらまあゲームだし、とかなるが、変な小学生だったらこの赤い甲羅で2週間絶交くらいの事象は起きているに違いない。
となると、最近の卒業文集や同窓会って「あのときの赤い甲羅、ごめんな」っていう話題ばかりだったりするのだろうか。