リンケージ、ミネラル。

ジェネレーションギャップというものを恐れなければ、僕らにとってミネラルとは麦茶の事で、むしろ摂取方法が麦茶しかないなんて思っていたりもして、なんてテレビの影響力はすごいんだ。
ただし、僕はミネラルについてはもうひとつ思い出される事があって、それは主に妊婦さんで知られる異食症についてだ。
何かの本で読んだ事のある、普通は食わないものを食う異常な症状だが、妊婦さんのは赤ちゃん分が差し引かれてしまうのか。
鉄分が足らなくなるのが原因らしい。
そんな異食症、「昔、妊婦さんが土でできた壁を食いまくる」というかなり衝撃的な事例を読んだとき、かなり強く刷り込まれてしまった。
今でこそ異食症は知られているからいいが、昔は突然壁を食い出す妻を見て、ダンナはどう思ったのだろうか。
「シロアリの霊が取り憑いた」
7割はそう思ったのではないか。
ともかく、なぜミネラルで異食症のことを思い出すのかというと、まあ土壁からはミネラルたくさん取れそうだよね、ということでして。

リンケージ、しょっぱい。

僕はうめぼしがあまり得意ではなく、それは単にしょっぱすぎるというのだけが原因だ。
あれはもう、薬剤師の免許を持っている人が隔離された場所で扱うレベルのものだよ。
でもなぜか日本ではおにぎりや白いご飯に対するアクセサリとしては上位にいる。
故に食卓にのぼる機会も多い。
確かに見た目はいいのだ。
梅肉のやわらかいものなんて、確かにほぐしたくなる。
しかし舌を塩蔵する勢いの塩からさ。
健康にもよくないのではないか。
ということで何となくうめぼしでいいことを考えると、こうなった。
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小さい頃、近くには梅林がたくさんあった。
そこには収穫されないような青梅がたくさん落ちていて、それを拾ってはよく同級生に投げつけていたものだ。
ある日、いつものように青梅を拾って標的を探していると、「ちゅろし」がこっちに歩いてきているのが見えた。
「ちゅろし」は僕よりひとつ年下で、おどおどした雰囲気がかわいい。
要はいじりやすいタイプなのだ。
僕は当たらないように、しかし「ちゅろし」の近くを通るように、思いっきり青梅を投げつけた。
それは、いつもの光景だった。
青梅が「ちゅろし」めがけて飛んでいく。
しかしおかしい。
いつまでも青梅が飛んでいる。
とうに「ちゅろし」を過ぎても飛んでいる。
そのまま見えなくなってしまった。
僕はばつが悪くなり、何が起きたか分かっていない「ちゅろし」と一緒に帰った。
15年後、突然「ちゅろし」から電話があった。
こないだ、面白い事があったんだよ。
ご飯食べてたら、「好き」って刻まれたうめぼしがひとつ落ちてきたんだ。
僕はこの電話で全てを把握した。
まず、僕が15年前に「ちゅろし」に向かって投げた青梅は何らかの理由で重力の束縛から抜け軌道上にのった。
そして地球を見下ろしながら15年間、以下のようなことが何らかの理由で起きたのだろう。
・ほどよい水分の除去
・塩分に相当するミネラルの付加
そして15年後、何らかの理由で軌道からはずれ、地球に落下してきたのだ。
さらにそこから「ちゅろし」のご飯の上に落ちてくるまでのあいだ、大気に潜む粒子など、何らかの理由でうめぼしに傷がついたのだろう。
それが、何らかの理由で「ちゅろし」の家へ。
何からの理由で屋外で白米を食べようとしていた「ちゅろし」へ。
それにしても今になって「ちゅろし」のもとにあの梅が届くとはね。
「ちゅろし」は僕の初恋の人だった。
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本当、こうなったんだよねー。

リンケージ、錬金術。

科学の発展を語る上で、戦争と並ぶほどに「錬金術」というものは重要らしい。
それはFFのエリクサーと呼ばれる全快アイテムがそこに端を発しているということからも分かる。
ごめん分からない。
ともかく手法や器材など、錬金を目指していろいろやったことが結果的には近代科学の礎のひとつになったのだろう。
さて、僕にとって「錬金術」というのを考えた時、せいぜい出てくるのは「ハガレン」。
といいたいところなのだが、残念ながら僕は漫画アニメどちらにしても「鋼の錬金術師」に接した事がない。
こんなことなら読んでおけば良かった。
ということで出てくるのは「わらしべ長者」というイメージだ。
その、「しょっぱいもの」から「いいもの」を産み出そうという過程が彷彿とさせるのだろう。
じゃあ、さっそく置き換えてみよう。
鋼のわらしべ長者
これから受けるイメージは、「ノーリスクで品物をさばいていく、堅実かつ狡猾なやり手」という感じであるが、いかがだろうか。
ハガワラ
これから受けるイメージは、「ぎりぎり名字なのではないか」という感じであるが、いかがだろうか。

リンケージ、大理石。

大理石だったかどうかはいきなり分からないのだが、コールドストーンというアイス屋さんは冷やした石板の上でアイスやトッピングのナッツ、ケーキなどをこねくり回しておいしくするという、ある意味錬金術のようなことをしでかす。
アイスとケーキと多少の空気と歌声の混じったそれは、確かにおいしい。
だが、このアイスを食べるとき、そのおいしさが全てを網羅したおいしさではないことの気づく。
コンビニで売っている100円のアイスもおいしいのだ。
こうなると僕のアイスに対するおいしさの閾値が低いのではという気もするが、一方で同意見だと言う人も多いのではないか。
「ガリガリ君はガリガリ部分よりもそれをコーティングしているサクサク箇所の方がおいしい」
これじゃなくて「こねくり回した方と100円の方のアイスは、おいしさの方向が違う」という点。
「雪見だいふくの、餅部分を甘くした開発陣には頭の下がる思いだ」
これじゃなくて、おいしさというのは拮抗しなくても両立できる事もあるのだという点。
「pinoは、量的にはざんねんな気がする」
これじゃなくて、正直コールドストーンのアイスをまだ食べた事がないかもしれない点。

リンケージ、灰皿。

副流煙を嗅ぐのは好きだが、タバコを吸わない僕にとって、灰皿はそれほど親しみのあるものではない。
タバコを吸う人とご飯を食べていても灰皿を相手に促す事にも気づかないし、そもそも禁煙席、喫煙席というのを意識することもない。
街角のどこの路上に灰皿ゾーンがあるかも興味はなく、憤りのあまりに鈍器を探すとしても、それはたいてい大理石の灰皿ではない。
相手を威嚇するために両手に灰皿を持ち、頭を交互に殴打する事もなければ、この事を書くために島木譲二を調べたところ「持ちネタがかなり多いが、特別面白いというわけではなく」とあり、なんだお前に島木譲二の何が分かるんだと憤然たる思いが生じるわけでもない。
猫を飼っているからか、うちの灰皿は青銅製の重たいもので、ひっくり返される事もなければそこにたくさん灰が溜まっていたとしても特に捨てるという行動に結びつかない。
ハードなスケジュールをこなしたあと、夜景を見ながら屋上で一服ということもなければ、好きだった女の子がタバコを吸っていたから携帯灰皿だけ持ち歩いてたということはないわけでもないので、まあ。

リンケージ、UFOキャッチャー。

僕は昔から「幽霊、いる?いない?」みたいな本が好きで、「化学のふしぎ」「偉人のれきし」「おりがみ大百科」と同系列の出版物に「幽霊、いる?いない?」のあることがことさら気に入っていた。
子供とはいえ「偉人、いる?いない?」というのは何かおかしいと思っていたから、それを考えると偉人はいるんだな、と考える。
そして一方で「幽霊のれきし」というのも何か、えっ、もういるっていう感じに世間はなってるんだっけ、と考える。
よって「偉人のれきし」も「幽霊、いる?いない?」も誠に正しいタイトルで、タイトルを疑ってかかっていた幼少の頃の僕の明晰さには驚くばかりである。
という感じで、児童館では幽霊やらUMA的なものやらそういうものを、実際近くにいたら困るとか考えながら読んでいた。
さて、その「同系列の出版物」には確か「UFO」の本があったように思う。
内容は様々なUFOの目撃例が漫画で紹介、有名どころの写真も掲載されていた。
今でも正直気持ち悪いと思う「フラットウッズの宇宙人」も書いてあって、そのインパクトは、こうインターネットで調べなくてもうちにある本で「フラットウッズの宇宙人」を調べる事ができる今の環境を築かせた。
その本のなかに、ことさら印象深い事件が掲載されていた。
それは虫を取りにいった少年が銀色の小さい飛行物体を捕まえたという事例である。
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その日、火野正平(仮名)少年は虫取り網とカゴを持って草むらへ向かった。
あらかたその草むらの虫を駆逐し、さて帰ろうかというとき、銀色の灰皿のようなものが地面に置かれているのに気づいた。
それは少し浮いているようで、興味を持った少年は虫取り網を振りかざし、その物体を捕獲する事に成功。
物体を観察してみると裏側にある隙間から、ぎっしりと機械が詰まっていることがわかった。
カゴに入らなかったので袋かなにかにいれ、それを手首に巻いて自転車乗っていた時、すごい力で手首が引っぱられて転倒。
慌てて袋の中を確認すると、その物体はなかったという。
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世にも珍しい、UFOキャッチャーの話である。

リンケージ、カレー。

多少は包丁を扱える。
ここではもちろん「にんじんを切る」だとか「じゃがいもの皮をむく」という意味での扱えるだが、考えてみると「扱える」という言葉では少々範囲が広過ぎる。
こちらが意図しない内容も「扱えてんでしょ?」と思われなくもない。
「UFOキャッチャーの500円を入れる方の穴には、500円が入ったかどうかを判定できるでっぱりがあり、それは包丁の先にも反応する」
本来こんな機構はないと思われるが、とにかくこうだとしよう。
そのとき、店員さんの目を盗んで包丁を500円の穴に突き立てること。
これは「扱える」という言葉の範疇に含めていいのか。
少なくとも、「カレー」と銘打った話の中での包丁の「扱い方」としてはふさわしくないのではないか。
そしてそんな機構がなくとも、単に「UFOキャッチャーの500円の穴に包丁を突き立てる」こと自体がもう異常。
その場にいたら、UFOキャッチャーにそういう機構がないわけであるが、どうせならあってほしい。
親のかたきがUFOキャッチャーの500円の穴に逃げ込んだことを子供の時見たにちがいない。
そのくらいに思う。
異常な行動というのは、何か理由づけされれば少しは安心できる部分があるから。
ということで何がいいたいかというと、僕は「規定量の1.5倍くらい多めにカレールーを入れるとおいしい」って思ってること。

リンケージ、キャンプ。

町内のイベントなどにキャンプというものがあったが、僕は小さい頃からあれは嫌いだった。
とにかく、話す事がないのだ。
今でもだが、そういう事については僕は子供のままで、どうも相手のことを思う気持ちというものが足らない。
幼少時は何も喋らず、今ではすごく喋りすぎ。
最近の僕を見るものの幾人かは「nimbusさんがずっと喋っていて終わった」という、思い返すと申し訳ないという言葉しか浮かばない飲み会であったり、「身のない話をするところには高得点を付けねばならぬ」といったあまりうれしくない評価。
どちらであったとしても、キャンプのあの「テントの設置などの時間が終わって一段落付いたときの感じ」には合わない性格である。
しかも、いるのだ、キャンプには。
はりきっちゃうやつが。
そういう人がいると、彼に仕事をゆずるべきなのか追随していくべきなのか。
あるいはまったく違う事を効率的にやるべきなのか。
これが全然分かんない。
一度、みんなでカレーを作っているときに僕は「川辺に石を並べて小さい池を作る」仕事をしていたが、これはあまり評価を得られなかった。
むしろ遊んでいたと思われていた。
それについて否定はしないが、一方でそんなにカレーにみんな一斉に向き合わなくてもいいのに、と池を作りながら思っていた。
俺は池を作り、その中にアメンボを投入したのだ。
ほらみんな、カレーもいいが池もどうだい?。
特に苦手なのが「異性がいるからはりきっちゃうやつ」で、そういう人がいると「その方面は彼に任せておくか」と川に大きな石を投げてどれだけ水を高く跳ねさせることができるかをやる仕事をやってしまい、これは生物として僕はよくない。
異性がいるのならはりきるべきなのだが、僕にしてみれば川が近くにあるというのはなかなか魅力的で、石をひっくり返して変な虫がぞわぞわ石の裏を這うところも見てみたくなるもの。
ほらみんな、異性もいいが変な虫もどうだい?。
そういえば国連食糧農業機関(FAO)というところが最近(現在20130520)、昆虫食を勧める見解を示していた。
そして結構最近でも、僕自身が「変な虫がいるからはりきっちゃうやつ」であるらしいことを思い出した。

リンケージ、呪う。

何かを呪うということは一見、許しがたい卑劣な行為であるが、程度によってはどんな人でも日常的に呪ってしまっているのではないか。
「えっ、今みんなキャンプ行ってんの?」
もう耳を塞ぎたくなる人がいるかも知れないが、これである。
「えっ、今みんなキャンプ行ってんの?」
誰しも昔経験した、あの感じの事象である。
こんな経験はした事ないという人を、僕はあまり好かない。
さて、このとき「なんだよー僕も誘ってけよー」という感情を「呪っている」と感じる人は少ないだろう。
しかし考えようによっては「自分を呪っている」という点で、呪うことは行われている。
なんで俺はキャンプに必要な、あるいは誘いたくなるスキルがないのだろうか。
確かに、自分を呪うくらいしかない。
一方で、「あいつらなんか」という負の感情を持つ人もいるだろう。
単にそれを直接的な行動に移さない限りは、他人との関係に不具合が生じるとも思えず、どこかしらでそんな考えは発生してもおかしくはない。
ただ、先ほどの「自分を呪う」というやつに比べるとだいぶ「呪い」っぽくていい。
もっと真っ向に「あーもう呪う!!」という人もいるだろうか。
キャンプで火種をなかなか見つけさせない呪いなどは、この場合実用性が高そうだが、やはりそんなことで人を呪うのはどうか。
人を呪わば穴二つというはひとつは自分の墓穴のことらしい。
火種を見つけにくくした呪いの代わりに、自分には「永遠に耳かきのカーブがフィットしない」という呪いであるかもしれず、これはあまりに差がありすぎるが、どこかにいるだろう「呪いマイスター」としてはどちらも呪いであることに変わりはないと判断するだろう。
多少なりとも呪うというのは止めておいた方がよさそうだ。
僕はどこかで粗相をしたのか。
耳かきのカーブの点について「以前書いた事を忘れてしまってまた書く」という呪いがかかっている模様。

リンケージ、ラムネ。

何度も書いているため恐縮だが、僕はラムネが好物で、与えられたら与えられた分だけ食べてしまう。
それゆえ数多の種類があるラムネにはうるさい。
さて、諸君はあの駄菓子、ラムネごときに「うるさくなる」要素などどれほどあるんだと、そのカラカラ鳴る頭をかしげている事だろう。
当方空洞の頭の中に「カラカラ鳴らす」物すらない者だが、その要素の意見に同意見。
ラムネにそんなたくさんの要素を見出すのは普通、必要ではない。
ただ、ない訳ではない。
これも以前書いたと思うが、主に食感。
特に水分に溶けるさまについてはラムネの種類によって結構違う。
それは僕にとって「ラムネにうるさくなる」、数少ない要素のひとつである。
そんなラムネ会社に表彰されてもいいと思っている僕だが、最近気になるのは「歯が痛いような気がする」という人類にとって避ける事のできない事件の予兆についてだ。
ラムネの食い過ぎで歯が溶けてしまっている気がする。
ラムネにはあるのだ。
「何か酸っぽいから、何かを溶かしていそうだ」という面が。
多少溶けるのなら、むしろ歯がぎざぎざになり肉を挽きちぎりやすいという面で有益かも知れないという、超ポジティブシンキングもありえる。
しかし実際に歯が痛くなっては、ただラムネとそればかり食べてきた僕と、表彰してくれたラムネ会社を呪うばかりになってしまう。
それではいけないので、ちゃんと歯磨きをしよう。
ラムネも控えよう。
ちょうど昨日、業務用のラムネの一袋がなくなったのだ。