大理石だったかどうかはいきなり分からないのだが、コールドストーンというアイス屋さんは冷やした石板の上でアイスやトッピングのナッツ、ケーキなどをこねくり回しておいしくするという、ある意味錬金術のようなことをしでかす。
アイスとケーキと多少の空気と歌声の混じったそれは、確かにおいしい。
だが、このアイスを食べるとき、そのおいしさが全てを網羅したおいしさではないことの気づく。
コンビニで売っている100円のアイスもおいしいのだ。
こうなると僕のアイスに対するおいしさの閾値が低いのではという気もするが、一方で同意見だと言う人も多いのではないか。
「ガリガリ君はガリガリ部分よりもそれをコーティングしているサクサク箇所の方がおいしい」
これじゃなくて「こねくり回した方と100円の方のアイスは、おいしさの方向が違う」という点。
「雪見だいふくの、餅部分を甘くした開発陣には頭の下がる思いだ」
これじゃなくて、おいしさというのは拮抗しなくても両立できる事もあるのだという点。
「pinoは、量的にはざんねんな気がする」
これじゃなくて、正直コールドストーンのアイスをまだ食べた事がないかもしれない点。