昔読んだ本をまた読みたいのだが、タイトルが分からない。
こういうのはたいがいの人にあるだろうが、対象の本によっては救われる可能性もあろう。
「タイトルは分からないが、桃太郎が猿と犬とキジを連れて鬼退治に行く」
確実に桃太郎の鬼退治の話で、タイトルは覚えてなくても比較的速やかに目的の本にたどり着く。
みんなが知っている本であればあるほど、タイトルさらには内容も覚えてなかったとしても見つけやすいのだ。
上記桃太郎だって、「タイトルは分からないが、人が動物を連れて鬼退治に行く」でも結果は桃太郎であって、内容があいまいでもイケそうだ。
「タイトルは分からないが、最後に猿のイオナズンで鬼が一掃される」
こんなでも、最終的には桃太郎に「到着」できるだろう。
知名度は本人の記憶違いも是正可能だ。
それなのに、この世のなかにはなぜこんなにも「昔読んだ本をまた読みたいのだが、タイトルが分からない」が多いのだろうか。
という疑問のひとつの回答は「その本、みんな知らないしなあ」になる。
その感覚は、僕にいつも「そんな誰も知らないものをこしらえるんじゃない!!」と「みんな全部知っとこうよ!!」とふたつの気持ち悪い考えを持たせるのである。