スーパーで買い物をしていると、ベーコンが売られていた。
以前は、僕はベーコンを軽視していた。
固いし、塩っからい。
しかし程よく火を通して、目玉焼きと一緒に食パンの上に乗せたりすると膝が震えて立っていられなくなるほどおいしく、他者も「ベーコンは膝が笑ってしまうほどおいしい」と理解しやすい。
それからベーコンを見直した訳だが、一方で買う事もない。
そんなおいしいものをいつでも食べられると思うなよ。
自分の体に対して律しているのである。
先日もベーコンが売られていることを確認し、これでもし耐えられなくなったときでも「食パンの上に目玉焼きとベーコンを乗せたものが食べられる」と安心していると、あるものに気づいた。
「ハーフベーコン」と銘打たれたそれは、確かに半分にされたベーコンが厳かにラップされている。
そんなものだった。
僕は、塩分が半分という事ならともかく、そのものがハーフになっている必要があるのかと疑問に思った。
ハーフが必要なら、「全長のやつ」を半分にすればいいじゃないか。
一方で、そのハーフの大きさは食パンの上に乗せるのにちょうど良い大きさのように思えた。
まないた、包丁を持ち出さずとも食パンベーコンが実現できる。
これは、一種の「おもてなし」と言えるのだろうか。
「全長のやつ」を半分に、しておきましたよ。
それをラップして売っておきましたよ。
あとは食パンと目玉焼きがあれば、「食パンの上に目玉焼きとベーコンを乗せたもの」ができますよね。
僕は「食パンの上に目玉焼きとベーコンを乗せたもの」がかなり認知されていることに満足しながらも、ベーコンにこれ以上の「おもてなし」を行える余地はあるのか、と心配になってきた。
ほんと、心配になってきたんだよねー。