そして彼女は、湯を沸かし始めた。

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2012年カレンダーの回想です。
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7月27日は「気になる人に、麦茶と称してめんつゆを飲ませる事で恋愛感情を形成しようとしました。」ということで、いわゆる吊り橋理論。
以前も触れた事がある。
それにしても、今思うと季節的にも「めんつゆ」がいい具合で、我ながら何だかちゃんと考えていたんじゃないかと感心する。
しかし、どうだろうという点もある。
それはまさに「吊り橋理論」のところで、もし「麦茶とめんつゆのくだり」にそれを求めるなら、飲む前に既にそれが麦茶ではなくめんつゆだということを知られていなくてはならないのではないかという疑問だ。
確実にめんつゆだとわかっているのに、それを麦茶として飲まなくてはならない。
どきどき。
そんな相手を見て、どきどき。
これなら何だかそういうことにもなりますか、と思う。
しかし麦茶と思い込んでいてのめんつゆだと、「どきどき」よりも早くに「ぶわっは」が来てしまうだろう。
片方、すなわちいたずらを主催した者は「どきどき」だろうが、被害者は何せ吐くのである。
こうなると「ぶわっは」は生理的認知要因としてはどうなのだろうかという点が不明だ。
正直心理学的なものはない気もする。
緊張でも、興奮でもなさそう。
しかし人間というものは、何がキーとなって感情が芽生えるか、わからないところもあるだろう。
だから飲ませたまえ、めんつゆを。
いや、このさい「めんつゆ」でも「麦茶」でもいい。
自分もそれが何か、わからないようにして、二人で飲んでしまえ。
そうすれば何かの共有にはなるだろう。
「ぶわっは!!。好き!!」
「なら、まずは君の艶めいたくちびるから流れ出る茶色の液体の名前を教えておくれ。」
こうなるこうなる!!。

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