「上を向いて歩こう」という歌では、上を向いて歩くことで、涙がこぼれないようにしようと訴えている。
これをかなり「うがった考え方」で見てみると、「上を向くことで涙をこぼさずに済むが、同時に涙を溜め込んでいる」と捕らえることができる。
この場合の「涙を溜め込む」は「泣いていることを誰かに悟られてもかまわない」と言い換えられるだろう。
ドライアイにも程度はあるから、涙を溜め込んでいなくてはすぐ白目がしょぼしょぼになってしまうということもない。女優ではないのだから、何かを思い出したタイミングで涙を落とす必要もない。
なので、目をうるうるさせ、それを維持することは「泣いていることを誰かに悟られてもかまわない」ということになるのである
。
いや、むしろ「悟って目のうるうる」くらいのいきおいだ。
となると、それは一見「涙がこぼれないように見せることで、泣いていることを悟られないようにする」という上向き行動と相反する。
例えば、上向き行動で涙のこぼれないようにしているのが「ティッシュがないから」という理由だとしたらどうだろう。
それなら相反さない。
「ティッシュがないから上を向いていたら、泣いていることがばれました」
自然。
しかし歌の意味を察すると、ティッシュの件は考えにくい。
そもそも「悟って目のうるうる」自体も曖昧だ。
「悟って目のうるうる」は、涙がこぼれ落ちる一瞬のインパクトには勝てない。
悟ってほしいのならさっさと涙をこぼれ落ちさせるべきだし、そこでティッシュがないというのは好都合ですらあるから。
さきほどティッシュにつらくあたったので、肯定的にティッシュを扱ってみた。
ないけど。
ともかく、そんな複数の意味を持つ「上を向いて歩くことで、涙がこぼれないように」という行動は、けっこう不確実、不安定な印象をうがった人たちに与える。