「真実の口」と言えば、ローマにある手首を食べてしまう人工物として有名だ。
このセンセーショナルな出来事の原因は、「真実の口」に手首を切断するような装置が見当たらないところから見ても、口から先が別次元へつながっているからと考えるのが自然である。
そこで切られるのだ。
おそらく、別次元の、あまり治安の良くない地域の、ある夫婦が住む家の新聞受けへとつながっているのだ。
そこでは自衛手段として、新聞受けをまさぐる手を切断していいことになっているのだろう。
おそろしいことである。
と、「真実の口」という、けっこういじるには勇気のいる題材を持ち出したのは、「真実の口に手を入れたとき、その夫婦にやってもらいたくないこと」を考えたからであって、なんだか局所的。
とにかくいやなのは「ごはんを食べている」「居間でテレビを見ている」だろう。
こちらの世界では手首キラーとして恐れられているそれに手を突っ込み、ありえないとは分かっていても、いくらかの恐怖を持っているわけである。
しかしその向こうでは「ごはんを食べている」。
気づかれていないというのはとても悲しいし、気づかれていて「また手首か」とスルーされるのもつらい。
「小銭をにぎらされる」は結構いい。
そんな大きい額じゃなくていい。
「ローションがべたべたぬられる」だと、口に入れた感が増すので、いやだ。
「何かを持たされたが、それが長いのか口に引っかかって持ち出せない」
これなら、少しは試行錯誤して、夫婦をおもしろがらせたいところ。